2017年9月24日

山本七平botまとめ【空気の研究⑨】空気の支配下におけるジグザグ型相対化で済ませてきた日本/~「空気の支配」に従っていれば大過は無かった日本、従っていたら滅ぼされていた中東・西欧の世界~

山本七平著『「空気」の研究』/「空気」の研究/77頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①多数決原理の基本は、人間それ自体を対立概念で把握し、各人の内なる対立という「質」を「数」という量にして表現するという決定方法にすぎない。 日本には「多数が正しいとはいえない」などという言葉があるが、この言葉自体が、多数決原理への無知から来たものであろう。<『「空気」の研究』

2017-09-18 16:12:19
山本七平bot @yamamoto7hei

②正否の明言できること、たとえば論証とか証明とかは、元来、多数決原理の対象ではなく、多数決は相対化された命題の決定にだけ使える方法だからである。 これは、日本における「会議」なるものの実態を探れば、小むずかしい説明の必要はないであろう。

2017-09-18 16:42:06
山本七平bot @yamamoto7hei

③たとえば、ある会議であることが決定される。 そして散会する。 各人は三々五々、飲み屋などに行く。 そこでいまの決定についての「議場の空気」がなくなって「飲み屋の空気」になった状態での文字通りのフリートーキングがはじまる。

2017-09-18 17:12:12
山本七平bot @yamamoto7hei

④そして「あの場の空気では、ああ言わざるを得なかったのだが、あの決定はちょっとネー…」といったことが「飲み屋の空気」で言われることになり、そこで出る結論はまた全く別のものになる。 従って飲み屋をまわって、そこで出た結論を集めれば、別の多数決ができるであろう。

2017-09-18 17:42:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤私はときどき思うのだが、日本における多数決は「議場・飲み屋・二重方式」とでもいうべき「二空気支配方法」をとり、議場の多数決と飲み屋の多数決を合計し、決議人員を二倍ということにして、その多数で決定すればおそらく最も正しい多数決ができるのではないかと思う。

2017-09-18 18:12:15
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥というのは、このように、会議内と会議外で、同じ人間の同じ決定が逆にも出うるということは、その人々の命題への把握の仕方が各人の内で、あるいは賛成七対反対三、あるいは六対四、五対五となっており、それぞれの空気によって、会議内では賛成だけが表に出、会議外では反対だけが表に出る、(続

2017-09-24 00:00:30
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦続>という形になっているからだと考える以外にないからである。 従ってそれを総計すれば本当の多数決になるわけだが、元来は、これを一議場内でやってしまうことが多数決のはずである。 日本ではそれをしない。

2017-09-18 19:12:14
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧言うまでもないが、会議内と会議外の異なった議決の発生は、前にのべた「空気の支配下におけるジグザグ型相対化」の一種である。 そしてこのことは、人間は、自らのうちに対立を含む矛盾した存在であることが、「空気の変化」という形で、時間別に表われていることを示すにすぎない。

2017-09-18 19:42:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨決断をだらだらと引きのばしても、別に大したことにはならない状態にあった日本では、これでも支障はなかったのであろう。 徳川時代を見ていくと、幕府の成立からその終末までに、真に大きな運命的な決断を必要としたという事件は皆無に等しいからである。

2017-09-18 20:12:17
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩そのため、一時的な例外期はありえても、日本は常に、この状態へと回帰していく。 確かにこれまでは、それでも間にあった――戦争といった身のほど知らずのことをやらない限りは。

2017-09-18 20:42:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪また、先進国模倣の時代は、先進国を臨在感的に把握し、その把握によって先進国に「空気」的に支配され、満場一致でその空気支配に従っていれば、それで大過はなかった。 否、その方がむしろ安全であったとさえいえる。

2017-09-18 21:12:13
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫そのためか、空気の支配は、逆に、最も安全な決定方法であるかのように錯覚されるか、少なくとも、この決定方式を大して問題と感じず、そのために平気で責任を空気へ転嫁することができた。 明治以降、この傾向が年とともに強まってきたことは否定できない。

2017-09-18 21:42:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬だが中東や西欧のような、滅ばしたり滅ぼされたりが当然の国々、その決断が、常に自らと自らの集団の存在をかけたものとならざるを得ない国々およびそこに住む人びとは、「空気の支配」を当然のことのように受けいれていれば、到底存立できなかったであろう。

2017-09-18 22:12:19
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭そしておそらくこのことが、対象をも自らをも対立概念で把握することによって虚構化を防ぎ、またそれによって対象に支配されず、対象から独立して逆に対象を支配するという生き方を生んだものと思われる。

2017-09-18 22:42:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮そして彼らにとって、その最良の教科書はおそらく旧約聖書――すなわちその徹底的相対化の世界――だったはずである。 聖書とアリストテレスで一千年鍛練するとアングロ・サクソン型民族ができるといわれるが、その最も大きな特徴は、体質的ともいえるその相対的把握であろう。

2017-09-18 23:12:15
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯聖書の相対化の世界がどのようなものか。 そしてその相対化の世界すら、日本に持ちこまれるとその相対性が消されて、一つの絶対性を付与され、臨在感的把握の対象とされてしまうかを、次に二例ほどあげて説明しよう。

2017-09-18 23:42:07

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