中村と伊佐と伊達・伊達氏発祥の地散策(平成29年8月)

栃木県の中村と茨城県の伊佐、両地に残る「伊達発祥の地」関連史跡を散策したツイレポ。福島県の伊達の話を付記。 下野中村城址と中村八幡宮。 常陸伊佐城址と中舘八幡神社。 陸奥伊達高子ヵ岡と梁川の亀岡八幡宮。
歴史 伊達行朝 伊達宗村 発祥の地 伊達 中村 伊達朝宗 伊佐
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【中村と伊佐と・伊達氏発祥地散策】 平成29年8月26日 真岡鐵道沿線に奥州伊達氏発祥の地があった。 下野国芳賀郡は中村城の中村氏 常陸国伊佐郡は伊佐城の伊佐氏 この地はかねてより気になる場所。今回はフォロワーさんに刺激され、これは行かねばと一念発起なツイレポとなります… pic.twitter.com/0VdW0M25K8
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【中村と伊佐と・伊達氏発祥地散策】 冒頭から余談。まず私の本名は伊達ではないんです。私の本家が福島県伊達郡の出自故に土地名としての伊達をネット上で僭称していたりします。 伊達といえば仙台→岩出山→米沢。ここまでは有名ですね。米沢の前が福島県伊達郡。そしてその前が下野国と。
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【中村と伊佐と・伊達氏発祥地散策】 本家筋が福島県伊達郡保原町、今は伊達市になってますね。 この保原町にも伊達氏発祥の地(高子岡)があるのですが、それはおいおい触れていくとします。 ツイレポ時系列的には下野国芳賀郡中村庄から常陸国伊佐郡へと順繰りに触れていこうかと思います。
リンク Wikipedia 8 伊達氏 伊達氏(だてうじ/いだてうじ)は、鎌倉時代から江戸時代まで東北地方南部を本拠とした一族で、藤原北家山蔭流と称する。伊予国・但馬国・駿河国などに庶流家がある。氏の由来である陸奥国伊達郡の「伊達」という地名は、もともと「いたて」「いたち」と呼ばれており、暦応2年(1339年)の文書には「いたてのかもんのすけ為景」、慶長18年(1613年)に支倉常長がローマ教皇に渡した伊達政宗の書簡には Idate Masamune とあるように、伊達氏自らはこの呼び方に従って「いだて」と称していたようである。一方で、山科教言
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【中村と伊佐と・伊達氏発祥地散策】 下野国芳賀郡中村庄(栃木県真岡市中) 場所→goo.gl/maps/JVUPrgepr… (真岡鐵道寺内駅から徒歩35分・約3キロ) まずは中村庄の場所。 航空写真で見ると神社の社叢と城址の森(現在は寺院)が、はっきりとわかりますね。 pic.twitter.com/m4bG8qEs5C
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リンク Wikipedia 2 中村氏 (下野国) 中村氏(なかむらし・なかむらうじ)は、藤原北家山蔭流藤原実宗が常陸介に任じられ下野国芳賀郡中村荘に住んで、中村氏を称したことに始まり、伊達氏の祖とされる一族。常陸国伊佐郡の伊佐氏とは同族。中村氏の居城であった中村城の跡には伊達騒動を題材にしたNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」のモデルになった古木が存在する。天永2年(1111年)、藤原北家山蔭流、参議・藤原安親の孫で、従四位下・越前守、藤原為盛の子藤原定任の長男藤原実宗が常陸介に任じられ、下野国芳賀郡中村荘に住し、中村氏を称したことに始まり、平安時代末期に
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【中村と伊佐と・伊達氏発祥地散策】 「下野国中村氏」(常陸国伊佐氏) 藤原北家山蔭流の藤原実宗が常陸介に任じられ下野国芳賀郡中村荘にて中村氏を称したことに始まる。(常陸国伊佐郡にも居住しており伊佐氏とも) ※藤原山蔭→中正→安親→為盛→定任→実宗 中村は藤原氏本家荘園でもあった
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「下野国中村氏」(常陸国伊佐氏) 藤原実宗が中村氏(伊佐氏)を称する。 このあたりどうも諸説あり「下野国芳賀郡中村」とも「常陸国伊佐荘中村」ともされ、中村氏とも伊佐氏とも。 ※中村実宗→季孝→家周→光隆 藤原北家魚名流中村氏・藤原光隆の子が常陸入道念西(のちの伊達朝宗)。
