ABCCが放射線被曝よるに固形ガン増加を認識したのはいつか(2018.5.12公開)

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毎日新聞 @mainichi

原爆粉じん:急性症状多発 放影研、内部被ばく過小評価か bit.ly/2u8CFzk

2017-07-30 11:25:05
リンク 毎日新聞 原爆粉じん:急性症状多発 放影研、内部被ばく過小評価か - 毎日新聞 広島大の大滝慈(めぐ)名誉教授(統計学)らのグループが原爆投下直後に救護で広島市内に入った元少年兵を対象に実施したアンケートで、粉じんを浴びたグループの急性症状の発症頻度が、浴びていないグループの10倍以上と極めて高かったことが分かった。日米共同研究機関「放射線影響研究所」(放影研、広島・長崎両市 1 user 169
オカノリ @okanori75

2017年8月6日放送(テレビ朝日) 「追跡!原爆影響報告書 ~隠された安田高女の記録~」 tv-asahi.co.jp/telementary/ (以前、話題にしてた時のまとめ) ↓ togetter.com/li/621738 @sitesirius @YuriHiranuma

2017-07-31 16:30:17
オカノリ @okanori75

報道された大瀧氏の粉塵による内部被曝の報告は、それこそ72年前から続いてる「政治的な話」で、原爆投下後、呼吸の未知なる影響力を最初に言い出したのが都築正男。ご存知の方も多いと思うけれど。都築はそれを「毒ガスのようなもの」という表現で発表しようとしてファーレルらに「叩き潰され」た。

2017-07-31 21:52:19
オカノリ @okanori75

都築は、1945年時点では原子爆弾放射能症に「第1次放射能症」と「第2次放射能症」があり、それらとは別に「原子爆弾毒ガス傷(症)」というものがあると分類。自説を曲げないために追放される理由にもなりましたが、昭和34年の発表では毒ガス(?)も「第2次放射能障害」だろうと言ってます。

2017-07-31 22:04:01
オカノリ @okanori75

放影研が「固形がんリスクの増加は被爆の約10年後に始まった」とHPで説明するその根拠を聞いたらどう答えるか分からないですけれど。たぶん答える人(放影研関係者)によって違う。曖昧にしているわけですから。表向きは1963年のソコロウ論文。辻褄合わせで引っ張ってくるのが佐々木禎子さん。

2017-07-31 23:15:34
オカノリ @okanori75

あくまでも「原爆による固形癌増加の報告は甲状腺がんが最初」が放影研の都合の良い見解。

2017-07-31 23:20:40
オカノリ @okanori75

サダコ・ストーリーは世界的に有名。詳しい人だと禎子さんが白血病と甲状腺がんを併発していたことをご存じだと思います。佐々木禎子さんが亡くなったのが1955年10月末で、ABCCがすぐに遺体解剖し、禎子さんの甲状腺がんを発見します。この時がまさにABCCが癌調査に本気を出す大転換点。

2017-07-31 23:35:43
オカノリ @okanori75

意外と指摘されてない事で、佐々木禎子さんが亡くなってABCCが解剖した時、偶然にもフランシス委員会のメンバーが来日中で、組織改革のためABCCを調査していたんです。禎子さんの話は必ず彼らの耳にも入ったはずです。その後出されたフランシス勧告では癌登録制度を作るよう要請が入りました。

2017-07-31 23:46:40
オカノリ @okanori75

他に於保源作医師の報告がちょうどこの時期に発表されました。於保の癌調査は死亡率で割り出したもの。1955年の時点で過去5年間の調査票から被爆者の固形癌増加を発表。於保医師はすでにこの時点で肺癌と乳癌に有意差を出しています。医学誌の発表は翌1956年。ABCCは当時それを完全否定。

2017-07-31 23:55:30
オカノリ @okanori75

要点だけ言った方がいいですね。ABCCが被爆者の固形癌増加をやっと認めたのは1963年で甲状腺がん。ただしその時は論文を素っ気なく発表しただけで「癌が増えてました」などとあらためて言いません。それ以前に於保医師を筆頭に増加の報告は既にありましたがABCCは否定と無視を続けました。

