ハプスブルク家・雑記(フェルディナンド2世とルドルフ2世を中心に)メモ

(フェルディナンド2世とルドルフ2世を中心に)メモ
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雑記

はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

(皇帝カール5世は妃が没して)長い不在にも関わらず不倫があったことは知られていない。 皇帝の庶子のすべては、結婚前に生まれたものか、彼が男やもめになってからのものである。 彼は決して真面目に再婚を考えはしなかった。

2017-07-04 22:15:02
はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

カール5世も「狂気」であった逸話として例が載っていた 「自分の葬儀を見たい」と語り、「人生の主な目標の1つは、完璧な葬儀を準備すること」だったと

2017-07-06 23:14:19
はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

ドン=カルロスが幽閉された時に監視していた役人は、曾祖母フアナ狂女王がトルデシリャスで幽閉されていた時の責任者の息子だった...歴史は繰り返される、皮肉。

2017-07-04 22:23:44
はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

皇帝マクシミリアン2世 カトリックの臨終の秘蹟を拒否 植物学と言語に興味を示し、その一方でフェルディナンド1世の政治的感覚を受け継ぎ 国政にもきちんと携わった

2017-07-04 22:28:14

1.皇帝フェルディナンド2世

はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

ある日、皇帝フェルディナンド2世は神の声を聞いた。 「異端と不信仰者との妥協は決して許されない」 最後の最後に至るまで戦われる戦いのキリスト教戦士となった。

2017-07-04 22:40:39
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プラハ窓外投擲事件で家臣が一命を取り留めたのは聖母マリアによって救われたのではないか、という話が伝わると、これは果てしない確信と楽観主義を失わないフェルディナンド2世の感覚を強めた。 彼はキリストと、諸聖人が自分を見捨てるわけがないと知っていたのである。

2017-07-04 22:42:21
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フリードリヒ5世にボヘミア王を奪われて北方から迫られ、ハンガリーがウィーンに向かい進撃してきたまさにその時、フェルディナンド2世は祭壇で、その神の声を聞いたのである。 「フェルディナンドよ、わたしはお前を見捨てたりはしない」

2017-07-04 22:45:18
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フェルディナンド2世のモットー 《正当性のために戦う者に、王冠は帰する》 「わたしは、四方から迫ってくる危険を秤にかけた。そして、人間の助けはこれ以上期待できないため、主の助けを求めた。もし、この争いで敗れるのが神のご意思ならば、それに従おう」

2017-07-04 22:48:37
はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

皇帝フェルディナンド2世はボヘミアを奪還すると、フス派以降2世紀も異端の時代を過ごしたこの王国に真の信仰へ立ち帰らせようと決心して、反逆者を、まるでスペインの宗教裁判のようにかけ、その遺体はばらばらにされて王国の各地に晒され、首はカレル橋に串刺しにされた。

2017-07-04 22:53:03
はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

フェルディナンドは、「不信仰者に対する戦いを極限にまで遂行するのが自分の義務である」と確信した。

2017-07-04 22:53:55
はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

フェルディナンド2世の懺悔聴聞師ラモアマイーニは、フェルディナンドの《美徳》を著し、「フェルディナンドには生まれた時から神の恩寵が下り、彼から、彼の子孫へ、教会の忠実な息子たちへと流出した」という結論を述べ、「ハプスブルク家は選ばれた一族である」という感覚を補強する材料となった。

2017-07-04 23:03:02

(皇帝レオポルト1世とスペイン系の断絶

はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

皇帝レオポルド1世について 「頭の後ろ半分かつらをかぶった小男で、先祖の堂々とした姿とは著しい対照を示していた」 「彼は後継者になると予想されていなかった。兄フェルディナンド4世は皇帝らしい容貌をしていたが、思いかけず死んでしまった」

2017-07-04 23:08:37
はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

「彼は病弱な体格で、背が低く、陰気な肌の色をし、異常ないわゆる下顎をもっていた」 しかしその治世は、先祖の皇帝フリードリヒ3世の治世53年に次ぐ、治世47年にも及んだのである。

2017-07-04 23:10:59
はくえー【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

対オスマン帝国戦争でハンガリーを回復したレオポルト帝は、先祖からの戦いの勝利の集約者として自らを描かせ、「黄金時代」が息子ヨーゼフの時代まで続くように、ヨーゼフがローマ王に選出されると「カール5世の時代を模した栄光の門」、その上に新たな「太陽王」ヨーゼフが君臨する偶像を作らせた。

2017-07-04 23:18:28

2.皇帝ルドルフ2世