十和田湖の平安噴火は中湖から起きたのではない。

御倉半島に火口が開いた。軽石や火山灰を噴出したあと、噴火末期に火道をゆっくり上昇してきたマグマが御倉山をつくった。
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早川由紀夫 @HayakawaYukio

中湖は小さいからカルデラと呼ぶにふさわしくない。陥没してない。私は中湖火口とよぶ。6300年前の中セリ噴火でできた。

2017-09-02 19:47:26
早川由紀夫 @HayakawaYukio

平安時代915年の噴火は中湖からおこったのではない。御倉半島からおきた。

2017-09-02 19:48:59
早川由紀夫 @HayakawaYukio

林さん「ここに1000年くらいいると噴火に出会うと私は思っています。」 「そろそろ危ないじゃないですか」 タモリ、賢いなあ。

2017-09-02 19:51:46
早川由紀夫 @HayakawaYukio

平安時代915年の噴火で奥入瀬渓谷を火砕流やラハールが下った証拠はいくら探してもみつからないんだよね。不思議。法量のイチョウまで見に行ったんが、痕跡なかった。

2017-09-02 20:14:00
早川由紀夫 @HayakawaYukio

▼御倉山が平安時代にできた説の根拠 ・御倉山の上に6300年前の中セリ軽石がのってない。五色岩の上にはのってる。御鼻部山にものっている。中セリ軽石は中湖火口から360度に分布してる。

2017-09-02 21:03:23

ツイッター文字数制限のために説明不足だったので追記します。

御倉山の上に中掫軽石が乗っていないということは、御倉山は中掫軽石より新しいことを意味します。中掫軽石は6300年前の噴火で積りました。したがって、御倉山は6300年前より新しい。

十和田湖では、数千年ごとに軽石噴火が起こっています。それに私は、上から順にアルファベットをふりました。

A 大湯軽石、毛馬内火砕流(平安時代)
B
C 中掫軽石(6300年前)
D

工藤(2010)は、御倉山はD噴火でできたと主張しますが、C噴火にあたる中掫軽石がのってないことから、それは明確に否定されます。

とすると、御倉山ができたのはB噴火かA噴火のときになります。御倉山の上には、A噴火の堆積物(大湯軽石や毛馬内火砕流)ものっていませんから、A噴火の最末期に火道を上昇してきた溶岩ドームだと判断されます。御倉山を外した御倉半島の地形を復元すると、五色岩の山体がそこまで伸びていたと思われます。平安時代のA噴火は陸上で起こったと考えられます。もちろんすぐそばに湖水がありますから、噴火するマグマに湖水が接触する局面もあったでしょう。

B噴火の堆積物には十和田湖の水と動的接触した証拠がみられますから、B噴火は中湖から、すくなくとも湖底から噴火したと思われます。ただし、十和田湖底に目立った凹地形は中湖中心部以外にみつかりません。

早川由紀夫 @HayakawaYukio

▼平安時代の噴火が中湖から起きたら説明できないこと ・噴出物に、マグマと水が接触した証拠がない。いっぽう1900年前のアオバンは水蒸気マグマ爆発の産物。 ・湖底谷がつくれない。湖底谷は6300年前の中セリ噴火の末期に外湖の水が流れ込んでできた。宇樽部火山灰が堆積した。

2017-09-02 21:08:05
早川由紀夫 @HayakawaYukio

「平安噴火がマグマ噴火から始まったことは,発泡破砕した珪長質マグマが十分量の水と接触しても必ずしもマグマ水蒸気噴火を発生しないことを示し,マグマ噴火の発生は外来水の存在を否定するものではないことを示唆する.」広井ほか2015 kazan.or.jp/cgi-bin/dpdf.c… pic.twitter.com/gtyKEsVyCv

2017-09-03 08:35:15
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早川由紀夫 @HayakawaYukio

御倉山が平安時代の溶岩ではなく、平安時代の噴火は中湖から起こったとすると、このように無理に無理を重ねなければならい。御倉山の上に中セリ軽石は積もっていない。もし積もっていれば5メートルから10メートルはあるべき。 pic.twitter.com/3hTCPZ1Ye0

2017-09-03 08:42:42
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早川由紀夫 @HayakawaYukio

十和田湖。御倉山がもしC噴火より古いなら。そこには厚さ4メートル以上の中掫軽石が積もってないとおかしい。そのすべてが浸食で失われたとは考えられない。C噴火より新しいからこそ、まったく積もっていないと考えるのが妥当だ。 pic.twitter.com/WczOlGUFwn

2017-09-06 12:20:32
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早川由紀夫 @HayakawaYukio

1982年ころ、地元のきのことりのおじさんに同行して御倉山の上を1日歩いたことがあるが、どこにも中セリ軽石は積もっていなかった。

2017-09-03 08:48:17
早川由紀夫 @HayakawaYukio

深さ300メートルを超える中湖火口は、6300年前の中セリ噴火でできた。湖底谷は、その噴火末期に外湖の水が火口に流れ込んだときに削ってできた。宇樽部火山灰。平安時代の噴火は(陸上の)御倉半島から起こった。最後に御倉山溶岩ドームが上昇した。

2017-09-03 08:50:59
早川由紀夫 @HayakawaYukio

物理学とちがって地質学の論争は永遠に続く。一方が死ぬまで続く。論争があるからの理由でその問題に触れないと、重要な問題ほど触れられなくなってしまう。地質学の発展が停滞する。浅間山でも同様のことが起こっている。健全な科学だとは言えない。大家の意見が通りやすい歴史学や医学に近い。

2017-09-03 08:54:57
早川由紀夫 @HayakawaYukio

中湖近傍の中セリ軽石堆積物の断面。これほど大粒でこれほど厚い。しかし、御倉山の上では写真に撮ることがかなわずスケッチを呈示しなければ表現できないことが何を意味するか、理解するのはむずかしくないだろう。 pic.twitter.com/mPzxD1timx

2017-09-03 09:35:33
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早川由紀夫 @HayakawaYukio

瞰湖台に露出している下部が溶結した軽石は南部軽石(9500年前)。瞰湖台の方角だけに分布する。分布軸がそこを通っているから、いっぽう中セリ軽石は中湖をぐるりと取り巻いて分布する。十和田湖対岸の御鼻部山にも分布する。

2017-09-03 09:38:24
早川由紀夫 @HayakawaYukio

平安時代915年十和田湖噴火の火口(赤)。黄色はそこから少し流れ広がった御倉山溶岩ドーム。 pic.twitter.com/F8Dx2Y8hKE

2017-01-08 09:18:06
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早川由紀夫 @HayakawaYukio

なお、十和田湖の平安噴火は915年8月17日だと私は長いことゆってきたが、去年再検討して、7月だったと意見変更しました。 pringles.blog23.fc2.com/blog-category-… pic.twitter.com/wyfmbVoMJR

2017-09-03 09:43:11
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早川由紀夫 @HayakawaYukio

広井ほか(2015)論文は、十和田湖の平安噴火が残した堆積物の特徴をよく調べたものであり、中湖から噴火が発生した証拠をみつけたわけではない。中湖から噴火したならマグマと外来水の動的接触に関する従来の見解を大幅に改める必要があると指摘したものだ。

2017-09-03 10:37:47
早川由紀夫 @HayakawaYukio

十和田湖の平安噴火は、大湯軽石(プリニー式)→毛馬内火砕流と推移したと32年前の私は考えていましたが、大湯軽石は毛馬内火砕流と同時異相ではなかろうかと26年前から疑っています。プリニー式にしては層厚が薄すぎる。20センチを超える軽石層を見たことがない。

2017-09-03 10:50:14