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「中村光隆」(藤原光隆) 光隆の室は源為義の娘。源義朝の兄弟。 光隆の息子であった朝宗(常陸入道念西)は、従兄弟であった頼朝の御家人となり深い関係となる。 ※朝宗=念西説以外にも念西の出自は諸説ある(2代目宗村説など)が常陸入道念西→伊達氏初代当主である伊達朝宗の説に従う。
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「常陸入道念西」(伊達朝宗) 鎌倉幕府の御家人。伊達氏の初代当主である伊達朝宗とされる人物。 文治5年(1189)奥州合戦の石那坂の戦いで朝宗は4人の息子たちとともに出征し功績をあげる。 源頼朝は朝宗に伊達郡を与えることで功績に報い、朝宗はこれを機に「伊達氏」を名乗る。
リンク Wikipedia 常陸入道念西 常陸入道念西(ひたちにゅうどう ねんさい)は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府の御家人。通説では伊達氏の初代当主である伊達朝宗に比定されている。文治5年(1189年)の奥州合戦の石那坂の戦い(現在の福島市飯坂)で息子の為宗、為重、資綱、為家と共に功を立てたことが『吾妻鏡』に見出される。源頼朝は伊達郡を与えることで報い、念西はこれまでの伊佐、或いは中村の姓を改め、以後、伊達を称することになった。これが伊達氏の勃興である。娘の大進局は頼朝の寵を受けて貞暁を産むが、彼女のことを『吾妻鏡』は常陸介藤原時長の息女と記し
リンク Wikipedia 12 伊達朝宗 伊達 朝宗(だて ともむね、大治4年(1129年) - 正治元年10月2日(1199年10月23日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の御家人。伊達宗家初代当主。『尊卑分脈』に記載されている藤原山蔭流の待賢門院非蔵人藤原光隆の息子である朝宗に比定されているが、これには異説もある(後述)。母は六条判官源為義の女と言う。従五位下、遠江守、常陸介。子息に為宗、宗村(=為重?)、資綱、為家らがあり、娘には源頼朝の側室・大進局(僧貞暁の母)として知られた女性がある。源為義およびその孫・頼朝と縁戚関係にあるため、「朝
リンク Wikipedia 2 伊達宗村 (鎌倉時代) 伊達 宗村(だて むねむら、承安3年(1173年)? - 建長3年10月3日(1251年11月17日)?)は、伊達氏の第2代当主。初代当主伊達朝宗の次男で、母は結城氏。通称は次郎。官位は従五位下。子には伊達時綱、伊達義広(3代当主)がいる。父、朝宗築城と伝わる栃木県真岡市の中村城には、伊達騒動を題材にしたNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」のモデルになった古木がある。この古木は現在遍照寺の境内にあるカヤの古木で、昭和29年に栃木県指定天然記念物となった。文治5年(1189年)、宗村が、父朝宗と共に源頼朝から
リンク Wikipedia 石那坂の戦い 石那坂の戦い(いしなざかのたたかい)は、奥州合戦の際に行われた合戦の一つ。文治5年(1189年)7月、鎌倉の源頼朝は、謀反人源義経をかくまったとの理由で藤原泰衡を討つため、奥州平泉に向けて出陣した。頼朝軍は3手にわかれ、千葉常胤らが常陸国から浜街道(福島県浜通り)沿いを、比企能員らが越後国から出羽国の日本海沿いを、そして頼朝本隊は宇都宮から白河関をとおる奥州街道を進撃する。『吾妻鏡』によれば7月29日に頼朝本隊は白河関を越え、8月7日に国見宿(福島県国見町)に布陣し、阿津賀志山に陣取る藤原国衡と対した。そ
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「伊達朝宗」(1129‐1199年) 頼朝より奥州伊達郡を賜った朝宗は、これを機に中村氏(もしくは伊佐氏)から伊達氏に改める。これが伊達氏のはじまり。 旧領のうち 常陸国伊佐の伊佐城は長男の為宗、 下野国中村の中村城は三男の資綱、 が受け継ぎ、 次男の宗村が伊達氏二代目となる。
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【中村八幡宮】 下野国芳賀郡中村、現在の栃木県真岡市中鎮座。 伊達一族発祥の地の鎮守様。 旧社格は郷社。(社号標は昭和12年) まっすぐに伸びる約500メートルの参道。 一之鳥居、そして二之鳥居。 社殿はまだ遠い。 駅から30分歩いてきた疲れも吹っ飛ぶ清々しい空間。 pic.twitter.com/0AKQJizq7H
