ぐだぐだ文アル帰省旅 その5 ー丸岡城史跡公園リベンジ編ー
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※帰った後に連投したものなので現地ツイートではありません
これのリベンジを流しますよ、連投しますよ twitter.com/euphoniumg59/s…
2017-08-18 23:09:21そして…本命の旧日向家住宅こと楽朋館なんですが… >>開館日土日祝だけ<< pic.twitter.com/8NSFLkpZo0
2017-08-15 12:53:04あの後どうしたのかというと…
諦めきれずに、置いてあったパンフレットに記載されていた連絡先に片っ端から電話しまして…ガイドさんに連絡がついてなんとか開けてもらうこととなりました。
まず注意点! ガイダンス施設である旧日向家住宅こと楽朋館は土日祝のみの開館になります。それ以外の日は要事前予約です。 てかよく見たらここに書いてあるね!! city.tsuruoka.lg.jp/smph/shisei/sh…
2017-08-18 23:11:04平日でも案内所は開いてますが人はほぼ居ません。パンフと資料があるのみ あと現状の施設のメインとしては「加藤清正公及び加藤忠廣公の顕彰と、県指定史跡である丸岡城史跡の歴史と文化の紹介」なのでそこをすっ飛ばす事のないようお願いします。地域の方の加藤家への信仰はかなり篤いです。
2017-08-18 23:12:03開館日はみんなも気を付けてね!!
あと行く人はいないと思いますが、冬季期間は休業しています。
庄内は雪と吹雪と地吹雪が酷いので、ここに限らず冬季期間は開いてない施設が多いです。
お司書的には楽朋館だけ見れれば…という方がほとんどでしょうが、施設のメインは加藤家の顕彰と紹介なのでそちらも合わせてお願いします。時間に制限があるのならガイドさんにご相談を。
当日はガイドの方と待ち合わせて、まずは城跡の方から説明。 凄く丁寧に説明してくださるおかげで、昨日見たときはただの原っぱだったのが凄く意味あるものに…! pic.twitter.com/37oOcd3KfO
2017-08-18 23:13:05現在お堀は北側しか残っていませんが、かつては西と南にもあったそうです。東側は当時丸岡川が流れていて、川をお堀の代わりにしていたとか。 pic.twitter.com/MAQSfEbcy8
2017-08-18 23:15:53四角く盛られている部分は建物の跡が発掘で出てきた箇所。石は根石(基礎)がそこにある事を示します。 ところどころ石が積まれてるのは、後から積んだのではなく掘ったまま…つまり350年程前に積まれた石です。水路として使われました。 pic.twitter.com/MLO5Ys79if
2017-08-18 23:18:25本来であればこう言った石垣は県の意向で、保存のために1m程土を被せて埋めないといけないらしいのですが… 「そんな埋められたところを紹介されたってお客さんはつまらんだろ!!」 と反撃して今の状態になっているそうです。凄い…。
2017-08-18 23:18:56敷地中央部にある大きな石は、忠廣公が最初に丸岡に移った際に清正公のお骨を埋葬した場所。この下に隠すように埋葬されていました。触ると3日で死ぬ、祟られる、などとして恐れられたそうです。 その後、屋敷が火事で焼けてしまい裏にある天澤寺に移されます。 pic.twitter.com/QQHK4KVB69
2017-08-18 23:19:51天澤寺には幕府へのカモフラージュとしてのお墓である清正閣と、本来の埋葬場所である五輪塔があります。清正閣の方にはお骨ではなく甲冑が甕に入れられて埋まっていました。 現在その甲冑は天澤寺に収められていて、なんと見る事が出来ます(私が行ったときはお寺の人がお留守で見れず…)
2017-08-18 23:27:18とっても丁寧に説明して頂けるので、解説は絶対に聞いたほうがいいです。甲冑も見れるとか好きな人には堪らないかと。
旧日向家住宅は文久2年に建てられた江戸時代の武家屋敷の様相を残す資料として、鶴岡市の史跡として登録されています。現在はこちらの丸岡城史跡公園のガイダンス施設として2016年にこの地へ移築され、現在は丸岡の歴史と資料を紹介する場となっています。
2017-08-18 23:29:32そして利一さんの奥さん、千代さんの生家で、利一さんもたびたび訪れていたそうです。 で、その建物が何で丸岡の地に来たかというと…平成7年に解体された後、部材を保管して移築しようとしたのですが用地がことごとく他(某公益大とか)にとられてそのまま放置になっていたそうな
2017-08-18 23:30:40そんな中、丸岡城史跡にガイダンス施設を建てろという県の要請が入るのですが…もともとこの丸岡がある場所は鶴岡市ではなく櫛引町という所で平成の大合併の際に鶴岡市に編入された町。そんな町村が鶴岡には5個ありまして…
2017-08-18 23:31:30ガイドさん「新築で建てちゃうと、うち(櫛引)だけって訳にいかなくなるんだよね…」 私「あーー…」 そして、旧日向家の移築を勧められ「これ断ったら後が無い」ってことで移築されたそうです。丸く収まってくれて良かった… こちらの資料室はもともと台所だったところ pic.twitter.com/OHWifAnesm
2017-08-18 23:32:22地元の人が単に「鶴岡」と言った場合、元から鶴岡市だった場所を指します。櫛引、藤島、羽黒、朝日、温海の地名が出てきたら合併前の町村名です。
合併して10年経ちましたが呼び方は今でもあまり変わらないですね…行きたい場所を説明したいときにはご注意ください。
日向家はもともと最上家に仕えていたお武家さんだったのですが、最上家が改易されてしまったあとは酒井家に仕えていました。10石取りだったので、庄内藩の中では下級武士になります。 どおりで厨房日記にあんな詳しく書いてあるわけだよ…!
2017-08-18 23:34:22ただしこの家の作りは下級武士が建てられるような格ではなく、おそらくサイドビジネスで潤ってたんじゃないかということ。千代さんのお父様が鶴岡屈指の実業家なので十分あり得ますね。 写真は茶の間。 pic.twitter.com/Co1bYiaIXf
2017-08-18 23:37:26縁側を抜けると小座敷になります。利一さんはここに例の机を置いて執筆していたそうな。 お茶室でもあるのでちょうど良かったのかな、なんて思ったり。 pic.twitter.com/BwFdr03TEJ
2017-08-18 23:39:39奥のほうに見えるのは水屋です。
移築して建て直す際にある程度の設備関係も整えたそうなので、きちんと水屋としての機能が揃っています。
こんな感じでパネルもあります。 ガイドさん「この写真に格子が見えるでしょ。それ、あの格子ね」 私「!?!?」 pic.twitter.com/NdEe1ymtig
2017-08-18 23:41:48ガイドさん「ここよく見てみて!!」 私「えーっと家系図の…!?!?!?」 twitter.com/euphoniumg59/s…
2017-08-18 23:43:41あとでまとめるけど…今回の帰省で思考が止まるぐらいびっくりしたこれを見てくれ… pic.twitter.com/ttnyFbfVul
2017-08-17 14:49:20