ぐだぐだ文アル帰省旅 その4 ー大宝館編ー

帰省先なのをいいことに山形県庄内地方の文アル関係の場所を周ってきた旅行記になります。基本ノープランなのでぐだぐだです。文アルと言いつつほぼ利一さん。 その1:https://togetter.com/li/1144911 その2:https://togetter.com/li/1144942 その3:https://togetter.com/li/1144960
2

※帰った後に連投したものになるので現地ツイートではありません

ゆほ @euphoniumG59

さてさて、これのまとめを流しましょうか…連投注意ですよ。 twitter.com/euphoniumg59/s…

2017-08-17 21:11:06
ゆほ @euphoniumG59

大宝館は大正天皇の即位を記念して物産陳列場として建てられ、その後図書館と会議場と集会場を兼ねた複合施設として運用されました。現在は鶴岡市出身の偉人を顕彰・紹介する博物館となっています。元の使用用途が帝国図書館のようだ… 最近だと刀剣乱舞のコラボでこの子が来ましたね pic.twitter.com/UccF0iOvdp

2017-08-17 21:13:18
拡大
拡大

ここで使用用途を図書館、集会所、会議場、と言ってますが、図書館、集会場、食堂の間違いです。

何故こんなところに来たのかというと、ここには利一さんの晩年の資料や遺品も展示されているから。

ゆほ @euphoniumG59

建物は大正・昭和初期の内装そのまま、室名表示も当時のままなので内装も見てると楽しいかもしれないです。食堂とか圖書館とか書いてあります。昭和5年に利一さんも大宝館で講演した事があるそうな。

2017-08-17 21:14:28

そもそもなんでこの鶴岡に利一さんの関係資料があるのか、来たことのある土地が多いのかというと、二人目の奥様の千代さんが鶴岡市の出身だからです

両親を早くに亡くし、父親の仕事の都合で一か所に落ち着くことも無く、はっきりとした故郷を持たなかった利一さんにとってこの土地は居心地が良かったのか、結婚後は度々鶴岡に訪れておりました。特に夏になると避暑のために毎年来ていたそうです。
戦争末期には羽前水沢の西目村に家族で疎開し、度々名前を出している「夜の靴」が生まれるきっかけとなりました。

そして2000年に「夜の靴」の文学碑が建立されたことを機に、遺族の方から関係資料が鶴岡市に寄贈され、この大宝館にて資料の展示を行っています。

ゆほ @euphoniumG59

建物の内装は撮影可です。展示物も近接撮影しなければ可ですが、撮影する場合はスタッフの方に声をかけてから行うこと。 撮った写真をSNSなどのインターネットへアップロードするのはダメだそうです (たまにあげてる人がいますが、私はダメって言われた)

2017-08-17 21:15:25

※2018年現在は全館撮影禁止となっています。

ゆほ @euphoniumG59

展示内容は箇条書きで… ・利一さんだけ展示範囲がおかしい、豪華さなら高山樗牛の生家の再現のほうが上だけど展示数が段違い ・奥さん美人 ・一階は入ってすぐ左に行ったところのコの字の一角にいる。弟子の森敦がお隣、お向かいが藤沢周平。 ・何気に川端と菊池さんも写真付きで紹介されてる

2017-08-17 21:16:20
ゆほ @euphoniumG59

・直筆の書、使用していたクリスタルのペーパーウェイトと文箱と扇子、有名な川端と将棋を 打ってる写真(寄贈品のうち1つなのでおそらく実物)が展示 ・隣の弟子の森敦のコーナーにも、弟子を新聞小説連載に推薦した時のお祝いの写真と、弟子の結婚式の集合写真に並んで写ってる。

2017-08-17 21:17:16

藤沢周平は言わずと知れた鶴岡市出身の時代小説作家。大宝館の裏に藤沢周平記念館もあります。

森敦は、利一さんが菊池さんと一緒になって特に可愛がってた弟子です。利一さんの推輓で弱冠二十歳で新聞連載小説にてデビューした後、何の因果か利一さんの奥さんと同じ庄内出身の方と結婚し、戦後は文壇から去ってこの地に行きつき各地を放浪。その後、再び文壇に戻り「月山」を書き上げて62歳で芥川賞を受賞しました。
作名の月山が庄内の山であり、そしてこの作品をもとにした体験がきっかけで鶴岡市(旧朝日村)の名誉市民にもなっています。

