山本七平botまとめ【空気の研究⑧】天皇制とは偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる「空気的支配体制」/~空気の支配をそのままにした天皇制批判や空気に支配されたままでの天皇制批判は無意味~

山本七平著『「空気」の研究』/「空気」の研究/71頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①われわれの社会は、常に、絶対的命題をもつ社会である。 「忠君愛国」から「正直ものがバカを見ない世界であれ」に至るまで、常に何らかの命題を絶対化し、その命題を臨在感的に把握し、その″空気″で支配されてきた。<『「空気」の研究』

2017-09-17 14:42:07
山本七平bot @yamamoto7hei

②そしてそれらの命題たとえば「正義は最後には勝つ」「正しい者は報われる」といったものは絶対であり、この絶対性に誰も疑いをもたず、そうならない社会は悪いと、戦前も戦後も信じ続けてきた。 そのため、これらの命題まで対立的命題として把握して相対化している世界というものが理解できない。

2017-09-17 15:12:12
山本七平bot @yamamoto7hei

③そしてそういう世界は存在しないと信じ切っていた。 だがそういう世界が現実に存在するのである。 否、それが日本以外の大部分の世界なのである。 一体それはどんな世界なのか、 それについては後にのべよう。

2017-09-17 15:42:06
山本七平bot @yamamoto7hei

④今まで、様々な空気支配の形態をのべてきた。 それには、物質である人骨への感情移入による臨在感的把握によって起る被支配という原始的物神論的なものから、(続

2017-09-17 16:12:18
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤続>たとえば「公害」のような、絶対的(とされる)命題乃至は名称への臨在感的把握による被支配すなわち「言語による空気支配」、 また御真影や遺影デモ等の新しい偶像による空気支配という現代的なものまであった。

2017-09-17 16:42:10
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥そして、教育勅語のように言語もしくは名称が写真とともに偶像となり、礼拝の対象となって、この偶像へ絶対帰依の感情が移入されれば、その対象は自分達を絶対的に支配する「神の像」となり、従って、天皇が現人神となって不思議でないわけである。

2017-09-17 17:12:14
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦天皇は人間宣言を出した。 だが面白いことに明治以降のいかなる記録を調べても、天皇家が「自分は現人神であるぞよ」といった宣言を出した証拠はない。 従って「人間宣言」を出すべき者は、現人神だと言い出した者であっても、現人神だと言われた者ではないはずである。

2017-09-17 17:42:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧これは警察がだれかを問違って犯人だと言ったら、これを否定する義務は警察にあるのであって、間違われた人間にあるのでないのと、同じ理屈であろう。 だが奇妙なことに現人神だと言い出した人間を追究しようというものはいない。 もっとも追究してもおそらく無駄である。

2017-09-17 18:12:16
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨それは例によって「空気」の仕業だから。 天皇制とはまさに典型的な「空気支配」の体制だからである。 だが、現人神とはいわば偶像であるから、「物質である仏像」の如くに、また人骨の如くに、自らの感情を移入する対象であっても、そのもの自身は、自らの意志をもってはならない。

2017-09-17 18:42:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩従って自分で「現人神宣言」を出す筈のないものであった。 仏像は黙って鎮座するものであっても、生仏(いきぼとけ)宣言を出したり、自分の意志で動いたり、立ったり、舌を出したり、意思表示をしたりしてはならない筈である。 そうなっては、それはもう臨在感的把握の対象ではなくなる。

2017-09-17 19:12:14
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪二・二六事件を起した将校たちにとって、天皇とは偶像的「現人神」ともいうべき存在であった。 従ってこの偶像天皇が自分の意志をもっていると知ったとき、彼らは、仏像が立ちあがって口を利いたかの如くに驚いたわけであった。

2017-09-17 19:42:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫これでは、自分たちの帰依に基づく「現人神・天皇制」ではなくなって、天皇という、自分の意志をもつ一個の人間の政治的統治になってしまうからである。 それは一人間の意志による普通の統治であって、現人神天皇制ではなくなる。

