《貧困・餓死。目の前にある問題を直視しませんか?》

自己ツイートをまとめました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私は1962(昭和37)年生まれで、まさに高度経済成長と肩を並べて年齢を重ねてきた人間だ。日本社会は徐々に豊かになったように見えていた。しかし、注意深く観察すれば貧困は周りにあったのだ。大学時代を過ごした東京では、ホームレスがターミナル駅で倒れているのを警察官が足蹴にするのも見た

2017-08-15 21:34:23
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その大学生だった時期に、大学で出会った教員に目を開かされ、在日外国人の歴史、大日本帝国の植民地支配の実態、過酷な労働で身体の抵抗力を無くしハンセン病にかかり故郷に帰れなくなった人たちのことも学んだ。全生園も訪ねた。 1980年代前半の事だった。 貧困が身近にあることを学んだ。

2017-08-15 21:38:05
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

卒業論文のテーマに、ある在日韓国人小説家を選んだ。彼は東大理Ⅰの卒業生で、院にも進んだが、就職先がなかった。彼の指導教員もそれが国籍の為であることを隠さず、民族内で就職先を探すように勧めた。そういう自身の経験を小説の題材にしていたが、私が卒論を書いている間に、彼は自死を選んだ。

2017-08-15 21:42:23
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

大学4年の時期なので、民間企業への就職を目指す学友は、今でいう「就活」をしていた。説明会に行くと、受付が大学ごとに違い、東大、早慶一ツ橋、「それ以外」と分かれていて、私が学んでいた大学は「それ以外」に分類され、採用する気がない、ということを暗示する説明を受けたという。

2017-08-15 21:45:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

一方近代日本とアジアの関係を学ぶゼミでは、日本が難民をほとんど受け入れない一方、安価な労働力として受け入れる「研修生制度」で、現地では比較的学力が高い人間を日本に半分だまして入国させ奴隷のように扱っている事を知った。ここにも貧困があった。外国人を働かせる現場は収支がギリギリだった

2017-08-15 21:50:52
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私が大学生だった頃には、まだコンピュータは超高級品で、何かを調べる為には、大きな図書館が最も大きな情報量を持つ場だった。そこで色々と工夫して調べても、どうしてもたどり着けない数字があった。 「日本では一年間で何人が餓死しているのか」 理解できたのは「日本では餓死者を数えない」事。

2017-08-15 21:56:28
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私が幼いころには、農村でもまだ周辺を物乞いの人が歩いているのを見かける状況だった。やがて、農村ではそのような人々の姿を見かける事が少なくなっていたが、都会に来ればホームレスの姿を頻繁に見かけた。1980年代前半には、そういう人たちを警察官や救急隊員が手荒に扱う姿も見た。

2017-08-15 21:59:58
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私が見かけたホームレスの何割かは、死因不明で片付けられる死に方をしただろう、と私は推測した。その中には餓死も含まれるだろう、と思った。 しかし、テレビや大手出版社の雑誌で発言する人たちは「日本は豊かで、世界一の国になった」「誰も飢え死にすることもない、豊かな国だ」と形容した。

2017-08-15 22:03:59

異論があったので、反論を付け加えておく。
日本では、死者が出た場合、1割程度しか検死を行わない。
入院したり、かかりつけの医療施設があった場合には、その為に死因が特定されるのだが、(だからと言って、正確とは限らない)死者がホームレスのような場合には、「担当者」が見た目で判断して終わり、というのが一般的だ、

宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

バブル経済崩壊前の日本社会で、「この国は、いくら貧乏でも、飢え死にする人などいない」と断言する人が大手メディアで好き勝手なことを言い、誰もそういう人を咎めなかった。大きな言論の場では。 わずかな人たちだけが、貧困に苦しむ人と向き合っていた。 例えば宇都宮健児弁護士のような人が。

2017-08-15 22:07:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

実は、バブル経済真っ盛りの時代にも、借金や騙されて、という理由で、人身売買された日本人女性たちもいた。外国籍の人や、日本国外から連れて来られた人たちは、売買されることがもっと多かった。 ホームレスの人たちは、ずっと見え隠れしていた。 そういう人たちを助ける制度は、機能しなかった。

2017-08-15 22:11:45
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

バブル経済が崩壊しても、しばらくの間は「そうは言っても、日本は米国に次ぐ世界で2位の経済大国なのだから、餓死する人などいない」という考えの人は、なかなか減らなかった。 その間もずっと、数えられない餓死者はいたのに。 日本の与党政治家も官僚も、経済成長の不公平さを見ないでいた。

2017-08-15 22:15:18
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

外面を飾りたてること、見たくないことから目を背ける事から、 無理やりにでも貧困に注目させるようになったのは、 阪神淡路大震災の被災者のその後を報じるようになったころからだったかと、 個人的には考えている。 阪神淡路大震災の中で、殆どのものを失い、家族も失った人の孤独死の「発見」。

2017-08-15 22:19:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

そこに関係するように、震災とは関係ない所での「孤独死」も「発見」され、報道されるようになってきた。 生活保護を申請しなかったり、申請を水際で妨害されたりして、水道や電気も止められたまま、「孤独死」する人が報道される。 その「孤独死」の何割かは病死だが、他の何割かは「餓死」だった。

2017-08-15 22:22:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

餓死が「再発見」されてしばらくの間は、 「餓死は例外的なレアケース」として扱われてきた。 しかし、そのような「発見」が繰り返されるとともに、 ブルーシートや段ボールで暮らすホームレスの中の「餓死」も可視化されていく。 流行作家が殺人トリックに使う頃には、餓死は否定できなくなった。

2017-08-15 22:25:55
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私が生まれた1962年から、2017年の現在まで、 ずっと絶えることなく、餓死者は存在したのだ。 ただ、日本の公的機関やマスコミが話題にしなかっただけで。 同じように人身売買される人も存在したのだ。 これも日本の公的機関やマスコミが、国連人権委員会から指摘されても無視しただけで。

2017-08-15 22:29:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

いわゆる「ネトウヨ」の看板に使われるような「言論人」は、 過去の日本がどの様な社会であったのか、他国に何をしたのかを、勉強しない。 または知っているけれど意図的に無視する。 その姿勢は、ずっと日本に存在した貧困や、餓死や、人身売買を、なかったかのように目を背けてきた姿に重なる。

2017-08-15 22:32:40
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

たとえ、不快な事実であっても、事実として受け止める。 そのような度量がない社会は、住みよい社会にはならないと思う。 日本のことわざで言えば「臭い物に蓋をする」ことを続けていては、 いずれ、さらに不快なものに直面することになるだろう。 まずは、餓死者を数え、人身売買を止めさせよう。

2017-08-15 22:42:42

もう一点、補足しておこう。
私が確認できた実例だ。ある高校の運動部の主将だったのだが、
彼のミスでチームは敗戦し、そこで彼らの代の試合は終わりになってしまった。
数日後、彼は自死を選んでしまった。しかし、家族は「事故死」として処理してもらい、高校でも「事故死」として全校集会を開いて、葬儀も「事故死」で押し通し、それで終了。
まるで横溝正史の小説のような話だが、元号が平成になってからの話だ。
「死因」の統計は、当てにならない。

宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

方向性を探すのは、簡単だ。 この国には、日本国憲法がある。 この世界には国連人権規約がある。 ルールはあるのだ。方向性も確かなのだ。 あとは、学歴や財産や社会的立場に関係なく、それを守らせるだけだ。 巨大企業の経営者も内閣総理大臣もホームレスも、同じに扱う。 みんな、人間だから。

2017-08-15 22:48:20