田中ユタカ先生の「なぜ少年マンガの主人公の少年は『英雄の息子』で『天才』なのか」
ある編集者「なぜ少年マンガの主人公の少年は『英雄の息子』で『天才』なのか?少年が読むものだから。子どもが読むものだからです。子どもは誰もが『英雄の息子』で『天才』だからです」
2011-03-23 00:56:22!!! 目からウロコです。RT @tanakayutak ある編集者「なぜ少年マンガの主人公の少年は『英雄の息子』で『天才』なのか?少年が読むものだから。子どもが読むものだからです。子どもは誰もが『英雄の息子』で『天才』だからです」
2011-03-23 01:01:59@tanakayutak 確かに子供の頃はお父さんはヒーローでした。年齢層が少しあがると英雄である父がラスボスになったりしますね。
2011-03-23 01:05:58「自分とは何者なのか?」とかいうテーマが中学生以上になると急速に現れてきますね。例えば『ガンダム』、例えば『エヴァンゲリオン』。 RT @d_manpuku: 確かに子供の頃はお父さんはヒーローでした。年齢層が少しあがると英雄である父がラスボスになったりしますね。
2011-03-23 02:50:23@tanakayutak いきものの共通の目標が進化であるかぎりは「ルーツを超え」は欠かせない要素ですよね。そのための必須プロセスが「ルーツの確認」なので、ある一定以上の年齢向けの成長ものになると「父的存在への絶望」「父越え」のエピソードが定番になってくるってことでしょうかね…
2011-03-23 03:16:21(少し別観点からですが)オーソドックスな考え方としては「父親」の役割は子どもに対して「社会」となることですから、成長して社会的な存在となっていく過程で「父親」との衝突や摩擦が生まれることになります。「父親越え」は十代の少年にとって切実なモチーフとなります。@d_manpuku
2011-03-23 04:38:43よく「主人公の成長を描く」とありますが、「成長」を「社会化していくこと」と言い替えることも可能だと考えます。少年にとって重要なテーマである「恋愛」や「友情」あるいあは「性」も社会化と言えるでしょう。@d_manpuku
2011-03-23 04:40:06子どもは「父親」に「ただの人間」を発見して青年になります。青年は自分も「ただの人間」にすぎないことを発見して絶望します。それを耐え切った時、「ただの人間」の中にかけがえのない尊さを発見します。 ようやく少しばかり「大人」です。
2011-03-23 04:46:18大人とは、自分が「ただの人間」であることを恐れない人のことを言います。そういう腹の括り方が出来ていることが大人の条件だと思います。
2011-03-23 04:55:12@tanakayutak 文字にしていただけて、自分の中で漠然としていた区分けが明確になりました。ありがとうございます。なんとなくやってましたがどうやら私は青年漫画を書いているようです。
2011-03-23 05:22:42少女ならジュエルペットでいう「女の子は誰でもステキな魔法使い!」ですね RT @tanakayutak: ある編集者「なぜ少年マンガの主人公の少年は『英雄の息子』で『天才』なのか?少年が読むものだから。子どもが読むものだからです。子どもは誰もが『英雄の息子』で『天才』だからです」
2011-03-23 11:44:30なるほど! RT @izumino: 少女ならジュエルペットでいう「女の子は誰でもステキな魔法使い!」ですね RT ある編集者「なぜ少年マンガの主人公の少年は『英雄の息子』で『天才』なのか?…子どもが読むものだからです。子どもは誰もが『英雄の息子』で『天才』だからです」
2011-03-23 16:58:50そして甘やかし漫画が氾濫。 RT @izumino: 少女ならジュエルペットでいう「女の子は誰でもステキな魔法使い!」ですね RT @tanakayutak: ある編集者「なぜ少年マンガの主人公の少年は『英雄の息子』で『天才』なのか?少年が読むものだから。子どもが読むものだから…
2011-03-23 17:48:42作品がその子どもにとって、甘やかした害毒になるか、一生を勇気付ける大切な宝物になるか、その境界は常に危うくデリケートですね。だからこそ、一人ひとりの子どもと作品の出会いがより良いものであって欲しいと願わずにいられません。@mogura2001
2011-03-23 18:07:37@tanakayutak 現状、あまりに安易な「君にも何か隠された天府の才能があるかも」式の甘やかし漫画が氾濫しすぎです。凡人が必死の工夫や努力や発想の転換、なけなしの勇気を振り絞って立ち向かう作品は、一生を勇気づける大事な宝物になりますが(ちばてつや・あきお両先生の作品とか)。
2011-03-23 18:16:51人生は挫折の連続であり、思い通りになることは数少ない。マンガ家デビューもできない投稿者から見たら羨ましい限りの人気作家も、内実は未来への不安や、己の才の乏しさに呻吟し、絶えざる競争に苦悩している。そんな時に心の支えになるのは、天才がその力を発揮する作品ではない。
2011-03-23 18:24:01凡人が凡人として、何も無い自分を変えていく、危機的状況を切り抜けていく物語は力になる。少なくとも今を生きるヒントになる。ダニエル・デフォーの『ロビンソン漂流記』は1719年に発表された古典中の古典だが、未だに子供たちの旨を熱くさせる。彼は英雄の息子でもなければ天才でもない。
2011-03-23 18:29:55『英雄の息子』で『天才』というのは、『スターウォーズ』の悪しき解釈。以前も書いたように、同作は敗北したベトナム戦争の癒しの物語。悪の帝国に民主主義勢力が勝つ、それも田舎の純朴な青年(ジェダイとしては訓練開始時期も遅い)が銀河を救うというモチーフは、『フォレスト・ガンプ』も同じ。
2011-03-23 18:33:23『スターウォーズ』では、エピソード5での、実はルークがベイダーの息子という設定のインパクトがあまりに大きく人口に膾炙したため、その部分のみを安易に模倣する作品が、以後量産される。その直系子孫が『ハリー・ポッター』。ただ、スターウォーズの設定自体は、よくある物語のパターン。
2011-03-23 18:36:33物語のパターンとして、エディプス・コンプレックスの克服はそれこそ何千年も前からある物語。エディプス(オイディプース)とは、自分の父親を殺し母親を妻として娶ってしまった悲劇の王の物語。ギリシャ神話に出てくるこの物語を元に、フロイトはエディプスコンプレックスという心理的抑圧を説く。
2011-03-23 18:40:53フロイトの学説の是非はともかく、人間は古来から肉振動子で争うこともしばしば、特に男の子にとって父親とは乗り越えるべき最初の壁にして、永遠の壁。梶原一騎の作品には『巨人の星』や『人間凶器』『斬殺者』など、数多くこのモチーフが語られる。それは、梶原と厳格な父親との実際の相克の反映。
2011-03-23 18:43:45スターウォーズも本来は、父子相克の物語。父親というのは、超えるべき理想であり、同時になってはいけない未来の自分。スターウォーズは本来、なってはいけない父親を克服し、克服された父親と息子の和解の物語である。菊池寛『恩讐の彼方に』も形は変えているが擬似父子による相克と和解の物語。
2011-03-23 18:47:56にも関わらず、「友達のような親子関係が理想」と言い放つ現代にあって、民主的な父親は克服すべき対象ではなく、結果的に「英雄の息子」で「天才」が、その力を発揮するだけの物語が大量生産されることに。その悪しき解釈の一番の被害者が、平成版巨人の星としてリメイクされたマガジンの作品。
2011-03-23 18:51:14