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【中村八幡宮】 創建は白鳳4年(676)、天武天皇の勅令での造営。 御祭神は誉田別尊(応神天皇) 源八幡太郎義家が奥州征討にさいして石清水八幡宮に戦勝祈願をし北関東に八社の八幡神を祭祀し戦勝祈願をしたうちの一社とされている。(八八幡・やはちまん) pic.twitter.com/QU1WlUgnQT
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リンク Wikipedia 中村八幡宮 (真岡市) 中村八幡宮(なかむらはちまんぐう)は、栃木県真岡市中にある神社である。中村八幡宮は、白鳳4年(676年)に天武天皇の勅令により全国に建立された社のひとつと言われ、また、永承年間に源頼義・義家父子が前九年の役に際して北関東に建立した八社の八幡社のうちの一社とも言われる。祭神は誉田別尊(応神天皇)である。文治5年(1189年)、源頼朝率いる鎌倉軍は奥州遠征を行うが、当地領主中村宗村は当社に戦勝を祈願してこれに参軍し、成就して功を挙げ奥州伊達郡(現在の福島県)の地頭職を授かり伊達に移住、伊達氏の祖となったという
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【中村八幡宮】 御由緒 こちらの神社由緒では中村時長と表記されてますね。 ・中村時長 ・常陸入道念西 ・伊達朝宗 同じ人物のことを言っていると思いたいです。諸説ありますが。 いずれにせよ、子供の「伊達宗村」が伊達氏二代目。(これも神社由緒では奥州伊達氏の祖と明記) pic.twitter.com/sLtxOIJH3M
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【中村八幡宮】 以来八幡宮は伊達氏の守護神となり代々の伊達当主が社殿の修理や造営を行うなど、伊達氏の崇敬篤い。 御社殿は宝徳3年(1461)頃の木造建築。 銅版葦流造。当初は葦葺きであったが昭和期に金属板葺きに変更。 平成元年(1989年)真岡市指定有形文化財。 pic.twitter.com/TlXHPkqdqP
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【中村八幡宮】 御社殿の脇に昭和11年10月に作られた「中村八幡記」がございました。 かなり良い状態でいまでも充分に読めました。 pic.twitter.com/3LgLa37kfT
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【中村八幡宮】 御神木けやき 樹齢約800年・樹高30.5m 文治5年(1189)、源頼朝の奥州征伐から凱旋した中村城主常陸介時長(神社由緒だと伊達宗村のことを言うが他説では常陸入道念西とも伊達朝宗とも)が、奥州伊達郡地頭に補され中村八幡宮にご神木けやきを植樹したと伝承。 pic.twitter.com/DNSuOwouJV
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【中村八幡宮】 御神木けやき 樹齢約800年 なかなかに豪壮な根本にしばし見とれる。 奥州伊達一族の始祖が手植えしたご神木と思えば風格も格別なものがあった。 pic.twitter.com/7kvgJuMQUb
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【中村八幡宮】 御社殿後方の裏道を歩むとそこに古墳がある。 「中村大塚古墳」 鬼怒川河岸段丘西側にある直径25mの中規模円墳とされるが墳丘南半分が変形しており詳細不明。 造成期は6世紀末~7世紀初めと推定。 鎮座地である中村庄は古くから開けた地であることがわかる。 pic.twitter.com/6d9PqrbRS5
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【中村八幡宮】 社務所に明かりは有るけど無人。「ご用の方は神社裏の宮司宅までお越し下さい」とありました。 普段の私であればそこまで固執しないけど、ここは伊達氏発祥ゆかりの神社、せっかくなので御朱印を頂きたいなあ、と。 で、宮司さん宅はどこ? 神社裏は・・・古墳だったし。うーむ。 pic.twitter.com/FuVyNlcBJR
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