『いわさきちひろ展』に伴う記念イベント 7/23松本猛さん講演会@ピースあいち

7/23に行われた、ちひろ美術館常任顧問・松本猛さんの講演会の要旨をまとめました
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ピースあいちです。「いわさきちひろ展」の特別プログラムとして、ちひろの長男でちひろ美術館常任顧問である松本猛さんの講演会が、もうまもなく始まるところです。悪天候にもかかわらず、多くのお客様が来場中です。 pic.twitter.com/AaOP9But8v

2017-07-23 13:06:28
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今日もひっきりなしのお客様です。やはり女性が多いかな、という印象です。 pic.twitter.com/bFZMfUPTNc

2017-07-23 13:13:25
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松本猛さんの講演会、始まりました。「来年はいわさきちひろ生誕百年にあたり、記念プロジェクトを進めているが、そのプロデュースをしているのは30代の若い人です。新しい世代に届くものを創るのが課題だと思っています。」 pic.twitter.com/rQrYlklU8v

2017-07-23 13:36:56
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講演会が終わり、ご著書や母ちひろさんの絵本にサインをしてくださる松本猛さん。素晴らしい講演の内容は、後ほどまとめてツイートしたいと思います。 pic.twitter.com/pKHMbQXpBu

2017-07-23 15:42:51
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ピースあいちです。本日午後、いわさきちひろの長男でありちひろ美術館常任顧問・松本猛さんの講演会が行われました。祖父母のこと、母ちひろの生まれた時代、戦争に翻弄された青春、画業に賭ける情熱、彼女の描こうとしたものと、それを受け継ぐ私たちのこれからまで、あっという間の一時間半でした。 pic.twitter.com/Mrx66dyi3c

2017-07-23 22:12:08
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この有名な絵本『戦火のなかの子どもたち』は、猛さんが学生時代に母ちひろと寝食を忘れて創ったもの。ちょうど、ベトナム戦争が激しかった頃のことです。ベトナム戦争は、写真や映像を通して世界中の人がリアルタイムで戦場の様子を見た、初めての「見える戦争」でした。 pic.twitter.com/JSZbz2lHpY

2017-07-23 22:16:19
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空襲を体験したちひろには、ベトナムの子どもたちの気持ちが痛いほどわかり、原画には紙が破れるほど消したり直したりした跡があるそうです。映画を撮るように、大きなストーリーから細部を詰めていくのが通常の絵本作り。しかし、『戦火の』だけは自分の心に湧くイメージのまま次々に描いたそうです。

2017-07-23 22:23:47
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『母さんといっしょに燃えてった小さな坊や』というタイトルのこの絵を見た人が、「母親の顔がちひろさんに見えて仕方がない」と言ったそうです。彼女の目の中の怒りと、胸に抱いたわが子を守ろうとする思い。この絵を描いたとき、ちひろは「絵本の中に自分を出そう」と心に決めたといいます。 pic.twitter.com/wqiuwr2nNL

2017-07-23 22:28:41
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『赤いシクラメンの花』という絵。透き通るような赤い花びらの中に映る子どもたちの顔は、あどけなく寂しく見えます。添えられた詩には、「すきとおった花びらのなかから しんでいったその子たちのひとみがささやく 『あたしたちの一生はずーっとせんそうのなかだけだった』」 pic.twitter.com/Ji8LMXK2t9

2017-07-23 22:34:29
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絵本の出版は1973年9月で、銀座の画廊で開かれた個展に長蛇の列ができました。その一か月後にちひろは肝臓がんの診断を受けました。当時は今のように治療の選択肢も多くなく、彼女は翌年の8月に世を去ることになってしまいます。遺された家族は、これほど愛された彼女の絵を世に出そうとします。

2017-07-23 22:39:56
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しかし、日本中の美術館から断られてしまいます。当時は、絵本など美術館に所蔵する価値もないものと思われていたためです。それならば家族の手で美術館を創ろうと決意し、自宅の半分を壊して作ったのが小さないわさきちひろ美術館。世界初の絵本美術館の誕生でした。今では日本に40もあるそうです。 pic.twitter.com/o6lL4wjgvc

2017-07-23 22:44:54
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ご自身も絵を学んだ猛さんですが、母ちひろの命を削るような情熱と高い技術は到底真似できないと感じたそうです。月齢の異なる赤ちゃんを描き分け、子どもたちの日常を描いた中に、自然の音や空気、風まで感じさせる筆力。猛さんをモデルにした愛らしい絵もたくさん残しています。 pic.twitter.com/SH6VW1Cfda

2017-07-23 22:51:00
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1919年、ちひろが生まれた頃の日本は、シベリア出兵、大正デモクラシーなどの言葉が思い浮かぶ時代です。女学校入学の頃は満州事変や治安維持法。ヒトラーが政権を握り、小林多喜二が獄死した頃ですが、自由で豊かな女学生生活を送っていたちひろ。いつの時代も、危機は静かに進んでいくと猛さん。

2017-07-23 23:01:45
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美大に進学したいという希望も、両親の猛反対で断念。親の勧める結婚によって大連に渡りますがまもなく夫とは死別し、過酷な開拓団生活も体験。やっと帰国した東京で空襲に遭い、信州松本へ疎開することになります。激動の時期を経て、政治的な目覚めと再婚。その人生も絵に反映されるようになります。

2017-07-23 23:10:45
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ちひろは、美しいもの、綺麗なもの、可愛いものを全て奪った戦争を憎み、生命の象徴である赤ちゃんを好んで描きました。何故彼女の絵はこれほど多くの人を魅了するのか。『イマジン』という歌が広く歌われるように、絵の向こうにある平和への願い、子どもへの愛を共有できるからではないか、と猛さん。 pic.twitter.com/AwkuYdaHTD

2017-07-23 23:16:35
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ちひろ10代の頃、世の中には戦争に繋がる恐ろしいことが始まっていたのに、彼女も周りもそれに気づいていませんでした。今の時代も、同じようなことが起きているのかもしれない。彼女が生きていたら、きっと今の世に絵本を出していたはず。自分にもピースあいちにも共通する平和への願いです。(了) pic.twitter.com/qfIxlPMPNh

2017-07-23 23:23:10
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