ゲーム基板の誌上販売広告の元祖について
@pingarage ゲーム基板ってベーマガあたりが最初じゃないのかー。あまり覚えてないですね。下欄はI/Oプラザだけだったような。
2011-03-17 00:48:02あー、あったかも。でも、もうその頃はあまりI/O読んでなくて他の雑誌が主に… RT @hng874 @onionsoftware 秋葉原MAPに基板屋の紹介ありませんでしたっけ。
2011-03-17 00:54:32@onionsoftware 間違いなくベーマガよりもI/Oのほうが先ですよ。'81年当時には既に載ってたはずです。ただどういう形態で載ってたのか忘れちゃいましたけど(汗
2011-03-17 00:54:54@pingarage なんと! 今度探してみます。普通のビデオゲーム基板ですか? 81年だとまだメチャ高い値段のような…。
2011-03-17 00:57:05@onionsoftware 値段はよく覚えてませんが、クレクマやムンクレ、ギャラクシアンならば2~3万位で入手可だったんではないかと思いますけど。当時秋葉原の「対話のある自動販売機店」左のちょい前まで九十九だった物件がマイコンショップで、ムンクレ基板を売ってたのを覚えてます。
2011-03-17 01:04:19@pingarage うわー、九十九だった場所にそんな店がー。そういえば、ラジオ会館の中でも基板の映像デモってる店あったなぁ…。
2011-03-17 01:13:08@onionsoftware ラジオ会館というと若松通商でしょうかね?あとジャンク屋時代の千石はゲーム基板を良く売ってました。店先に山ほど積んであったルート16の基板があったときがありまして、私はそれに見向きもせずATARI FOOTBALLの基板を買った思い出がありますw
2011-03-17 01:20:22ふと当時のASCIIを持ってきて見てる…ATARI800って228000円もしてたのか! そりゃ日本では普及しないわー http://twitpic.com/4a2hd2
2011-03-17 01:31:50➽ 基板屋でなく、単に売ってたかどうかならI/Oかトラ技で80年頃に既にギャラクシアン改造系が現役時点で100kぐらいで載ってたような?ビットインの左側の店に筐体置いてあって、そこの広告だったような?
2011-03-17 23:21:31@yae_nachi また興味深い話をありがとうございます。基板単体なんですかね、ブロック崩しの頃から個人で筐体買う人はポチポチ居たと思うんですけど、流石にこの時代だと自分は「基板」の概念すら怪しくて(汗
2011-03-17 23:26:42@okaz6809 いわゆるインベーダーハウスを巡回していた改造業者がコピー基板の販路を広げようとして持ちこんだものと推察します、メーカーの販路や、今の基板業者が売っているルートとは異なる特異点的なものだと解釈しています、ビットインの左の店の名前思い出した、RAMでしたね
2011-03-17 23:33:07@okaz6809 当時は旬が過ぎても次の改造の「種」になる考え方だったわけで、そうした基板を安く処分する必要は無かったのだと思います
2011-03-17 23:37:31@okaz6809 そういえば日本橋デジットのテントにも「ゲーム基板」と書かれていたような。僕が通い始めた20数年前にはすでに売ってませんでしたが。もっと昔は売ってたのかなあ。
2011-03-17 23:29:12電波新聞社の雑誌「マイコン」(79年12月)にゲーム基板広告あったー。うちにあるI/Oは、圧縮のため広告を抜いてあるので同時期の広告は確認できず。富士音響(RAM)はラジオ会館の中でもホビー色強かったですね。 http://twitpic.com/4btbws
2011-03-21 23:41:34あと、ニチブツの広告も。確かに当時、色んなマイコン雑誌で見た気がする。 http://twitpic.com/4btck5
2011-03-21 23:43:15