ダンサブルといわれるものの大半は、歴史的な身体性に基づく不均等リズムではなく ドンかま式のメトロノーム均等リズムとサンプリングで出来ているように思う。

1990年代以降、以前と比較にならないくらい「ダンス」が独立して全面に出てきたと思う。背景の一つに打ち込み画あるように思う。
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Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

1990年代以降、以前と比較にならないくらい「ダンス」が独立して全面に出てきたと思う。背景の一つに打ち込み画あるように思う。ダンサブルといわれるものの大半は、歴史的な身体性に基づく不均等リズムではなく ドンかま式のメトロノーム均等リズムとサンプリングで出来ているように思う。

2017-08-10 08:22:55
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

コンピュータが音を発生する事で発音そのものと人間の身体のあいだに乖離が生まれ。それを埋め合わせるように、ジャンクとなったターンテーブルからスクラッチなどアナログ・スクラップが再発見されてこの25年ほどのDJモノの原点になったと思うが、僕はDJの所作に何の思い入れもなく、微妙に苦手

2017-08-10 08:25:28
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

古いといわれればそれまでと思うが、アイドルなど売り出すに当たっての踊りや、DJの身体的なグルーヴ、どちらも音と何の必然の関係もない。いや、関係から自由になって多様な可能性が生まれた、なんてきれいごとも言えるだろうが、おじさんの目には無関係な踊りで何が面白いの?と映ることも多い。

2017-08-10 08:27:06
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

何でか?と考えると、ダンス自体の生命力の弱さにあると気づかされる。アフリカでも南米でも、土着民の宗教儀礼とか仮面ダンスとか、それはもう大変な説得力の身体情報発信、なまばげだってお神楽だって強いものはいくらでもある。そういう強さと、女子高生量り売り式の群舞未満みたいのと全然違う訳で

2017-08-10 08:29:16
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

テレビは素人の日常を等身大で映すと面白い。いま量産されるある種の身体運動は、カラオケ同様ファンがちょっと練習すると、そこそこフォロー出来る簡単さであるのがたぶん重要で。その範囲でそれなりに格好をつけるというのがプロに求められる振り付けなのだと想像する。よく言えば表現の民主化だが・

2017-08-10 08:31:05
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

いわゆる「ハレ」と「ケ」の議論から考えると、出口のないまったりとした日常を生きるということになって、そういう社会学者がいるかと思うけれど、結局どこか暗部が膿んでくる。1980年代以降、世間を騒がす猟奇殺人事件などの変遷を見ると、そういう出口のなさ加減を微妙に反映しているように思う

2017-08-10 08:32:34
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

カーニバルでもなまはげでも、非日常の亀裂みたいなものとして日常の生産活動をいったん停止させる強さ、ハレの転倒があったわけでしょ。でもテレビ的な日常にはそれがない。そこで思うわけ、ネットとかユビキタスにはどのようなハレがあるか? 炎上というのはひとつのあり方なのだろうと思う。

2017-08-10 08:36:38
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

メディア多感症/不感症みたいなのもあると思う。若い子がキャーキャーいうような「カワイー」を殆ど僕は可愛いと思わないし思えない。これは最近の現象ではなく思春期でもそうだったから、僕が変といわれればそれまでかもしれない。だが古い世代に何が面白いのかさっぱりわからん系のものは増えたかも

2017-08-10 08:41:36