2017年7月4日

大典太光世と蔵・包丁藤四郎・大包平・陸奥守吉行再刃の話

大典太光世と蔵・包丁藤四郎・大包平・陸奥守吉行再刃の話
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包丁藤四郎について

斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

【包丁籐四朗について】 始め多賀豊後守高忠所持。命名の由来となったのは、料理が得意であった多賀に、鶴を料理することになった折に政敵がこの鶴に鉄箸を仕込んだ。それに気づいた多賀が包丁の代わりにこの短刀を用いて断ち切った事による。 包丁の様に太いわけではない(後述) pic.twitter.com/I747ditQrD

2016-11-07 20:05:32
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多賀家から堺の商人に、それを購入した鳥養家から秀吉に献上される。下賜された上杉景勝が徳川秀忠に献上しそれが家康に渡る。家康はこれを紀州徳川の頼宣に贈るが、それをまた将軍家に献上した。その後明歴の大火にて焼失。人妻好きは家康が未亡人に秀忠を産ませたことによるかと。

2016-11-07 20:07:45
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

この逸話の包丁籐四朗は現存しないが、徳川美術館に大谷吉継から家康、尾張徳川家と移った包丁籐四朗が現存(写真)。こちらは刃の幅が太く包丁の様に見えるから、とのことでの命名。焼失した藤四郎は2.5cmない感じ、徳美の物は3㎝近い。参考に包丁正宗は幅3.7㎝、長さに比べて太い。 pic.twitter.com/rxsrhrIehc

2016-11-07 20:14:53
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斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

押形の包丁籐四朗は26㎝、徳美の包丁籐四朗は21.8㎝、包丁正宗は21.6㎝。長さが短い分特に太めに見える包丁正宗は実に三種類あり、今回取り上げたのは透かし正宗と言われるものです。 とうらぶの刀剣紹介で大典太と亀甲はうっかり飛ばしましたが、その内呟きます。

2016-11-07 20:21:24

大包平(後に補足します)

斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

あとようこそ大包平!古備前の中でも正恒、友成、包平は名刀を作刀した刀工。所有者の変遷や、ふくれという欠点が発生して一大補修をした鶯丸からすれば、強く美しく西の横綱と呼ばれ池田家で大事にされてきた大包平は、言葉にできないものだと……とにかくおめでとう!

2016-12-19 19:46:40
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

大包平の見た目が両籠手に詰襟で鶯丸とお揃いイイネ、と見ていて。鶯丸が陸軍演習で献上されたから陸軍の軍服モチーフなのはわかるが、大包平はちょっと光忠よりに見えるのはなんでだろう。青江は海軍モチーフだし、備州はいいなぁ(考察が感動に追いつかない。)

2016-12-19 19:58:05
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

@hasumizu_9blue あ、片籠手か。地鉄の色も関係しているのかな。

2016-12-19 20:03:43

大典太光世と蔵の話

斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

新たに大典太光世の国宝された日を追加いたしました。 twitter.com/hasumizu_kikak…

2017-02-13 19:27:18
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

まぁそんな訳なので年末年始に来てくださった大典太さんの事を呟こうと思います。基本的に入手しないで刀の話だけしてもズレていきそうなので。 1588年頃足利義昭より鬼丸国綱、笹丸とともに秀吉拝領。入手時期的に一之箱二之箱には入れられた記録は見れません。

2017-02-13 19:36:16
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

その後慶長三年(1598)八月には前田家に移っていたと思われます。 秀吉の形見分けとしての拝領の他、前田利家の娘で秀吉の養女として宇喜多秀家に嫁いだ豪姫がお産の度に大病を患い、この時枕元にこの刀を置いたら快癒したためお産の度借り、結果もう返さなくて良いという事になったとか。

