健常側の人間が障害をテーマに映画を作ると、当事者とは異なる障害を擬人化させたキャラクターが生まれてしまうということ

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生命情報保存研究所 @rodan670

アニメ映画「心が叫びたがってるんだ」では、幼少期におしゃべりすぎたがゆえ人を傷つけてしまったことがトラウマとして残り、人前で話せなくなってしまった少女が、クラスメイトに支えられるうちに自らの症状の根源を理解克服し、内なる声を取り戻す過程が描かれている。

2017-07-31 10:55:01
生命情報保存研究所 @rodan670

この映画では一歩も二歩も踏み込みよりリアリティのある障害の描写がなされる。成瀬はクラスメイトひしめく教室内で口を開く必要性に迫られた際、脳内にある文章の最初の一文字の発声を何度も繰り返した後、しかしかなわず腹部を押さえて室外に飛び出してしまう。

2017-08-17 08:28:47
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成瀬の症状は、現実に存在する病である吃音症や過敏性腸症候群を連想させる。仮にもアニメの美少女キャラクターが腹痛を起こしてトイレに駆け込むなどあまりにも生々しい。反面、この導入部において、この作品は、純化された都合のよい障害とは決別し、障害を真正面から描くものかとの期待も生まれる

2017-08-10 08:23:25
生命情報保存研究所 @rodan670

しかし物語が中盤以降にさしかかるにつれ、成瀬が示す障害の生々しさは次第に影を潜める。ストーリー上では成瀬のよき理解者かつサポート役であると同時にボーイフレンド的ポジションをとる坂上拓実や、初期は成瀬の障害に難癖をつけるなど敵対的言動を見せた田崎大樹らとの連携が生まれ

2017-08-11 08:29:03
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ミュージカル劇を成功させるという共通目的へ向かって邁進するうちに、成瀬のなかに自信や積極性、社交性が芽生え始める部分である。「再生」しだした成瀬は意思表示の欲求を強め、発声が不自由な中にあっても勢いよく手を挙げたり、思い切り首を振るなどして心のうちを顕わにしようと試みる。

2017-08-11 08:34:50
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その健気さには愛らしさが感じられる。感じられるというより視聴者にそう感じさせるように作り手が成瀬を動かしている。この時点で当初かつてない生々しさをもって描かれた成瀬の障害状態は、一転してチャームポイント、下手をすると萌え要素に転げ落ちている。

2017-08-11 08:38:02
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このような取り扱われ方は、障害の当事者にとって理解できるものではない。「障害」とは文字通り当人が意図した行動を阻害しその本質を歪める邪魔者であるに過ぎず、当人のキャラクター要素などでは間違ってもないからである。

2017-08-12 08:58:56
生命情報保存研究所 @rodan670

障害の当事者がフィクション世界上で自らの分身となるキャラクターを構築する場合、その症状に関する描写は、本人が自認する自らの本質に関する描写よりもウェイト的にずっと低くなるものと考えられる。フィクションというシステムが雑多な情報をそぎ落としてくれる部分に期待するのならば

2017-08-15 08:47:12
生命情報保存研究所 @rodan670

むしろ己の症状についてはさわり程度にしかふれない当事者も少なくないかもしれない。そうすることで障害というイレギュラーに煩わされることのない、本来有得るべき自らの真の像に迫ることができるからである。ただ、アニメに登場するハンディキャップ保持キャラクターが見せる顔はこれとは異なる。

2017-08-15 09:01:41
生命情報保存研究所 @rodan670

「心が叫びたがってるんだ」の成瀬のようなキャラクターの場合、ハンディキャップを抱えながらも努力する姿は観る者に健気さと庇護欲、同情と共感を覚えさせ、奮闘の果てに症状からの「解脱」を達成する物語のメインフレームは大きな感動を生む。しかしこのメインフレームを成立させるために

2017-08-15 09:11:27
生命情報保存研究所 @rodan670

成瀬というキャラクターの本質の多くの割合は、まずハンディキャップ保持者であることで占められる。「障害の擬人化」がここでおきる。障害を擬人化させたキャラクターをストーリーの中で肯定的に生きさせるためには、なるべく負の要素はそぎ落としていかなければならない。

2017-08-15 10:02:30
生命情報保存研究所 @rodan670

「心が叫びたがってるんだ」の冒頭で見られた、吃音症や過敏性腸症候群を想起させる生々しい描写も物語の中盤以降では結局影を潜めてしまったし、擬人化にありがちなこととして、成瀬がプラス要素の権化とも言うべき美少女キャラクターとして存在していることも重要である。

2017-08-15 10:13:34
生命情報保存研究所 @rodan670

ほぼ同時期に公開され、やはり障害がテーマに据えられたアニメ映画「聲の形」でも、主人公であるハンディキャップ保持者、西宮硝子は美少女キャラクターとして描かれていた。成瀬も西宮も高校生であり、同級生によき理解者を有している。アニメという媒体にて、障害という現象を擬人化させ

2017-08-16 16:27:25
生命情報保存研究所 @rodan670

これを肯定的に描き感動的なストーリーにつなげようと考えた場合、そのキャラクター像はある程度共通した姿に収束していくことが見て取れる。障害の擬人化像がこの対極、例えば孤独で無愛想なおじさんであるというケースは、アニメという舞台ではあまり想定できない。

2017-08-16 16:34:11
生命情報保存研究所 @rodan670

このような人物像は、逆にハンディキャップ保持者が直面する重い現実、絶望に焦点を当てた、ドキュメンタリー作品などで多く垣間見られる。ただこのような作品の場合、撮影者側にハンディキャップ保持者が抱える負の側面を強調して抽出しようとする意図が働くあまり、

2017-08-16 16:39:18
生命情報保存研究所 @rodan670

そこに描きだされることになるのは実写であるにもかかわらず当事者の実像からは乖離したやはり障害の擬人化キャラクターとなってしまう。障害をテーマに映像を製作しようと試みた場合、作り手には感動か絶望かのどちらかを描くしかないという強迫観念が生じ、

2017-08-16 16:42:55
生命情報保存研究所 @rodan670

結果としてハンディキャップを保持していることが己を構成するほぼすべての要素という、障害の擬人化キャラクターが形成される。しかし現実の当事者は障害という邪魔者を抱えているだけで、特に感動を生むために生きているわけでも、絶望に暮れるために生きているわけでもない。

2017-08-16 16:48:47
生命情報保存研究所 @rodan670

当事者がフィクション世界上に自らを投影しようと考えた場合、障害は本人の本質を形成する主要要素ではなくむしろその正常な発現を妨げる邪魔者であるため、削られてしまってかまわない。そうすることでその人間の真の像により正確に迫った分身が作り出されることとなる。

2017-08-17 06:36:51
生命情報保存研究所 @rodan670

ただ、これは残念なことにフィクション世界上にて障害を理解したいと考える視聴者、あるいは表現したいと考える製作者の思惑とは反する。彼らが求めるのは障害に苦悩し、葛藤の末これを乗り越え、あるいは押し潰される、いずれにせよ障害に根底からとらわれた人間とそのドラマである。

2017-08-17 08:29:17
生命情報保存研究所 @rodan670

結果、健常側の人間が、フィクションにてハンディキャップ保持者を描こうとした場合、それはハンディキャップを保持していること自体が自身の主要要素となる、障害という現象を擬人化させたキャラクターの姿に落ち着く。ただこれは、実際の当事者とは似ているようで全く異なる生命体である。

2017-08-17 06:59:24