全然関係ないけど、画面の中の女の子って殴れないじゃないですか。次元の壁の向こうでこっちなんか無いように振る舞ってますよね。俺たちはそのワンダーランドに妄想というツールで進入するんですよ。でもそこで他人によって提示された女の子の思考プログラムをなぞって妄想してもむなしいんですよ。
2011-03-19 06:57:58だからこそ俺たちは妄想の中で女の子を殴るんですよ。誰が想像しますか、自分が愛を持って生み出したキャラクターが愛を持って理不尽に殴られることを。そんな場合のリアクションなんて用意がない。A子というキャラクターを殴ったときの反応は誰の物でもない俺だけの物なんですよ。だから殴るんです。
2011-03-19 07:00:23萌え豚用に用意されたキャラクターってのは数パターンのうちの一つの過程を経て主人公に好意を寄せるわけですよ。愛らしい、混じりけのない愛を。僕らは普通、その愛を自分に重ねてリビドーを消化するわけです。でも、それってなんかつまらない。そうやって与えられた愛を受動的に受けていちゃダメなの
2011-03-19 07:03:29それをやっている限り、「これは、ただの、絵だ」の呪縛から逃げ出せない。その殻を破るたった一つの方法は、画面に自分をダイブさせるのではなく、ダイブした自己の中に彼女を生成し自分の物にすることです。
2011-03-19 07:05:14彼女を自分の中に練り上げ、モーションをかける。それに対してリアクションがある。このリアクションを“リアル”に感じたとき、彼女はボクの物になるわけです。でもそれは易しいことじゃない。人はどうしても他人にプログラムされた人格の呪縛から抜け出せない。
2011-03-19 07:07:11ここから抜け出すために、ボクは彼女を殴るのです。一生懸命用意してきた弁当を無慈悲にゴミ箱へと投げ込むのです。あるいは、唐突に車道に突き出すのです。そのとき初めて、彼女は創作者の呪縛から抜け出しボクだけのための反応を見せてくれるのです。あとは、それがかわいいかどうか。
2011-03-19 07:08:32あの一途なラウラをこの上ない裏切りで絶望させてあげたい。一生懸命作ってきた弁当を目の前でゴミ箱にダンクして一番リアクションが可愛いのは間違いなくラウラ。
2011-03-18 14:33:19ちなみにインディズムは創作されたキャラクターに対する愛情とそれを自分の中で確立するための方法であって性的なアレはあんまない。割腹されたキャラとか泣きわめくキャラで性欲を満たす趣味はない。
2011-03-19 07:17:04つまりは暴力やそれに近いことを彼女にするのは彼女がそれでも見放さないか、彼女に愛されているのかを確認するためだと思うわけです
2011-03-19 07:28:52自分が彼女から愛されているという事象は、自分が寵愛しているキャラを妄想の中に登場させるという時点で前提としてあるんだよ。妄想であるから、彼女が自分を好きになる課程というのは一切合切省かれて、ただそこに海より不拡大や門戸より堅い愛情だけが事実としてそこにある。
2011-03-19 07:33:33その愛情に満ちあふれた手のひらをひねりあげて、地面にたたきつけることによって得られるリアクションを想像したときこそが、もっとも彼女をリアルに感じられる、作り物ではなく自分の物と感じられる瞬間なんですよ。
2011-03-19 07:35:24