2017-02-13 19:38:50
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

前田家では豪姫の説をとっています。豪姫のお産ではっきりしているものは、 天正19年(1591年)、慶長4年(1599年)。 女児の出産が間に挟まれている可能性もあります。1595年には豪姫の病が狐憑きによるものとして、秀吉が狐狩りの文書を発しています。病も狐も祓う刀大典太。

2017-02-13 19:43:11
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

有名な話として伏見城の千畳敷を深夜通る時に、怪異のせいで通れないという話を聞いた前田利家に秀吉が大典太を貸していかせたところ、何事も起らなかったという話もあります。怪異も祓う大典太。  刀剣乱舞の大典太は蔵入りの話が中心なので、この蔵について少し掘り下げます。

2017-02-13 19:46:12
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

この蔵は薪丸の蔵と呼ばれる蔵で金沢城にも富山城にも存在しました。 五代綱紀の頃、鴨居にかけてあった静御前の薙刀がある部屋に生理中の女性が入った所、突然落ちてきたことがあり、穢れを避けるためこの薙刀を二重箱に入れ、枠を付けた上で、注連縄を張った薪丸の蔵に入れたとか。

2017-02-13 19:50:20
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

大典太が蔵に入れられたのもこれ位の時期かと思われます。以降年に一度の手入れの時当主以外が触れることはなかったそうです。宗近の刀、静御前の薙刀、大典太光世、これらの蔵には鳥が近づかず、霊鳥とされる烏すら止まらないことから「烏止まらずの蔵」と呼ばれたとの逸話もあります。

2017-02-13 19:52:54
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

八代当主前田重煕が延享3年(1747年)に前田家を継いだ折に、江戸の藩邸に移されていたようで、文化9年(1812)3月には江戸で手入れされています。 静御前の薙刀は蔵に入れる時に鞘を新しくしたが、古い方の鞘だけで病を祓った逸話もあるので、大典太は同居刀が悪かっただけでは 。

2017-02-13 19:56:01
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

蔵に入れられていた時の大典太も塗の外箱、白木の内箱の二重箱に白木鞘を白絹で包まれた状態で保管されており、現在に至るまで前田家から出ていないことから非常に大事にされていた箱入り刀のはずが、刀剣乱舞では箱入り=ネガティブになるのが面白い所ですね。足利時代は三日月達と一緒でした。

2017-02-13 20:06:22
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

刀の大典太は百万石の名宝展を見に行った時に見たのが一番じっくりとみたのですが、向こうからこうググッとひっぱりにくる感じがする刀で宗三左文字とは別の意味でとても好きな刀です。小指を入れたいと毎回思う位太い樋の長さといい、鋒のバランスといい何とも言えず好きです。 pic.twitter.com/wo6RuN1iZO

2017-02-13 20:20:35
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陸奥守の再刃の話

斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

少々遅くなりましたが、龍馬の陸奥守吉行の再刃or notの話を。再刃については多くの文献に見られ、釧路大火のあと室蘭の堀井秀明刀匠が去年北海道で発見された 龍馬脇差長船勝光同宗光合作と共に再刃、昭和3年9月札幌市の富田秋霜氏が研いだ、と言われています(原典調査中) 続く

2016-10-07 21:12:10
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

2 京都博物館に龍馬の吉行と埋忠の刀を寄贈した弥太郎氏は大変筆まめだったため、龍馬の刀についていくつも書面を残していますが、明治43年に預かった時の吉行には暗殺時敵刃を受け止めてついた傷のある鞘があったとあります。 所が高知坂本龍馬記念館に去年6月に寄贈された資料で新事実が判明

2016-10-07 21:20:23
斜水左文字@刀剣と金工 @hasumizu_9blue

3 弥太郎氏の「寄贈目録控」は氏が京都博物館に寄贈した目録をカーボン紙で控えていたもので、これに大火で無反りとなった事と裂け目のある鞘が燃えた事がしるされている。またこれに再刃をしていない旨も記載されているとの事ですが、全文をご存知の方がおられたら、どうか情報をお寄せください。

2016-10-07 21:25:11
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