中村と伊佐と伊達・伊達氏発祥の地散策(平成29年8月)
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【中村と伊佐と・伊達氏発祥地散策】 平成29年8月26日 真岡鐵道沿線に奥州伊達氏発祥の地があった。 下野国芳賀郡は中村城の中村氏 常陸国伊佐郡は伊佐城の伊佐氏 この地はかねてより気になる場所。今回はフォロワーさんに刺激され、これは行かねばと一念発起なツイレポとなります… pic.twitter.com/0VdW0M25K8
2017-08-28 21:04:11【中村と伊佐と・伊達氏発祥地散策】 冒頭から余談。まず私の本名は伊達ではないんです。私の本家が福島県伊達郡の出自故に土地名としての伊達をネット上で僭称していたりします。 伊達といえば仙台→岩出山→米沢。ここまでは有名ですね。米沢の前が福島県伊達郡。そしてその前が下野国と。
2017-08-28 21:11:53【中村と伊佐と・伊達氏発祥地散策】 本家筋が福島県伊達郡保原町、今は伊達市になってますね。 この保原町にも伊達氏発祥の地(高子岡)があるのですが、それはおいおい触れていくとします。 ツイレポ時系列的には下野国芳賀郡中村庄から常陸国伊佐郡へと順繰りに触れていこうかと思います。
2017-08-28 21:17:52【中村と伊佐と・伊達氏発祥地散策】 下野国芳賀郡中村庄(栃木県真岡市中) 場所→goo.gl/maps/JVUPrgepr… (真岡鐵道寺内駅から徒歩35分・約3キロ) まずは中村庄の場所。 航空写真で見ると神社の社叢と城址の森(現在は寺院)が、はっきりとわかりますね。 pic.twitter.com/m4bG8qEs5C
2017-08-28 21:32:09【中村と伊佐と・伊達氏発祥地散策】 「下野国中村氏」(常陸国伊佐氏) 藤原北家山蔭流の藤原実宗が常陸介に任じられ下野国芳賀郡中村荘にて中村氏を称したことに始まる。(常陸国伊佐郡にも居住しており伊佐氏とも) ※藤原山蔭→中正→安親→為盛→定任→実宗 中村は藤原氏本家荘園でもあった
2017-08-28 21:39:41「下野国中村氏」(常陸国伊佐氏) 藤原実宗が中村氏(伊佐氏)を称する。 このあたりどうも諸説あり「下野国芳賀郡中村」とも「常陸国伊佐荘中村」ともされ、中村氏とも伊佐氏とも。 ※中村実宗→季孝→家周→光隆 藤原北家魚名流中村氏・藤原光隆の子が常陸入道念西(のちの伊達朝宗)。
2017-08-28 21:50:41「中村光隆」(藤原光隆) 光隆の室は源為義の娘。源義朝の兄弟。 光隆の息子であった朝宗(常陸入道念西)は、従兄弟であった頼朝の御家人となり深い関係となる。 ※朝宗=念西説以外にも念西の出自は諸説ある(2代目宗村説など)が常陸入道念西→伊達氏初代当主である伊達朝宗の説に従う。
2017-08-28 21:58:59「常陸入道念西」(伊達朝宗) 鎌倉幕府の御家人。伊達氏の初代当主である伊達朝宗とされる人物。 文治5年(1189)奥州合戦の石那坂の戦いで朝宗は4人の息子たちとともに出征し功績をあげる。 源頼朝は朝宗に伊達郡を与えることで功績に報い、朝宗はこれを機に「伊達氏」を名乗る。
2017-08-28 22:07:12「伊達朝宗」(1129‐1199年) 頼朝より奥州伊達郡を賜った朝宗は、これを機に中村氏(もしくは伊佐氏)から伊達氏に改める。これが伊達氏のはじまり。 旧領のうち 常陸国伊佐の伊佐城は長男の為宗、 下野国中村の中村城は三男の資綱、 が受け継ぎ、 次男の宗村が伊達氏二代目となる。
2017-08-28 22:13:41【中村八幡宮】 下野国芳賀郡中村、現在の栃木県真岡市中鎮座。 伊達一族発祥の地の鎮守様。 旧社格は郷社。(社号標は昭和12年) まっすぐに伸びる約500メートルの参道。 一之鳥居、そして二之鳥居。 社殿はまだ遠い。 駅から30分歩いてきた疲れも吹っ飛ぶ清々しい空間。 pic.twitter.com/0AKQJizq7H
2017-08-28 22:19:59【中村八幡宮】 創建は白鳳4年(676)、天武天皇の勅令での造営。 御祭神は誉田別尊(応神天皇) 源八幡太郎義家が奥州征討にさいして石清水八幡宮に戦勝祈願をし北関東に八社の八幡神を祭祀し戦勝祈願をしたうちの一社とされている。(八八幡・やはちまん) pic.twitter.com/QU1WlUgnQT
2017-08-28 22:25:03【中村八幡宮】 御由緒 こちらの神社由緒では中村時長と表記されてますね。 ・中村時長 ・常陸入道念西 ・伊達朝宗 同じ人物のことを言っていると思いたいです。諸説ありますが。 いずれにせよ、子供の「伊達宗村」が伊達氏二代目。(これも神社由緒では奥州伊達氏の祖と明記) pic.twitter.com/sLtxOIJH3M
2017-08-28 22:31:23【中村八幡宮】 以来八幡宮は伊達氏の守護神となり代々の伊達当主が社殿の修理や造営を行うなど、伊達氏の崇敬篤い。 御社殿は宝徳3年(1461)頃の木造建築。 銅版葦流造。当初は葦葺きであったが昭和期に金属板葺きに変更。 平成元年(1989年)真岡市指定有形文化財。 pic.twitter.com/TlXHPkqdqP
2017-08-28 22:39:16【中村八幡宮】 御社殿の脇に昭和11年10月に作られた「中村八幡記」がございました。 かなり良い状態でいまでも充分に読めました。 pic.twitter.com/3LgLa37kfT
2017-08-28 22:41:42【中村八幡宮】 御神木けやき 樹齢約800年・樹高30.5m 文治5年(1189)、源頼朝の奥州征伐から凱旋した中村城主常陸介時長(神社由緒だと伊達宗村のことを言うが他説では常陸入道念西とも伊達朝宗とも)が、奥州伊達郡地頭に補され中村八幡宮にご神木けやきを植樹したと伝承。 pic.twitter.com/DNSuOwouJV
2017-08-29 21:35:36【中村八幡宮】 御神木けやき 樹齢約800年 なかなかに豪壮な根本にしばし見とれる。 奥州伊達一族の始祖が手植えしたご神木と思えば風格も格別なものがあった。 pic.twitter.com/7kvgJuMQUb
2017-08-29 21:48:36【中村八幡宮】 御社殿後方の裏道を歩むとそこに古墳がある。 「中村大塚古墳」 鬼怒川河岸段丘西側にある直径25mの中規模円墳とされるが墳丘南半分が変形しており詳細不明。 造成期は6世紀末~7世紀初めと推定。 鎮座地である中村庄は古くから開けた地であることがわかる。 pic.twitter.com/6d9PqrbRS5
2017-08-29 21:57:27【中村八幡宮】 社務所に明かりは有るけど無人。「ご用の方は神社裏の宮司宅までお越し下さい」とありました。 普段の私であればそこまで固執しないけど、ここは伊達氏発祥ゆかりの神社、せっかくなので御朱印を頂きたいなあ、と。 で、宮司さん宅はどこ? 神社裏は・・・古墳だったし。うーむ。 pic.twitter.com/FuVyNlcBJR
2017-08-29 22:01:36