10周年のSPコンテンツ!
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⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
「終戦を機に、上野にいた大人たちは別人のように冷たくなりました。…戦時中は勝利に向けて団結していましたし、日本人同士最後まで助け合おうという精神がありました。…戦争に負けた途端に、人々から情が消えました。(戦中は浮浪児にも食料を分けてくれたのに)邪魔者扱いされて追い払われる」
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戦後の闇市は「解放国民」と呼ばれた在日外国人が関わっていた(禁制品を売買しても取り締まられない)。戦中はどうだったんかしら。
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「残飯シチュー」は「この世界の片隅に」に登場しているが、新宿のしょんべん横丁(現思い出横丁)でも売られていた。残飯だけでなくゴミも大量に混ざっているがいちいち確認などせず、キロ単位で買い付けた残飯をまとめて鍋にぶちこんでいた。猫の死骸や使用済みコンドームもあった。
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しかしそれでも「残飯シチュー」は格別のうまさであった。焼け野原で雑草やネズミを食って生きてきた人間からすれば、涙が出るほどうまいものであった。値段は五円前後で、屋台のうどんやそばと同じくらい。わざわざ遠方から食べに来る人もいたという。
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残飯を米軍基地から仕入れてくるのは浮浪児や専門業者であるが、とにかく人気で行列がすごいので、具材を持ち込んでくると中身を確認する暇もなくぶちこんでいたわけである。さすがに店は「残飯シチュー」などと呼ぶことはなく、新宿では「どんどん煮」、「ごっちゃ煮」と呼ばれていた。
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(一連の出展は『浮浪児1945』石井光太)
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こうした残飯メニューを扱う店が増えたことから、後にもつ煮を扱う店が増えたという。
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戦後の路上には浮浪児の他、傷痍軍人がいた。駅前で白い患者服を着てアコーディオンやハモニカを演奏しながら物乞いするわけだが、五体満足なのに白い服を着て盲目のふりをする偽物も多かった。そういう連中はめざとく一番儲かる場所に陣取る。
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だか本物は盲目だったり手足を失っていたりするのでそうした稼げる場所には行けず、警察の取り締まりからも逃げられない。なので地下の人通りが少ない場所で、壁に向かって一人歌い続けるようなのもいた。ある程度稼げる浮浪児はこうした傷痍軍人に施しをして、勉強を教えてもらうこともあった。
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テキヤの発祥について。闇市を仕切る外国人に対抗させるため、警察がテキヤ組織に組合を作らせ、闇市の治安維持を任せた。当時の警察は銃も持っておらず、また外国人を取り締まることもできなかったし、闇市の存在を公的に認めることもできなかった。この時点でのテキヤ組織はいわゆるヤクザとは別物。
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「テキヤは市民からは好かれていた。…雑用係みたいな面もあった」引っ越し業者なんてなかったから、引っ越しの際にはテキヤの親分が子分を派遣してくれた。そうすることで市民の信頼を得て、本業の商売を円滑に進める狙いがあった。
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テキヤは組合員が外国人ヤクザに恐喝されていれば棒や日本刀を振り回して追い払ったし、酔った米兵が暴れていれば集団で取り押さえた。そうした暴力的な面はあったが、ヤクザではないから、本業はしごくまっとうなものであった。
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ヤクザが当時のテキヤと異なるのは、販売するものが偽造したタバコや金券、当時禁制のポルノ写真など違法なものであるという点だった。それまでは賭場が主な収入源だったが、日本全体が困窮して賭博どころではなくなり、別の稼ぎを探していたのである。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
やがてテキヤの中にもヤクザのような詐欺紛いの商売に手を出すものが現れ、今のようなテキヤのイメージに繋がったという。
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戦後すぐの上野にいた浮浪児たちは戦災孤児として地下道に住み着き、闇市などに紛れて生き延びる者が大半だったが、翌1946年には両親がいながら家出をして流れ着く不良少年が姿を見せ始める。著者はこの原因はメディアの報道にあると言う。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
「当時のメディアは…(上野の)闇市にはヤクザが跋扈し、 地下道は愚連隊に占拠され、路上では浮浪児たちが彼らとつるんで違法なことをしているというニュースをあちらこちらで流した」 「これによって地方に暮らす不良少年たちはニュースを通して、「暗黒街・上野」に憧憬を抱くようになった」
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
