【清新明朗】 北國新聞で見る林銑十郎内閣成立 【昭和12年】

なんだかんだで内閣総理大臣を3人も輩出している石川県。
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清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho

林銑十郎内閣という内閣があった。在任は昭和12年2月2日から同年6月4日の123日間。大日本帝国の内閣としては2番目の短命(最短は第三次桂太郎内閣の62日)であり、総理の名前をもじった「なにもせんじゅうろう内閣」として評判は良くない。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/a9FFmqj9G7

2017-09-15 00:20:03
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正三位(没時に正二位追贈)勲一等功四級陸軍大将・林銑十郎。 明治9年石川県金沢市生まれ。陸軍士官学校8期、陸軍大学校17期。 陸大同期に渡辺錠太郎(大将・教育総監。二・二六事件で殺害)、畑英太郎(大将。畑俊六元帥の兄)・南次郎(大将・陸軍大臣)。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/Ip8lQYAddE

2017-09-15 00:22:17
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林の名が最初に大きく登場するのは満洲事変の際。当時朝鮮軍司令官だった林は、事変拡大を阻止しようとする参謀本部の意向に反して朝鮮から満洲へ越境出兵し、「越境将軍」と持て囃された。 昭和7年、陸軍大将。昭和9年から斎藤実内閣・岡田啓介内閣で陸軍大臣を務める。 #林銑十郎内閣

2017-09-15 00:24:14
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林が陸相になれたのは、部下の意見で簡単に動く「ロボット」として扱いやすいと思われていたからで、当時の陸軍省を動かしていたのは軍務局長の永田鉄山だというのが周知の事実だった。 昭和10年、その永田が暗殺された事件の引責で陸相を辞任。軍事参議官となる。 #林銑十郎内閣

2017-09-15 00:25:19
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時は流れて昭和12年1月、二・二六事件の後に誕生した廣田弘毅内閣は第70帝国議会に臨んでいたが、ここで立憲政友会の長老・浜田国松と陸軍大臣・寺内寿一との間でいわゆる「腹切り問答」事件が勃発。調整に行き詰った廣田首相は内閣を投げ出してしまう。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/s4YqSmMgng

2017-09-15 00:26:59
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次期内閣の首班候補として近衛文麿公爵(貴族院議長)、南次郎陸軍大将(予備役、朝鮮総督)、平沼騏一郎男爵(枢密院議長)、末次信正海軍大将(元・連合艦隊長官)、大角岑生海軍大将(男爵、前・海軍大臣)、宇垣一成陸軍大将(予備役、元・陸軍大臣)そして林の名が飛び交う。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/cwatxdxUaO

2017-09-15 00:30:26
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林は前年(昭和11年)二・二六事件後の粛正人事の影響で軍事参議官を退任、予備役入りさせられていたが、この時点で早くも陸軍から近衛に次ぐ首班候補として推されているのは興味深い。 やはり(石原莞爾の)「ロボット」にしたかったからだろうか。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/nPr1kO074c

2017-09-15 00:32:26
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一方、当時内閣首班選出の権利を持っていた元老・西園寺公望公爵は、御上の御下問に対し、かねてより意中の候補者であった宇垣一成大将を奏撰した。 1月24日夜、宇垣大将大命降下の記事を無理矢理挿し込んだ北國新聞夕刊。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/3JyCU8ZGvX

2017-09-15 00:34:33
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かくして組閣の大命は宇垣大将に下った。田中義一から旧・長州閥の系譜(本人はそう思っていなかったが)を継ぐ陸軍最大の実力者。政友会・民政党など政党との関係も良い。岡山県出身者では犬養毅以来5年ぶりの総理であり、早くも岡山県関係者から喜びの声があふれる。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/6ADYatpKAq

