ジャーナリスト松元ちえさん(@ChieMatsumoto)さんによる被災地の記録(3月13~16日)
不安をあおるようかもしれませんが、電力を制限しているせいで、暗闇が多くなっています。被災地ではトイレの設置などが暗闇やみんなが集まっているところに設置されやすく、ひとりでは絶対に行動しないように呼びかけたい。これは被災地に限ったことではありません。
2011-03-13 00:30:10被災地陸前高田で地元の人たちと話した。行方不明の家族を探しに行きたいけど消防団としてみんなの安全を確保するために動いている。団員800人。今日だけで60体。うち二名は車中に閉じ込められていた
2011-03-13 21:19:54家族が津波にのまれた地域にいる。避難所でも名前が見つからない。あの津波を見たら半分はあきらめ。生き残った地域のみんなと慰め合っている。酔仙酒造でフォークリフトを運転しているときに地震があった、かわいさん。仕事場にいたため生き残った。
2011-03-13 21:24:16津波がどれだけの被害をもたらしたかはテレビ映像だけではわからない。その場にいるだけで胸がつまる。涙が止まらない。
2011-03-13 21:25:585時間かけて宮城の陸前高田から山形の新庄まで引き返す。かろうじてネットにつながるところ。電気もとおっている。被災地からずっと車で。電気がなく、どこも真っ暗。ただ半月だけが輝いているのが憎らしかった。被災した人たちはひどく心細い思いをしている。
2011-03-14 02:04:39被災地で今一番必要なもの。情報。電気がないから情報が得られない。いったい何が起こっているかわからない。不安。情報がほしい。⇒被災地以外のところでは情報が氾濫しているのに、一番必要なところに届かない。明日から自衛隊、各国からの救助隊が復興作業を開始する予定だと聞いた。
2011-03-14 02:06:39今日午後、陸前高田の津波の後を歩いた。地元で被災した人に言葉をかけようと思っても、言葉が涙に変わる。あの光景を見るだけで、津波の中にいた人たちの恐怖が押し寄せる。みんなどんな思いだったか。考えるだけで胸に何かが込み上げてくる。生き延びた人たちに生き延びたことだけでも喜んでほしい
2011-03-14 02:11:04津波のあとを見て「『地獄だ』としか言いようがない」といった地元の男性。「前はここに家もあって、店もあって、みんなが行き来していたと考えるとね・・・」うなづきながら二人で言葉に詰まった。周りにはトラックの家にホームセンター、横たわるクレーンの上には根っこから引き抜かれた木々が重なる
2011-03-14 02:14:24@Swirling_Toilet 電池がない。売り切れた。地元消防団もトランシーバーの電池がなくて、口頭で情報を伝達するしか手段がない。800名のうち540名の消防団員が出動して、今日は70体ほどの遺体を掘り起こした。生存者がいるのですべて手作業。小学校の体育館が遺体安置所に
2011-03-14 02:16:18@iwakawayasu 地元の人には余震よりも、津波が運んだ泥の下にいる家族が先決。大阪から派遣された警察の「津波警告があるから引き返せ」という言葉を振り切って津波の後の惨事の中を歩く。連絡が取れない家族を探したい、安全を確認したいという気持ちが強い。早くみんなを安心させたい
2011-03-14 02:18:38津波警告をアナウンスしていた地元防災センターの最後の声「津波がくるから逃げろ」そして「走れ」と叫んだあと音声が途絶えた。防災センターは、海から数メートルのところ。地元の人は、その声を最後に防災センターの仲間の行方がわからないという。自分の命よりも義務を、みんなの命を守ろうとした
2011-03-14 02:21:40津波警告があってから、避難所になっている公民館や小学校に逃げた地元住民。安全確保したと一安心したところへ、津波が押し寄せた。今回の津波は、想定以上の規模だった。人間が走る速度よりも津波は早く、通常の波よりも威力が強い。トラックも、店も、家も、電信柱も、すべてが同時に流れてくる。
2011-03-14 02:27:14津波で流されてきたジープが横たわる。車の中のドームライトが点いたままだ。・・・そうだ、ほんの2日前の出来事だったんだ・・・その瞬間、生なましさと不安がいっきに押し寄せてきた。こんなところにいていいのだろうか・・・親戚を探す地元の人たちは、それよりも家族の安否を心配する。
2011-03-14 02:30:43地元の「酔仙酒造」で働くかわいさん。携帯の地震警告を旨に感じると同時に足元が波打った。地震のあとすぐ90歳になる母親を車で待機させ、高齢の独居隣人をみな連れ出した。職場に戻ろうと思ったときに津波警告。丘まであがれと言われた。上から自分の家を含む、陸前高田市が水に洗われていく・・・
2011-03-14 02:34:48「白い煙だと思ったけど、しぶきだったようだ」津波をみていたときは、その威力と先の地震で興奮していたから何も考えなかった(かわいさん)。ただ、ひざがガクガクと震えて止まらなかった。24歳の長男が(海岸近くに)遊びに行っていた。連絡が取れない。津波があった海岸沿いは盛り場だった。
2011-03-14 02:38:25電気も電池もないので避難所間での連絡がとりずらい。家族の安否を確認するのに、複数ある避難所を一軒ずつ回らないと確認が取れない。自分の家族の名前を見つけられなかった人たちの想いは・・・計り知れない・・・
2011-03-14 02:45:50聞いてもらいたい声がたくさんある。何をどうしたらいいかわからないけど、とにかく、今日聞いた声を、みんなに聞いてもらいたい。みんなに考えてもらったら、何かができると思うから。
2011-03-14 02:48:35@dalian_cyx 被災地の方々も、みんなに知ってもらいたい、みんなが何を考えているのか、しているのかを知りたがっています。でも電気がない、電波が通らない。身軽に移動でき、ネットにアクセスできる場所に来ることができた者として、せめて声を届けられればと思っています。
2011-03-14 02:52:08東京から被害調査に来たというローソンの従業員に遭遇。「社員の安否は確認できました」という彼らに、「丸一日かけてご苦労様でした」という気持ちと同時に「社員」の安否だけしかわからず、各職場での従業員総数もわからないのか、という怒りが込み上げてきた。契約、バイト、みんな人間なのに・・・
2011-03-14 02:56:55津波が押し寄せた跡。まだ建っている家、明かりが点いている家。その庭先には、トラックと木々に埋まるシェルのガソリンスタンド、横たわる車。その一線はなにか。生死が分かれたほんの数歩の違い。地面から7~8メートルにも及ぶ波が線路を徘徊しながら流れて行った光景を見た人がいたのだろうか
2011-03-14 03:04:17@rideshipdefun 私も同じ気持ちです。言葉にならない。それなのに、被災した人たちはみな、別れ際に「気を付けて」と言葉をかけてくれる。不安で押しつぶされそうなのはむしろその当人だろうに・・・と。その場から去る選択肢がある私たちが考えて、何かしなければとしか考え付かない。
2011-03-14 03:07:03地元小学校の体育館。遺体治安所になっている。確認された名前と生年月日や年齢を見ると、ほとんどが高齢者だった。それでもまだ、ほんの30名くらいの名前しかあがっていない。夜中でも家族が駆けつける。
2011-03-14 03:08:24小学校の体育館に、白い布で覆われた遺体が50体ほど横たわる。機動隊員が3名と、一家族。発電機でかろうじて電気がついている。怖かっただろうに。家族と一緒にいたかっただろうに。そう考えると、せめて今、出会えたこと、発見されたことを喜んでくれたらいいとしか思えない・・・
2011-03-14 03:13:28