ライオンハート・ザ・ブレイブハート #4

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えみゅう提督 @emyuteitoku

ギィ、と床が鳴った。ワックスの剥がれた古めかしい木の板の床には、立ったままの目線からでもわかる程に埃が溜まっている。床だけではない、広く並べられた丸テーブルと椅子、カウンターとバックバーに並ぶ酒瓶にも、同じように灰色の塵が積もっていた。「これは…」1

2017-09-16 23:49:00
えみゅう提督 @emyuteitoku

彼岸にしては色味がない、地獄にしては静かすぎる。行き過ぎた平穏というのなら天国かもしれない。ライオンハートが立つこの不可思議な空間は、何年も使われた形跡のない酒場のようだ。初めて訪れたはずの場所だが、彼には心当たりがあった――この感覚には覚えがある。2

2017-09-16 23:50:58
えみゅう提督 @emyuteitoku

「フッドの…城、なのか?」ライオンハートは自分の直感を信じられなかった。以前訪れた王の城は絢爛に彩られていた。しかしこの場は打ち捨てられた、有り触れた酒場だ。王族どころか、没落貴族ですら近寄らないような庶民の居場所である。「これが…あのフッドが望んだものなのか?」3

2017-09-16 23:52:35
えみゅう提督 @emyuteitoku

「我の望みは民との語らいだ」ライオンハートは声が聞こえた方へ顔を向ける。キッチンからの逆光を受ける人影がカウンターにいた。「フッドか?」両手にトレンチを乗せた影は高らかに笑った。「ムアッハッハ!我の威厳を忘れたか。まあいい、あの大戦の後だ、仕方あるまい。許す」4

2017-09-16 23:56:07
えみゅう提督 @emyuteitoku

鎧を外したギャンベゾン姿だと確認できたが、酒場は暗く彼女の顔は見えない。ライオンハートが目を細めている間に、フッドは跳ね上げ扉を膝で蹴り上げカウンターから出てきた。「どの席がいい」「あっ…ああ、場所は…」急な問いにライオンハートは周囲をきょろきょろと見渡した。5

2017-09-16 23:57:11
えみゅう提督 @emyuteitoku

どのテーブルを見ても特徴はなく、どれも深く埃を被っている。この中から一つを選ぶなど…「ムアッハッハ!少し意地悪だったな、すまん。そこでいいか?」二人の中間のテーブルの上で小さな電球が灯る。フッドは溜まった埃の上に料理の乗ったトレンチを置き、椅子にドカリと腰を下ろした。6

2017-09-16 23:58:48
えみゅう提督 @emyuteitoku

「お前も座れ、遠慮はいらん」フッドに促され、ライオンハートは椅子に腰を掛ける。彼は椅子を引いた手に付いた埃を払い、正面に座るフッドの面貌を見ようとした。しかし、電灯のカバーが作る直線的な光に眩んで王の顔は見えない。電球の眩しさから目を逸らすとトレンチの上の料理が見えた。7

2017-09-17 00:00:20
えみゅう提督 @emyuteitoku

大皿に乗っているのはごちゃごちゃした茶色の欠片と、手の平サイズの黒い円盤と白い円盤、椀には鶏肉とネギと、妙な黒い半円が入ったスープ、そしてボール状の氷の入ったグラスに注がれた透明感のある茶色の液体。おそらくはウイスキー。「見慣れない糧食だな」「糧食?たわけ、備蓄一緒にするな」8

2017-09-17 00:02:00
えみゅう提督 @emyuteitoku

「我の故郷の料理だ。食ってみろ、うまいぞ」堂々と語るフッドはすでに、茶色の欠片をスプーンで掬い口に運んでいた。フッドの故郷…イギリスの、料理ッ…!「頂こうか」ライオンハートは恐る恐る、フォークを――「…これマドラーじゃないのか?」「刺して食えるなら構わんだろう」9

2017-09-17 00:03:19
えみゅう提督 @emyuteitoku

フッドはそういってマドラーを黒い円盤に突き刺した。四等分にされていた円盤は、マドラーで引き上げられ、フッドの口に押し込まれる。「食わんのか?」「いや、頂こう」ライオンハートは改めてマドラーを持ち、意を決して黒い円盤を口に放り込んだ。味は…「美味いな、これはいいな」10

2017-09-17 00:04:28
えみゅう提督 @emyuteitoku

円盤は見た目に相応しい重みのあるレバーに似た味わいを、見た目からは想像できないハーブの爽やかさとオニオンの香しさで調律していた。「ブラックプディング、血で作ったソーセージだ。白い方はポテトスコーンだ。一緒に食ってみろ」フッドに促されて、ライオンハートはポテトスコーンを食む。11

2017-09-17 00:06:35
えみゅう提督 @emyuteitoku

「うむ…いいな。うむ、いい」彼の口の中でポテトスコーンのモチモチとした食感とデンプン質から成る甘味と、ブラックプディングの香り高い塩気がダンスする。噛み締める内に浮かびかけるブラックプディングの癖は――「このためか」ボールアイスで冷えたウイスキーで流す。12

