「不謹慎」について:あるいは連帯可能性をさぐる。

ここでは不謹慎議論とは何か?を議論します。私と岡部さんの一致点は、(1)共感していない人が、共感している人と対立している。あるいは、(2)共感していない癖に、共感していない人と対立する、つまり魔女狩り、言葉狩り化。(1)(2) 2パターンある。 そして、私と岡部さんの唯一の違いはどちらによる蓋然性が高くより批判されるべきと考えているか?という重みずけが異なる点です、どちらも問題であるという認識は同じであるにしても。
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@kenokabe

「西麻布でイタリアンだ! いいワインをあけよう!」:- http://goo.gl/kCEAk これ考察しているけど、結局原理的葛藤のバランスでしかない、どっちかに「えいや!」とレバー倒してしまう。複雑なものごと0か1で判断するほうが楽だが、それが正しいことにはならない。

2011-03-18 13:42:33
@kenokabe

このTWの問題は二元論で、「自粛している相手」へ 「挑戦挑発している」こと。 @sasakitoshinao まあ私は今後も不謹慎なことを言い続けます。これから青山に出かけてブラブラ散歩して、そのあと西麻布でイタリアンだ! いいワインをあけよう!

2011-03-18 13:47:04
@kenokabe

「不謹慎ぶりを強制する人の欺瞞」と同様に、「それに対抗する人の欺瞞」っていうのもある。前者が、共感のなさを咎める余りに、当事者ほったらかしの対立構造にあけくれる欺瞞があるが、後者はその欺瞞に反発するならば、対抗しちゃいけない。対抗した時点で、自分もおなじ穴のムジナになっちゃう。

2011-03-18 13:52:58
@kenokabe

あと、不謹慎をぶっちぎる、っていうのは、そのピンポイントの分だけ確実に共感の喪失、一致団結の瓦解である、と同時に、消費する、社会を健常に復元して回していくという効能がある。

2011-03-18 14:18:29
@kenokabe

一連の不謹慎対立構造は、誰かの精神状態VS自分の精神状態であると同時に、誰かの精神状態VS経済復興。ここも原理的葛藤。

2011-03-18 14:19:15
@kenokabe

不謹慎問題は、だから、まとめると、誰かの精神状態VS自分の精神状態+経済復興で、時間経過にしたがって、後者のほうが勝ってくる。ただあくまで後者は「いつもの普通の状態」なので、これが100%になると、被災地は忘れられた、支援されないって帰結にもなる。

2011-03-18 14:22:31
@kenokabe

「不謹慎」ってどういうものならば不謹慎じゃないの?ボーダーは?と問題設定している人がいるが、それはちゃう。これは「共感」の問題であり、そういう問題設定しちゃう時点でその人は「共感」よりも「どうやったら怒られないか?」て事を気にしているわけだ。つまりその人は不謹慎。

2011-03-18 14:39:09
@kenokabe

そもそも「謹慎」の本質とは、共感であり、「とてもそんな事をする気にはならない」ということ。それに派生して「とてもそんな事をする気にはならない」と「落胆している人に共感、配慮」すること。ここが本質。

2011-03-18 14:41:56
@kenokabe

共感、っていうのは主観だし、立場も違う個人差があり、「ボーダー」なんて最初からないの。少なくとも「被災者へ共感し謹慎している 」共感能力が高い人がいるのは事実。彼らが経済活動を停滞させているとかいうのは、また別問題。

2011-03-18 14:44:35
@kenokabe

さて、「不謹慎のボーダー」なんて気にする人は、その時点で多分、彼自身「被災者へ共感し謹慎している 」のでなくて「窮屈なので自由にしたい」と考えている人のはずだ。そうでしょ?それはまったく自由。しかし、とここで続く。

2011-03-18 14:46:45
@kenokabe

しかし、彼の共感のなさ=「窮屈なので自由にしたい」という内心がある一方で、現実に「被災者へ共感し謹慎している 」共感能力の高い人も存在する。彼自身の被災者への共感のなさ、その自由な内心はどうでもいいが、彼はこの身の回りの人へ配慮する必要はあるんじゃないの?

