「ネット与太話『嘘松』を『ツイッター民話』と捉えると民俗学の分野になるのでは」に共感
- motoyaKITO
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ツイッター界にのみ現れる、やたら態度の悪い親子や女子高生、公共意識に欠けた彼氏に啖呵を切る気っ風のよい彼女、電車内のベビーカーに舌打ちする老人を毅然とした態度でやり込める、チャラそうなのにやたら正義感にあふれる若者、といった民話を採集し分類するのも民俗学の重要な仕事かもしれない。
2017-09-19 22:17:09なぜか昨日の民話ツイートが拡散され、たまに矢が飛んでくるので補足。「民話は必ずしも『虚構』ではない」という認識を前提としているので、そこにおける登場人物たちは鬼だったり、大師だったり、山姥だったりと、そういう話ですね。民話が発生する過程と現場に立ち会えるよろこびと感動ありますね。
2017-09-20 12:38:08@say_neng_A まとめサイト系にだけ存在する 間男と浮気嫁を成敗した旦那と、その逆パターン奥様、やたら親日な白人さんのほっこりするエピソードも追加でオナシャス
2017-09-20 13:01:05@say_neng_A ネットで生まれた与太話がどんどん膨らんでいき、改変されていき、オリジナリティが生まれていくさまは、伝承文学的な気配を感じます。
2017-09-20 12:58:36ぼくのスタンスとしては「真実か否か」はそこまで重要と思わない。嘘松であっても、それを元にする話が存在しないわけではない。そういう意味では「全てのネットの信じられない話を嘘だと断定」するのはどうかとも思う。 同時に、そうした本当の話、見聞きした話を元に作られた話は確実に存在する。
2017-09-20 13:55:32存在するとなれば、もうこれは伝承文学として見ていいと思う。話型で分類することもできる。登場人物たちの要素を分解して、モチーフを探ることもできる。そのモチーフたちのなかには、実在の存在と照合するものもある。あるいは、その時の時流のなにかに当てはめられていることもある。
2017-09-20 13:56:47別にぼくは学者ではないのですよ。エンタメとして楽しみたいひと。趣味のひと。そういう目線で考えてくれるとうれしいのだけれども。ぼくが伝承文学として呼んでいるのは、「桃太郎」とか「浦島太郎」とか、あるいは妖怪が出てくるそういうの。御伽噺や民話。
2017-09-20 13:57:55桃太郎だって、完全なる創作されたお話と見ることができる。説によっては温羅と吉備津彦命に関する「温羅伝説」と結びつけるひともいる。でも、すべてのお話に元ネタと見られるものがあるかはわからず。また、そう見えるだけで本当にモデルにしているかどうかもわからない。
2017-09-20 13:59:15ただ、その話が受け入れられた。あるいは、人々を楽しませた。共感させた。そこには理由がある。伝承したくなるだけの根拠があった。そこにこそ、ぼくは興味がある。それの出来上がるための元ネタではなく、それがエンタメとして楽しむひとたちは何にエンタメを見出したのかが知りたい。
2017-09-20 14:00:01