「ストーリーマンガ」の手塚治虫起源説の誤謬と、1960年代後半の“断絶”について
2017年8月
「日本のストーリーマンガは手塚治虫から始まった」という手塚起源説が、思った以上に根強く信じられている。マンガ研究・批評の世界ではこれを言い出した時点ですでにアウトなんだが、人文社会芸術系の研究者からも素朴に出てくるので驚く。あとマンガ業界関係者からも。
2017-08-01 11:03:02ただ「手塚起源説」を間違いであるとしても、それで手塚治虫という作家の仕事の巨大さは厳然としてあるし、評価が下がるわけでもない。そうではなく「手塚治虫を起源とする見方」では、マンガへの理解は深まらないということ。たとえば「少年ジャンプ史」ひとつとっても手塚起源史観では書けなくなる。
2017-08-01 11:05:44「ジャンプ史」が書けなくなるでしょ、というのはマンガ関係者に説得的な言い方なんだが、一方、人文系の学者のひとには「これは戦後の近代化論のヴァリエーションと考えられます。戦前におけるモダニズムが見えなくさせられている」という説明がかなり説得的に機能する。
2017-08-01 11:07:57念のため繰り返しておきますが、私自身は手塚治虫の相当なファンであり、手塚治虫という偉大な才能は、今後も顕彰され続け、作品も読み続けられるべきと考えています。でも同時に、手塚治虫起源神話のいわば代償として、その価値が見えにくくなっている作家の仕事にも光が当てられてしかるべきだと。
2017-08-01 11:11:14
「手塚治虫=戦後ストーリーマンガ起源説」の根強さは、たとえば田村吉康氏の海外での実践を伝えるこの記事からも読み取れる。 田村氏の実践は素直に賞賛するし、現状認識も正しいと思うのだが… twitter.com/GoITO/status/8… buzzfeed.com/jp/yuikashima/…
2017-08-01 11:19:50 →▼イスラム教の国で「マンガ」の可能性が再発見される。「ムスリムの女の子には、少女マンガは超衝撃的」(嘉島唯)〔2017/07/30〕|BuzzFeed https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/yoshiyasu-tamura
→▼田村吉康 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/田村吉康
「日本のマンガは主要人物が途中で死亡したり、主人公が変わる場合すらある。これは、手塚治虫が、作中でキャラクターを殺したことから始まると田村さんは分析している。」と「マンガはもともと、紙に大量に印刷されることを前提として、戦後から発展した形式」という二点には一言申し上げておきたい。
2017-08-01 11:24:07
この異論をどうか「せっかくの活動にマニアックな視点から水を差す駄目なオタクの所作」と受け取らないでほしいと切にお願いします。 いや本当にそうで、逆に手塚起源神話、戦後ストーリーマンガ史観から脱却したほうが、「これから」の状況の変化には対処しやすいと考えているのです。
2017-08-01 11:31:03これは「いまのマンガ」をどう見るか? という話です。 そこで「いまのマンガ」に直接つながる「マンガ」は1960年代末までしか遡れないという見方を採ると同時に、別の観点から「マンガ」は戦前~19世紀からずっと続いていると考えるというのが、現時点では妥当なマンガ観と考えています。
2017-08-01 11:37:04
前者の「1960年代後半」に”起源”を置く考え方の根拠のひとつは、「雑誌連載作品が同じ出版社の雑誌ごとのレーベルで単行本にまとめられ、大きなセールスとなる」というビジネスモデルの成立です。媒体のこのような変化が、表現や主題に深くかかわることは言を俟たないでしょう。
2017-08-01 11:41:05「雑誌連載→単行本化」の成立を考えに入れると、先に引用した「マンガはもともと、紙に大量に印刷されることを前提として、戦後から発展した形式」を、「1960年代後半以降発展した形式」としたほうが現状の説明には適切ということになるのではないでしょうか。
2017-08-01 11:47:41雑誌連載→単行本化というビジネスモデルと、長期にわたる連載という形式が、1960年代後半から70年代にかけて成立したものであることは、こちらの論文に詳しいです。 ci.nii.ac.jp/els/contents11…
2017-08-01 11:49:52 →▼CiNii 論文|「「コミックス」という出版メディアの生成 :1960-70年代における新書判マンガ単行本出版を事例に」(山森宙史, 2013) http://ci.nii.ac.jp/naid/110009579053
「手塚起源神話」への批判は、それこそ『テヅカ・イズ・デッド』のころから繰り返してきたことですが、テヅカイズのときには抽象的にマンガ表現をとらえるモデルへの志向と、戦前/戦後の連続性のほうに意識が行っていましたが、最近は、手塚起源神話はむしろこの60年代後半の「切断」こそを
2017-08-01 11:53:04覆い隠しているのではないか? と考えるようになってきました。 学生さんたちの「マンガ史」の授業への反応にも、1970年代以降のマンガになると「急に親しみやすいマンガになってきた」というものが多くみられます。
2017-08-01 11:55:31あらためて考え直してみると、現在の私たちは、1960年代後半あたりより以前のマンガに「いまのマンガ」とはどこか異質なものを感じていないでしょうか? 「急に『いまのマンガ』になった」という感覚が指し示すものは何なのか? このことに強く関心が向いてきているのですね。
2017-08-01 11:59:00もっとも、60年代以前のマンガでも、手塚治虫をはじめとして、突出した才能の仕事は、それぞれの作家の固有の作品として読めてしまいますから、それだけを見ていたのでは、ここでいう「異質さ」はピンとこないかもしれない。また世代によっても感覚は異なるでしょう。
2017-08-01 12:00:32しかし、いまの学生さんたちの世代との間で「戦後」の「ストーリーマンガ」という枠組みがすでに共有されていないことは確かです。ではその「共有されなさ」を前提としたマンガ史が書かれるべきではないのか。
2017-08-01 12:01:59
応答
@GoITO 販売システムは手塚さんあたりが起源としても 漫画そのものはもっと前からあるはずですからね それこそ「のらくろ」とかはどうだったんでしょうかね
2017-08-01 12:12:50