2017-09-15 00:35:59
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しかし宇垣はかつて、陸軍大臣時代に「宇垣軍縮」と呼ばれる陸軍の軍縮を主導し「実力者」のイメージとは裏腹に陸軍内部から大きな恨みを買っており、かつて「宇垣派」とされた将軍たちも現在の主流派に鞍替えしてしまっていた。 陸軍の非協力に屈した宇垣は大命拝辞に追い込まれる。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/FxI3eoEGbm

2017-09-15 00:37:59
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せっかく奏撰した宇垣の内閣流産で面目丸つぶれとなった元老西園寺は、すっかり嫌気がさして再度の奏撰を「嫌だ」とまで言い出す有様だったが、元老としてそれはやらなければならない。 結局元老は、第一候補平沼・第二候補林として奉答。だが平沼は火中の栗を拾うのを嫌い辞退する。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/8BbTXJMRH5

2017-09-15 00:41:08
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ついに組閣の大命は、予備役陸軍大将・林銑十郎に下った。 昭和12年1月29日23時18分、宮中に参内して大命降下を拝受する林大将。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/ljmhEJ0lnp

2017-09-15 00:42:27
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「宇垣内閣」から一転、石川県出身で初の内閣総理大臣誕生とあって、北國新聞は早くも林新総理のエピソードをかき集め、あれやこれやで歓喜爆発。 「令嬢嫁入る富山の中田家」は、のちの富山県知事・中田幸吉などを出す富山県の名門で、林の長女が嫁入りしている。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/3fzwHHJDbY

2017-09-15 00:46:05
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日露戦争の話は載ってるけど、例の「越境将軍」の話は全然出てこないのな。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/3Z2xze3zVW

2017-09-15 00:49:12
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竹刀を振り回して大声で詩吟とかそりゃキ(自主規制) #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/VvvyWz3Rg2

2017-09-15 00:50:26
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1月31日、陸軍大臣に同じ金沢市出身の中村孝太郎中将が就任という情報が流れてまたまた大歓喜。 一方林新総理は明治神宮を参拝。大命降下の翌日にも明治神宮と靖国神社を参拝していて、なかなかの敬神家ぶりを発揮(褒め言葉) #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/DFNOEXiF05

2017-09-15 00:53:20
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昭和12年2月2日、林内閣成立。商工大臣兼鉄道大臣にも海軍中将(予備役)の伍堂卓雄(加賀藩士の家系。出生は東京)が就任し、石川県関係者が3人も入閣するという、さながら「加賀藩閥」の様相を呈した。 (閣僚ではないが、大橋八郎・内閣書記官長も旧加賀藩領・越中高岡出身) #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/OeHCzL0q52

2017-09-15 00:55:56
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【清新明朗な 加 賀 内 閣 誕生】 さすがに気分が高揚します(しません) #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/Ku6VeNMCKV

2017-09-15 00:57:16
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組閣翌日の2月3日夜、金沢市をはじめ県内各地で林内閣成立の記念祭が行われた。 人事を決着しきれず、林総理の外相・文相をはじめとして兼任が多く、発足当初は大臣がわずか8人という陣容。だがそのなかで3人も石川県関係とあって、県民の祝賀ムードは大きかった。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/z3Lb36bwMA

2017-09-15 01:01:51
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しかし2月3日の、他でもない北國新聞1面に「新内閣は短命か」の文字が踊っているのは驚きに値する。 地元賛美に定評のある北國新聞ですらこう書かざるをえないほど、林内閣の弱体ぶりがあからさまだったのか、それとも本命「近衛」への繋ぎにしか思われていなかったのか。 #林銑十郎内閣 pic.twitter.com/JfjxSOOwdd

2017-09-15 01:03:40
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兼任大臣のうち、逓信大臣(2月10日)には伯爵・児玉秀雄、外務大臣(3月3日)には佐藤尚武が就任。その一方、同郷の陸軍大臣・中村孝太郎は就任わずか8日後で腸チフスを発病、辞任してしまう(後任は杉山元)。 #林銑十郎内閣

2017-09-15 01:05:44