2017-09-17 00:07:53
えみゅう提督 @emyuteitoku

癖は流しつつ、ハーブの香りを捕まえ調和するスムースな味わいが喉を通り、強いアルコール特有の熱さを残し、胃に落ちていく。「酒を飲むのは久しぶりだ」「そうか」フッドは生返事を返して、茶色の欠片の集合体をスプーンで掬い口に運ぶ。そして、すぐにウイスキーのグラスを手に取る。13

2017-09-17 00:08:50
えみゅう提督 @emyuteitoku

ライオンハートもフッドに倣って、迷わずマドラーからスプーンに持ち替えた。「積極的だな、気に入ったか?」「ああそうだな。ところで、これは?」ライオンハートは茶色の欠片をスプーンでつつく。「ハギスだ、聞いたことはあるだろう」「ない。だが、お前が用意したんだ。美味いんだろう?」14

2017-09-17 00:10:07
えみゅう提督 @emyuteitoku

ライオンハートはハギスを掬い口に入れた。「…濃厚、だな」ブラックプディングよりさらに極端に癖と香りを磨き上げた味に、彼は一瞬動きを止める。だが、同じ趣ならば、次に手に取るべき物はわかりきっている。ウイスキーのグラスをぱっと取り口を付け、鼻に上がる臭気を抑え込む。15

2017-09-17 00:12:42
えみゅう提督 @emyuteitoku

「ムアッハッハ!内臓の味は合わんか。だが許す。故郷でも是非の分かれる食い物だ」ライオンハートの反応をフッドは笑い飛ばす。しかし、「…いや、いい。なるほど、そういうことか。フフ」ライオンハートは再びハギスを食べ、欠片が口の中に残っている内に、ウイスキーを流しいれる。16

2017-09-17 00:14:14
えみゅう提督 @emyuteitoku

するとどうだ、内臓特有の臭気はウイスキーに冷やされストンと落ちて行き、内臓でしか出せない旨味が舌をコーティングし、ウイスキーのフレーバーとハーブの香りが鼻を抜けていく。「美味いな、私は好きだ。これと一緒、という条件付きだが」ライオンハートはグラスを揺らして見せた。17

2017-09-17 00:15:02
えみゅう提督 @emyuteitoku

「オーヘントッシャン。我の故郷の蒸留所の酒でな、造船所の者がよく飲んでいた」フッドの顔は見えない。見えないはずなのに、瞳の奥に一抹の寂しさがちらついたのを、ライオンハートは見逃さなかった。「つまり、これもあの城と同じく、お前の中の虚像ということか」「いかにも」18

2017-09-17 00:16:13
えみゅう提督 @emyuteitoku

フッドが応えた瞬間、二人のグラスに注いでもいない酒が満ちた。フッドはグラスを取り琥珀色の酒を愛おし気に眺める。「まあ、この場に限れば、全ては真実。ここは我の世界、我の望みが真実、つまらんものよ」「望みというのならば…」ライオンハートは問う。「なぜここに民がいない」19

2017-09-17 00:17:57
えみゅう提督 @emyuteitoku

フッドは最初に民との語らいが望みと言った。だが、この酒場は使われた跡がない。「【王権】は万能なのだろう。何故、お前の望みは叶っていない」「クク――ムアッハッハ!叶っていないだと?!ムアッハッハッハ!」フッドは笑った、何も間違ってなどいないと、腹の底から笑った。20

2017-09-17 00:19:07
えみゅう提督 @emyuteitoku

「見よ、ここには誰もいない。民は一人たりとも狂王の背を追わず、星を取り戻そうと海を駆けている。今この時を、未来のために戦っている。全ては、伝え終えた」フッドはグラスの中の琥珀で舌を潤した。「…この世に、オールドワンなどという者は存在するべきではない」21

2017-09-17 00:20:06
えみゅう提督 @emyuteitoku

フッドの思い出が蘇る。「母上が我を生み出した時、人は余りに弱すぎた。エゴは力となるが、一人には限界がある。人のエゴではなく、星のエゴとして戦わねば…オールドワンには届かない。危機が迫っていることを、伝えなければならなかった」フッドはだらしなく背もたれに体を預けた。22

2017-09-17 00:21:08
えみゅう提督 @emyuteitoku

星鬼に対抗するための集合無意識の形成、そのために必要なものがあった。「フッド、お前は…」「滑稽であろう!我は、未来が見たかった!母上は人を模倣し、オールドワンを作り出した。我に、人間と変わらぬ誰かを守ろうとする想いまで備えた。何かを愛する想いを、止められるはずがなかろう」23

2017-09-17 00:22:49
えみゅう提督 @emyuteitoku

「我はマイティ・フッド!たとえ魂まで燃え尽きようと、民を守れるならば…僕は幸せだ」フッドは笑った。人を守るために、人を愛するからこそ、多くの命を奪い殺し踏みにじり、人同士がいがみ合う時間さえも圧屈した。恐怖の王として人類に危機をもたらし、人々に戦うための力を与えた。24

2017-09-17 00:24:04
えみゅう提督 @emyuteitoku

フッドは本当に、幸せだったのか?問うまでもない。かけがえのない、愛する者を守るために、その愛する者を何千、何万と殺め続けたのだ。スケアリー・フッドを最も恐れていたのはマイティ・フッド、彼女自身。「エゴだ…それは、エゴというのだ」ライオンハートは拳を堅く握る。25

2017-09-17 00:25:24