巫女論

俺の知り得る範囲での民俗学的に見た巫女論のまとめ
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舞屋慶風 @aurathustra

俺の為の巫女思想まとめ

2011-03-23 11:16:05
舞屋慶風 @aurathustra

巫女は縄文時代より存在し、複数の村を巡り共通の信仰を持たせ、より高位の祭祀者が王となる基盤を作った 村の主では複数の村の王とはなれない 宗教の力を借りなければ人を纏める事はどこの文明でも難しいのだ 日本ではこの祭祀王が統べる時期が長く、雄略天皇あたりまで続く

2011-03-22 18:04:40
舞屋慶風 @aurathustra

さて、巫女は縄文時代からの社会との流離性をもって、定住する者は多くなかった 神社にいる巫女は「中臣神道」によるもので、かなり新しいものだ 士農工商の分類でも存在しないもののように扱われているのも、流離う性質によるものだろう

2011-03-22 18:10:39
舞屋慶風 @aurathustra

縄文の信仰はミシャグチ神信仰で、石棒・石皿など石に象徴され、また木々に遍く存在するとされる 諏訪の御柱祭、また石棒を奉じた社にこの縄文の信仰を見る事ができる 巫女が山で修行するのもこのミシャグチ神と一体化する事を目的にしているのかもしれない

2011-03-22 18:21:00
舞屋慶風 @aurathustra

吉本隆明氏の共同幻想論の巫女の定義を引用すると、「共同幻想を自らの対幻想の対象とする事が出来る者」とある 共同幻想とは村落に共通の神なり信仰される物に象徴されるイメージであり、対幻想とは対となる男女の交わりである つまり、巫女とは「村落の共同イメージが性的対象である者」なのだ

2011-03-23 10:16:22
舞屋慶風 @aurathustra

フロイトの定義する女性は「乳幼児期の最初の性的拘束の対象者が母親である者」とある この拘束から脱却する時、行き着く所は男性か、架空の対象だろう この架空の対象に自己幻想、また共同幻想を選んでも本質的に自己の生誕そのものを選ぶか、生誕の根拠として自分(母胎)を選ぶかの違いでしかない

2011-03-23 10:45:16
舞屋慶風 @aurathustra

この自己幻想と共同幻想の違いがない本質的な巫女は、共同性において宗教的権威を持つ 巫女が神憑りの状態で使う神体は陽神、陰陽二神の象徴である 巫女が共同幻想に介入するのは性的な対幻想としてだからだ 

2011-03-23 11:07:38
舞屋慶風 @aurathustra

巫女が流離するのは共同幻想を架空の家を営む異性とする為で、巫女は家から疎外されたあらゆる存在の象徴として共同幻想の普遍性に霧散した、とされる 

2011-03-23 11:15:27