詳しくはエッセイ集「文壇意外史」「わが青春 わが放浪」を読んでください。どちらも(文壇意外史は文庫版の「星霜移り人は去る―わが青春放浪ー」の名前で)電子書籍化されています。師弟可愛いエピソードてんこ盛りで、新感覚お司書のバイブルと言っても良いぐらいです。むしろ師匠が弟子を好きすぎる。

…弟子も図書館に来ませんかね。菊池さんと利一さんに書けって言われて書かなかったらしいので、図書館で「書くのがおせーよ!!」って小突かれてるところが見たいんですが。

ゆほ @euphoniumG59

・二階は正面向かって左側の階段を上ってすぐの所が展示スペース ・2000年に夜の靴の文学碑が建立されたのがきっかけで、次男の祐介さんから鶴岡市に資料が寄贈され、会期を4回に分けて現在その資料を展示中。現在は二期。上海に渡航した辺り。 ・奥さんめっちゃ美人

2017-08-17 21:18:02
ゆほ @euphoniumG59

・ケース内は一人で、というより奥さんとお義父さんと一緒に紹介されてる。 ・奥さんに買ってきた上海土産のチャイナドレス、実際に使っていた旅行カバン、上海からの奥さん宛の手紙(実物)、その他いろいろ展示 ・ケースの向かいにお部屋の再現展示。棚と屏風と、絶筆時に使用していた机が設置

2017-08-17 21:18:37
ゆほ @euphoniumG59

・利一さんの机は思ったより小さくて簡素な作り。弟子が文壇意外史で言ってた通りインクの瓶が二つあった。 ・机の喀血の跡は消えてしまったらしい ・奥の集会室まるっと一つ使って直筆原稿とお手紙と絵葉書と実際に使われていたお財布が展示 ・夜の靴の舞台、水沢の西目の紹介もここでされている。

2017-08-17 21:19:57
ゆほ @euphoniumG59

展示の内容はこんな感じ。 大宝館は入館無料ですが、資料の販売を行っております。これがその一つで、息子さんからの寄贈目録なんですが…内容が大変な事になってる… pic.twitter.com/TuC14NbQgg

2017-08-17 21:21:44
拡大

私も、これを見つけたのは偶然でした。
帰る前に入り口脇のガラスケースが気になって覗かなかったら買わないでスルーしてたかも…

大変なことになってる内容は以下の通り

ゆほ @euphoniumG59

寄贈品の内訳の一部が… ・絶筆である洋燈の直筆原稿(千代さんが清書したものと白紙原稿含む) ・旅愁の直筆原稿45枚 ・上海渡航時・欧州紀行時に千代さん宛に出されたお手紙と、千代さんとお義父さんのお返事のお手紙 ・晩年まで使っていた遺品関係 ・直筆書画多数

2017-08-17 21:25:03
ゆほ @euphoniumG59

・草野心平直筆の色紙 ・菊池さん直筆の利一さん宛の弔辞&千代さん宛の利一さんを偲ぶ俳句の色紙(包み紙に「あまり多くの者には見せないように」の添え文付き) 原稿は触りだけですが書簡は全文載っていて、且つ横光文学研究家の井上謙さんの解説も付いてます。

2017-08-17 21:28:38
ゆほ @euphoniumG59

特に新感覚クラスタの皆さんは是非来てもらって、資料集買ってもらって、菊池さんの弔辞と俳句で泣いてほしい…川端の弔辞に比べると簡素だけどそれだけに刺さる…

2017-08-17 22:05:23

つぶやきでは「見せないように」と書きましたが実際には「見せなさらぬように」と書かれています。

菊池さんの弔辞と色紙見つけた時は思わず変な声が出ました。
弔辞も俳句も川端のそれに比べると簡素なんですけど、それだけに辛いのがダイレクトに刺さります。自分の後を託そうとした弟子であり友とも呼べる存在に先立たれるのは、想像を絶する悲しみだろうと思うとしんどい…。

編集時点で公式に発表が出てないのであまり大きな声で言えないのですが、市立図書館で利一さんと弟子の展示があったりなかったりするのでお司書はこれを機に是非きてください。そして目録集買って私と一緒に泣こう。

そんでもって、丸岡城史跡公園リベンジ編に続く

まとめ ぐだぐだ文アル帰省旅 その5 ー丸岡城史跡公園リベンジ編ー 帰省先なのをいいことに山形県庄内地方の文アル関係の場所を周ってきた旅行記になります。基本ノープランなのでぐだぐだです。文アルと言いつつほぼ利一さん。 その1:https://togetter.com/li/1144911 その2:https://togetter.com/li/1144942 その3:https://togetter.com/li/1144960 その4:https://togetter.com/li/1145310 1679 pv 12