2017-09-17 20:12:22
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬では以上のような「天皇制」とは何かを短く定義すれば、 「偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる空気的支配体制」 となろう。 天皇制とは空気の支配なのである。

2017-09-17 20:42:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭従って、空気の支配をそのままにした天皇制批判や空気に支配された天皇制批判は、その批判自体が天皇制の基盤だという意味で、はじめからナンセンスである。 偶像化できる対象は何も像や人間だけではない。

2017-09-17 21:12:14
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮言葉やスローガンも、その意味内容とは関係なく偶像化できる(天皇という存在も、戦前は国民の大部分にとっては影像と言葉だけの存在で、九重の雲の上にいる実体を見たものはなかった)。 従って「言葉の天皇制」も成り立ちうるし、現に成り立っている。

2017-09-17 21:42:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯「言葉狩り」という新しい不敬罪が現実に実施されていることは、それを、裏返して証明しているといってよい。 というのは、その場合、その言葉のもつ意味内容よりも、その言葉を臨在感的に把握しこれを偶像化することによって生ずる空気が問題とされているからである。

2017-09-17 22:12:21
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰偶像の存在を許さないと言うならば、その世界では、言葉の偶像化も許されず、ある言葉乃至はある命題も、相対化され、対立概念で把握されねばならない。

2017-09-17 22:42:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱そして絶対に相対化が許されない「神の名」は、その名が臨在感的に把握されて偶像化し、その偶像化によって偶像崇拝を招来し、逆に「神」を冒瀆する結果になる事を防ぐため、絶対に口にしてはならない筈である。

2017-09-17 23:12:15
山本七平bot @yamamoto7hei

⑲確かにそうなった。 ユダヤ人は神だけを絶対視するが故に、神の名を口にすることを禁じた。 この禁止は絶対的であった。 差別用語を口にしても死刑になることはあるまい。 しかし、タルムード・サンヘドリン編七5は、神の名を口にするものは死刑に処すると規定している。

2017-09-17 23:42:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑳その他の言葉は全て相対化される。 いわばどのように絶対化しているように見える言葉でも相対化されうるし、相対化されねばならない。 いわば人間が口にする言葉には「絶対」といえる言葉は皆無なのであって、人が口にする命題は全て、対立概念で把握できるし、把握しなければならないのである。

2017-09-18 08:12:17
山本七平bot @yamamoto7hei

㉑そうしないと、人は、言葉を支配できず、逆に、言葉に支配されて自由を失い、そのため、その言葉が把握できなくなってしまうからである。 以上の言い方は抽象的だから、二、三例をあげよう。

2017-09-18 08:42:07
山本七平bot @yamamoto7hei

㉒たとえば義なる神が存在するなら「正義は必ず勝つ」という命題がある。 この命題は相対化できそうもないが、しかし彼らは言う、 「では、敗れた者はみな不義なのか。敗者が不義で勝者が義なら、権力者はみな正義なのか」と。

2017-09-18 09:12:13
山本七平bot @yamamoto7hei

㉓「正しい者は必ず報われる」という。 「では」と彼らは言う、 「報われなかった者はみな不正をした者なのか」と。 これは後述するように『ヨブ記』の主題だが、彼らのこの言い方は、聖書だけでなく、あらゆる方面に広がっている。

2017-09-18 09:42:06
山本七平bot @yamamoto7hei

㉔「正直者がバカを見ない世界であってほしい」 「とんでもない、そんな世界が来たら、その世界ではパカを見た人間は全部不正直だということになってしまう」

2017-09-18 10:12:18
山本七平bot @yamamoto7hei

㉕「社会主義社会とは、能力に応じて働き、働きに応じて報酬が支払われる立派な社会で…」 「とんでもない、もし本当にそんな社会があれば、その社会で賃金の低い報酬の少ない者は、報酬が少ないという苦痛のほかに、無能という烙印を押されることになる」

2017-09-18 10:42:07