- miurano_suke
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もし間違えだったとして、あれだけ周辺国に左京大夫と修理大夫を称する者が多いと、それは混乱もするだろう。
2016-06-17 07:21:42@nagao_uesugi こんにちは。多くて混乱もですが、性格もあるような気がしますね。「蘆名平次郎殿」(「平四郎」とあるべき)とかもやらかしてますからね。 「佐竹次郎」と混ざっちゃったのでしょうかね(^_^)
2016-06-17 12:50:06@aizuyakata こんばんは。上杉側の文書では謙信が盛興を、景勝が盛隆を、いずれも「蘆名四郎殿」と宛名書きしていましたから、二人とも仮名は四郎なのだと思い込み、てっきり盛隆は改名したのだと考えていました。正しくは平四郎だったのですね…
2016-06-17 19:40:11@nagao_uesugi 「四郎」は会津蘆名家の嫡流を示す仮名と思われ、恐らく盛隆も盛興の後嗣となった段階で四郎となったと思われます。
2016-06-17 20:03:17@aizuyakata ありがとうございました。蘆名氏の系譜が載っているもの持ってないなあ、と思っていたら、「葦名御系譜並古老物語」の一部分だけありました。あれ面白いですね。盛氏の項に修理大夫・左京大夫が記されているということは、作者が例の輝虎書状を見知っていたのですね。
2016-06-18 07:30:41@nagao_uesugi 系譜への記載は恐らくそういうことでしょうね。景勝は間違えないのに、謙信はちょくちょく間違いが見られるとこが性格が見えるようで面白いです(^_^)
2016-06-18 12:52:11へー、『伊達天正日記』に(後の)蘆名盛隆を指して「岩瀬二郎」とあるのか。知らなかった。すると越後上杉家から盛隆に宛てた書状に「蘆名平次郎殿」とあるのは以前の推測通り、盛隆は蘆名家入嗣直後はまだ「二郎(次郎)」の仮名だったからと考えられるな。
2018-05-27 22:44:15つまり二階堂次郎盛隆が蘆名家に入嗣して蘆名四郎盛隆になったと。また一つ疑問が解消された(^_^) twitter.com/miurano_suke/s…
2018-05-28 20:34:41鬱陶しい行動と自覚があるので空に向かって呟くのですが、蘆名盛隆は蘆名家への養子入り前は二階堂二郎(次郎)であったと思われます(togetter.com/li/1125145)。そして…
2021-05-09 09:56:35じゃあ「平四郎」とはなんなの?というと盛隆の養父、蘆名盛氏や先代の盛興も若い頃に名乗った「蘆名家の嫡流を示す仮名」なのです。よって「蘆名平四郎(盛隆)」はあっても「二階堂平四郎(盛隆)」という名乗りは存在しなかったということを、今後の創作には活かしてもらえたらなあと思ったのでした。
2021-05-09 10:02:29