「彼らは「ノガミへ行って一旗揚げよう」と故郷を離れて続々と上野にやってきたのである」 もともといた浮浪児は大きな空襲があった大都市出身が多く、言葉の訛りは少なかった。後から来たのは明らかに訛りが強く、「ごっつい東北弁や九州弁を話す子ばかり」だったという。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
都市出身の孤児はもともとは普通の家庭だった子もいて、そういう子は新聞売りなど比較的まともな仕事で生きていこうとする。しかし親からの暴力や田舎暮らしの退屈に嫌気がさして家出してきた子は、好き放題に暴れる。なのでまともな子は、訛りを聞くと何されるかわからないと距離をおいたという。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
不良少年からするとヤクザや愚連隊は憧れの存在であって、すぐに取り込まれていく。憧れるから真似るのであって、「おひけえなすって」で始まるいわゆるヤクザの仁義切りは、戦後には廃れていたが、不良少年たちが真似をしているうちに伝統が復活したのである。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
(廃れた伝統を、過去への憧憬から真似ているうちにまた新しく伝統として盛り上がるというのは他にも、現代にもありそうな気がする)
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
戦後すぐに「進駐軍の兵士が日本人女性を片っ端からレイプする!」という噂を真に受けて内務省によって作られた慰安所RAAであるが、ルーズベルト前大統領の妻が反対したり、検査したら大半が性病に感染していたことが発覚したりで間もなく解散を命じられる。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
だが解散と言われてハイそうですかと故郷に帰れるわけでもなく、そのまま繁華街に散らばり街娼、通称パンパンになり、一部が上野になだれ込んできたため急激に増加した。いきなりの解雇に反発する女性からは「女性器をもとのサイズにして返せ!」という苦情もあったという。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
上野は東北、北陸への玄関口であり、これらの地方の貧しい少女がたどり着くとすぐに「いい仕事がある」と誘われた。14、5才でスマタの技術を自慢するような少女もいたらしく、低年齢からの売春も、社会的な常識の欠落も甚だしかった。
⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy
パンパンたちは町ごとに性格が異なり、上野のパンパンは有楽町のそれを「米兵相手の、アソコの広がりきった売春婦」と軽蔑し、有楽町は上野を「家出少女の田舎モン」と嫌っていた。
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コメント

たろー @hanpa64 2017年7月19日
昭和50年代始めあたりまではまだ上野公園に傷痍軍人がいて、ハーモニカ吹いてたりしたなぁ。
統一教会の星 @cpw73XfxIvDa3X 2017年7月19日
テキ屋、ヤクザは戦前から権力の側だよ。ヤクザは売春(認可利権で、軍人、警察出身者多数)、建設/工場(労務管理=暴力支配)では大昔から欠かせない存在。
だれがカバやねん @nande_sounaruno 2017年7月19日
安藤昇の映画のようだ。あたりまえか。深作欣二も。
矢次一夫 @kokusaku007 2017年7月19日
いわゆる在日外国人については もう戦前から 実業家や飯場の親方として活躍してきた人間がいるわけで 彼らが 戦後の闇市で 主役を張ってきたと考えるのが正しいのではないかと
矢次一夫 @kokusaku007 2017年7月19日
ヤクザとテキヤの差 (´ε`;)ウーン… これご当人たちがいうほどあるんでしょうか?戦後のドサクサですよ
矢次一夫 @kokusaku007 2017年7月19日
cpw73XfxIvDa3X  朝鮮人連盟に 後に山口組で名を成す 日本人が用心棒がわりではいっていたり たぶん共産党の行動隊にもいたんじゃないですか?かならすしも 権力サイドだけじゃないですよ
矢次一夫 @kokusaku007 2017年7月19日
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/51029711.html グレーゾーンは当然ありましたが ある程度は お上の公認があったのが 闇市だったとおもいますよ
矢次一夫 @kokusaku007 2017年7月19日
たしか 池波正太郎さんが 東京都に勤めていた時期に 衛生関係のお仕事で こういう子供達をいっぱい みていたはず 池波さんの小説にも こういう風景はおりこまれているのかな?と思いました
@nikoneko99 2017年7月19日
読み物として読み応えがあってよかった。
⚡波島想太🐈日曜西P03a、西P06a寄稿参加 @ele_cat_namy 2017年7月19日
kokusaku007 黒澤明の映画「野良犬」にも闇市の様子が描かれています。ただやや脚色気味で、実態とは少し違っていたようです。
⚡波島想太🐈日曜西P03a、西P06a寄稿参加 @ele_cat_namy 2017年7月19日
nikoneko99 そう言っていただけると読書実況した甲斐があるというものです。本書にはもっと色々興味深いことが書いてありますので、著者さんも言うように文庫にもなりましたのでぜひぜひ。
矢次一夫 @kokusaku007 2017年7月19日
ele_cat_namy 案外 当時の記録映画などは 進駐軍が撮影して そのまま本国に持ち帰って 埋もれたままのものがかなりあるのかもしれませんね
⚡波島想太🐈日曜西P03a、西P06a寄稿参加 @ele_cat_namy 2017年7月19日
http://booklog.jp/users/electriccat/archives/1/4103054557 人様のまとめで紹介するのも恐縮ですが、この本に対する私のレビューです。