近代新聞の起源について
- ele_cat_namy
- 1755
- 7
- 0
- 94
本書のテーマである江戸の下層社会、すなわち穢多、非人、乞食の実像については別項にまとめた。ここでは本書そのものについて整理する。
2017-03-19 22:51:37冒頭で「本書は、『朝野新聞』連載の『徳川制度』のうちから、下層社会に関する記事を集め、注釈したものである」とあり、本文は文語調、適宜注釈が入るという構造になっている。
2017-03-19 22:51:45末尾の解説で、新聞の歴史が紹介されている。その歴史は、1824年、長崎に生まれた本木昌造に始まるとされる。昌造は蘭学を修め、家業の通詞(通訳)を継ぐ。当時の通詞は幕府や藩の仕事であり、昌造も役人として、出島で通訳や翻訳をしていた。
2017-03-19 22:51:54やがて造船技術や活版印刷に関心を持ち、のちに長崎製鉄所の頭取となり、日本最初の金属活字鋳造の成功者となる。活版印刷が登場したことで、日本に近代新聞が発刊されることになる。明治2年に活版技師ガンブルの指導を受け、長崎を皮切りに大阪、東京、横浜で活版所を設ける。
2017-03-19 22:52:02この横浜の活版所で日本初の「日刊新聞」が刊行されるのが明治3年である。「横浜新聞」が「横浜毎日新聞」に改題された明治4年には、「大阪府日報」など、府県が発行する新聞が各地に生まれ、参議の木戸孝允も(世論操縦のために)「新聞雑誌」という新聞を出した。
2017-03-19 22:52:13この明治4年という年は廃藩置県が断行され、解放令(賤称廃止令)で身分制が解体された年である。江戸時代、幕府の意向は江戸城から各地の大名へ横に伝わり、各地で今度は身分制の中を縦に家老から庄屋へ、また「お触れ」として百姓や被差別民にも届いた。
2017-03-19 22:52:21江戸市中では町奉行から町役人へ、あるいは弾左衛門から穢多、非人へ伝えられた。廃藩置県と解放令は、このコミュニケーションのルートを破壊したのである。このことを当時の国家上層部がどれほど理解していたかはわからないが、すぐに様々な弊害が噴出した。
2017-03-19 22:52:29府県制は始まったばかりで、学制も整っていない。理念先行型の近代化路線に農民は反発した。政府が何をやろうとしているのかよくわからないので余計に不満は高まるが、政府は彼らに説明する術を持たない。ディスコミュニケーションである。
2017-03-19 22:52:38明治5年には政府系の「東京日日新聞」、「日新真事誌」、「郵便報知新聞」が創刊。翌年には「公文通誌」などが出て、英字新聞を含めて52種になった。その公文通誌1号には次のようにある。「読兼る条には傍訓加え、字解をなして婦女童幼にいたるまで厚き御趣意を容易知らしめんとす」
2017-03-19 22:52:49つまり「読みにくい箇所にはルビや注釈を入れ、女性や子供にもわかりやすく伝える」とわざわざ宣言しているのである。江戸時代なら家長の男子にしか伝えなかったことを、明治維新の近代革命でムラやイエから個になったひとりひとりに語りかけなければならなくなったのである。
2017-03-19 22:52:58個人主義の世の中であるからこそ誰もが等しく情報を得ることが求められ、そこに「活版印刷」という早く大量に文書を作る技術が存在し、現在ある形の「新聞」が登場したのである。 (公文通誌が後に朝野新聞に名を変えるわけだが、詳細は割愛。まとめるときに追記するかも)
2017-03-19 22:53:11※高い理念に現実が追い付かない厳しさなど興味深いエピソードではあるのですが、冗長になるので詳細は割愛。気になる方は本書をお読みください。
「徳川制度」を執筆したのは永島今四郎、古文書を調べるのが太田贇雄という記者で、二人の共同作業であった。本書に収録した江戸の下層社会に関する記事は、「町奉行支配」という項目に含まれ、明治25年6月25日の5637号から、8月6日の5674号に該当する。
2017-03-19 22:53:27解説の著者塩見鮮一郎氏は、その文章の流麗さと面白さにかえって疑わしい(作り話や脚色過多ではないか)と考えていたが、他の資料などとつきあわせてよく調べてみると、間違っていると思われる箇所は殆どなかったという(いくつかは本書内の注釈で補足されている)。
2017-03-19 22:53:35明治25年から見る江戸時代は、平成29年の私達が見る昭和時代くらいの距離感である。その「生の記憶」もさることながら、江戸時代の文献もよく調べ、記事に反映させている。その時代にこれだけ綿密に調査し、わかりやすく書かれた記録は非常に貴重である。
2017-03-19 22:53:53過去の人々が何を考え暮らしてきたか、「(平成29年の)いま」を生きる私たちにとっては自明のことであっても、将来の誰かが「(平成29年の)過去」を振り返ろうと思ったとき、それをかなえる記録はどれほど残されているだろうか。
2017-03-19 22:54:05補足として、「頼朝公の御朱印」として、弾左衛門の祖先に管轄権を与えられた様々な業種の説明がある。一つ一つの詳細は割愛するが、興味を持たれた方のために名称だけ列記しておく(本書の解説に詳細あり)。
2017-03-19 22:54:46座頭、舞々、猿楽、陰陽師、壁塗、土鍋師、鋳物師、辻目暗、非人、猿引(猿廻し)、鉢たたき、弦差、石切、土器師、放下、笠縫、渡守、山守、青屋、坪立、筆結、墨師、関守、鐘打、獅子舞、箕作、傀儡師の二十八種。
2017-03-19 22:55:01これらの職種を整理すると、武具や馬具につながるもの、城作り、生活道具に関するもの、渡守、山守などの見張り番、戦況を占う陰陽師、情報伝達のための筆結、墨師に別れる。他の遊芸は、当時としては容易に国境を越えることができ、他国の情報を得ることができた。
2017-03-19 22:55:11これらの「二十八番」を長吏という皮革類の統制者(皮革類もまた武具や生活道具の材料である)の下につけておくというのは、理と利にかなったやり方だったのである。
2017-03-19 22:55:26