2017-08-01 08:08:55
オカノリ @okanori75

ABCCは癌登録制度が始まってからの固定集団で発生率によって癌増加を発表しますが実はその前に一度、1959年に他の固形癌増加を発表してるんです。これは腫瘍登録委員会とABCCの共同論文といえるもので発表したのは当時のABCC統計部の石田ですが、これを「ABCCが」認めなかった。

2017-08-01 08:17:05
オカノリ @okanori75

訂正します ↓ ✖ → 広島市腫瘍登録委員会 〇 → 広島市腫瘍統計委員会

2017-08-01 11:11:15
オカノリ @okanori75

腫瘍登録委員会というのは広島市医師会によって設置されたものです。癌登録制度を作るために協力を先に持ちかけたのはABCCの方なんですが(1956年)、医師会はデータがABCC独占になりかねない事に警戒感を持ったので、協力はするが主導は医師会という条件をつけてABCCに飲ませました。

2017-08-01 08:26:34
オカノリ @okanori75

腫瘍登録委員会とABCCの共同により始まった癌登録制度が1957年に広島からスタートし、その20か月後に、集まったデータで統計をとったところ明らかに被爆者の癌が増加していました。乳がん、肺がん、胃がん、子宮頸がん、卵巣がん。それぞれ、非被爆者に比べて2倍から4倍の有意差でした。

2017-08-01 08:36:11
オカノリ @okanori75

原田東岷や於保源作の話によると、「それを1959年に発表したABCC統計部の石田保広は米原子力委員会の逆鱗に触れてインドに左遷された」のだそうです。その後、ABCCは甲状腺がんの増加以外を認めず、次にようやく肺がんの増加を発表して認めたのが1967年。於保の報告より11年も遅い。

2017-08-01 08:48:28
オカノリ @okanori75

ABCCが疫学統計により表で発表してきたことと、被爆者を解剖してつかんでいた情報とでは相当に開きがあって、佐々木禎子さんも、そういう意味の一例。1963年に発表のソコロウ論文以前、少なくとも1955年の時点でABCCは癌について「確信と答え」を既に持っていただろうと私は思います。

2017-08-01 09:47:24
オカノリ @okanori75

ABCCが甲状腺がんのみ増加を認めた背景には複数の理由があるんですが、ひとつにはフランシス勧告以降、ABCC幹部研究者契約の在り方が変わったことが影響しています。米国本国で実績を持った学者を2年契約で招聘するかたちに変えたので、彼らはクビを心配せずにある程度自由に発言できました。

2017-08-01 10:54:36

毎日新聞ニュース @mainichijpnews

75年放影研改組:被爆者調査、「反米解消」へ共同運営 bit.ly/2vjONCA

2017-07-31 08:05:07
オカノリ @okanori75

この1975年当時の放影研改組についての評価は、ABCC問題に関する相良カヨさんの研究論文の結論箇所だけスクショ置いておきます。(相良氏の表現も皮肉混じり) pic.twitter.com/SRSPpgdkbe

2017-07-31 09:01:52
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リンク RCCニュース - RCC 中国放送 「放影研「保存試料」 活用策検討委始まる」RCCニュース - RCC 中国放送 放影研=放射線影響研究所は、長年の調査の一環として被爆者から集めた血液などを保管しています。その試料を今後どのように活用していくのか…。専門家などによる議論が始まりました。 7
オカノリ @okanori75

「(ABCCが)被爆者にガンが多いことなどを解明しました」 と、RCCがナレーションしてますが視聴者に誤解を招きかねない雑な表現で注意が必要です。 被爆者癌の増加を最後までなかなか認めず否定を続けたのがABCCです。 これでは最初に解明したのがABCCみたいに聞こえますね。 news.rcc.jp/?i=1361#a

2018-05-12 05:25:42