2011-03-18 14:49:09
@kenokabe

身の回りの「共感して謹慎している」人へ配慮する必要がある。ここで、おそらくこの対立構造が生じる。君は直接的な被災者でなく、自分と同じ状況ではないか?なぜ自分はあたながたへも配慮しなければならないのか?とね。

2011-03-18 14:50:59
@kenokabe

たしかにそのとおりで、身の回りの「共感して謹慎している」人へ配慮する必要がある、これが対立構造を生むフェイズの間接的、というべき「不謹慎」問題。

2011-03-18 14:55:54
@kenokabe

(1)共感していない人が、共感している人と対立している。あるいは、(2)共感していない癖に、共感していない人と対立する、つまり魔女狩り、言葉狩り化。(1)(2) 2パターンある。

2011-03-18 14:57:16
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

ええ、そうですね。RT @kenokabe 共感、っていうのは主観だし、立場も違う個人差があり、「ボーダー」なんて最初からないの。少なくとも「被災者へ共感し謹慎している 」共感能力が高い人がいるのは事実。彼らが経済活動を停滞させているとかいうのは、また別問題。

2011-03-18 14:58:32
@kenokabe

前者(1)の場合は、おそらく、あまり共感しておらず窮屈なのでもっと自由にしたいという人が「不謹慎なこと言い続けまーす!」と言えばそれはその人が喧嘩売っており悪い。こっそり黙って欲望を満たせ。 経済回すとかいうのは、それは自己正当化で別問題。

2011-03-18 15:00:17
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@kenokabe その前提で問題なのは、その共感能力が平均的な人よりも高い個人がそうではない個人に対して、主観でしかない価値観を「不謹慎」というあたかも共通善で客観的であるかのように偽装しながら、他者に価値観を押し付けることを正当化していることに無自覚であるのが問題と思います。

2011-03-18 15:01:14
@kenokabe

後者(2)の場合は、「おまえも共感して自粛しろ!」と言う方が悪いが、心より共感しているために不愉快に感じる人による文句を、このパターンと混同しちゃいけない。それは(1)のパターンであり、その場合、不謹慎なこという人が悪い。

2011-03-18 15:03:37
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

@kenokabe なので、私からしたら、とてもくだらなくて問題ですらないと考えています、その共感が高い個人は勝手に自粛でもなんでもやってればいいけど、その価値観を正当化して押し付けようとするな、と私は言いたいですね。この主観的価値観の他者への押しつけが「不謹慎」と思いますw。

2011-03-18 15:04:43
@kenokabe

えーい!どっちにしろ窮屈だよ!もっと自由にしたい!というのはわかる。それは「共感しておらず謹慎する気持ちがない」という事と等価であるのは自覚しよう。そして誰もずっと謹慎しつづけるだけのパワーも精神的タフさももってない。いずれ皆こうなる。今は過渡期。

2011-03-18 15:06:48
@kenokabe

そして、繰り返すが、共感して自粛する、つまり謹慎という本質的な意味と、過剰な自粛ムードにより経済を停滞させてはならない、というのは、これまったく別事象であること。ここ論点混同しやすいが、ほんとは別問題だ。

2011-03-18 15:08:34
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

不謹慎故に「Xすべきでない」という人は勝手に自分一人で自粛してればいい。他者を巻き込もうとするな。「私にとっていいこと」が「他者にとっていいこととは限らない」という個人の多様性の事実を理解せず主観的な価値を「不謹慎」の名のもと強制させようとする卓越主義者が私からすれば「不謹慎」。

2011-03-18 15:09:44
@kenokabe

結局過渡期、こういういろんな内心、共感度合いが混在する状況においては、そういう直接的な被災者でない我々の間でも相互に配慮するしかない。誰かに「おいおい自粛しろ!不謹慎だ!」と押し付けるのは魔女狩りになるし、誰かに「窮屈だ!不謹慎なこと上等!言葉狩りすんな!」というのもまずい。

2011-03-18 15:12:21
@kenokabe

ひとつ、言えるのはね。「不謹慎のボーダーをさがす人」「地雷だ」っていう人は、共感なんてしていない。「経済回そう!」という正論に嬉々として同調する人も共感なんてしてない。本当は精神打ちのめされてるときに、普通に働くなんてとても辛いことのはずだ。

2011-03-18 15:14:57
@kenokabe

「不謹慎」とは言葉のもともとの成り立ち通り、これは内心、共感から創発する事象であって、もろもろの現実的な最適解とは原理的に矛盾する。現実的な最適解があるからといって謹慎問題はほんとは語れないし、語っているらばそれは欺瞞だ。 あるいはうしろめたい自己正当化。

2011-03-18 15:17:41
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