虎の牙事典まとめ

『虎の牙』武川佑(講談社)に登場する人物のトリビア的ツイートをまとめました。 基本的にネタバレはないが、読後に読むとより面白いかも。 10/30 ネタバレ版の更新はじめました。
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武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

10月17日発売。武川佑『虎の牙』書影が出ました。 かっこええやろ!!信玄の父・武田信虎、原虎胤、そして勝沼信友をめぐる、甲斐と関東、武と呪の物語。書店でお探しの際は2枚目の画像を書店員さんにご提示いただくとスムーズです bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9… pic.twitter.com/8TLHVFWVJm

2017-10-13 19:34:26
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武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙』が3倍面白くなる #虎の牙事典 はじめます。人名や地名など。諱など複数伝わる人、途中で変わる人もいるので、作中で使用している名とします。1日に1~2ツイートほど。

2017-09-19 18:36:30
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 1【武田左京大夫信虎】 のち陸奥守。乱国甲斐を統一した人。徳栄軒信玄の父。妻は大井信達の娘。 めちゃめちゃ戦さが強い。もう駄目死ぬという所から勝つ。嫡男(信玄)から追放されたのちも、伊勢の北畠氏のところで海賊退治したとか、史実かは分からないがらしいと感じる逸話もある

2017-09-19 18:38:30
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 2【武田左京大夫信虎②】 信虎は身延山1回、富士山登頂1回、信濃善光寺に2回行っている。理由は様々だが、やはり出かけたがりなのではと私は思う。甲府をひらいたのも彼で、2019年はなんと!開府500年kofu500.com。め、めでたい

2017-09-19 19:11:56
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 3【信虎と大井夫人】 大井夫人が信虎に嫁ぐのは数え21、信虎が24の時で、どちらも初婚とは考えにくい。 大井夫人はこのために前夫と離縁させられたのかもしれない。元々信虎には別の正妻がいたのかもしれない。実際、信虎の息子・竹松は大井夫人が嫁ぐ前に生まれている。

2017-09-19 20:14:10
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 4【武田竹松】 信玄はじつは長男ではない。4つ年上の兄がいた。母親は不明。7歳で亡くなり、信虎は供養のため尊体寺という菩提寺を建てた。一方で竹松死去のわずかひと月後には太郎(信玄)の袴着が行われ、嫡男に繰りあがる。『#虎の牙 』では、竹松の処遇がひとつの鍵となる

2017-09-20 18:57:44
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 5【信虎と大井夫人②】 信虎と大井夫人の仲がどうだったか、史料からは分からない。しかし定恵院(1519)→信玄(1921)→戌千代(1523)→信繁(1525)と、きっかり2年ごとに2人は子を作っていると気づいた時「真面目か」と私は思った。皆さんはどう思われるだろう

2017-09-20 20:23:13
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 6【荻原常陸介昌勝】 信虎の初陣は14歳(説によっては10歳)。ブレーン筆頭は信虎の弓矢指南を務めたこの人。言い伝えでは藁人形を立てて兵を多く見せ、上条河原で今川軍に大勝した。『風林火山』で信虎は「常陸介がいなくなってから戦さがつまらなくなった」とこぼし、私は拝んだ

2017-09-21 20:11:13
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 7【今諏訪合戦】 永正十七年(1520)、反旗を翻した栗原・大井・今井勢を信虎は栗原館、今諏訪などで撃破。『勝山記』によれば「上意ノ足衆切勝テ」と、直属の足軽が活躍したとある。ここに原虎胤はじめ、横田高松、小畠虎盛、多田満頼らの足軽大将が含まれると思われる

2017-09-21 20:22:50
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 8【曾根三河守昌長】 今諏訪合戦で一軍の大将を務めた、信虎側近。所領は現在の山梨市万力あたりと言われる。真田昌幸とともに「我が両眼」と信玄に称された曾根昌世の、一説には祖父。作中では「狐ジイ」または「鬼三河」と称され、戦さ上手で老獪な爺さま。三ツ峯者の棟梁でもある

2017-09-22 19:47:22
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

荻原常陸介昌勝(おぎわらひたちのすけまさかつ) 曾根三河守昌長(そねみかわのかみまさなが) 『#虎の牙』より、ワンシーン抜粋。同年代のふたりは、ともに若い屋形を支えてきた。※最終稿とは異なる箇所があります pic.twitter.com/GKLXUL7g16

2017-09-22 21:18:04
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武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 9【三ツ峯者】 山が多い甲斐では、猟師の獲る毛皮や熊の肝、木こり(山造)の伐る木材は重要な交易品となった。三ツ峯者は、『#虎の牙 』独自の言葉で、甲斐西部の山岳地帯に住んだ人々の事。山造より高い山に暮らす彼らは独自の速歩術を使い棒道をゆき、一部は間諜として重宝された

2017-09-23 21:01:37
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 10【三ツ峯者②】 山神の怒りを恐れて、独自の山言葉を使う彼らは、里の者から天狗や韋駄天と怖れられ、忌み嫌われることもあった。一例では鹿を「シシ」、ニホンカモシカを「アオシシ」など。みなし子を指す「イシ」と呼ばれた青年は、弓矢巧者として噂は甲府にも聞こえたという

2017-09-24 19:38:20
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 11【楠浦刑部少輔昌勝】 くすほ、と読む。国中の寺社、伊勢、朝廷への書状など、外交にも深く携わっていた信虎側近。作中では真顔で冗談を言う飄々とした人物。 側近というのは、駒井高白斎(信玄前期)→土屋昌続(信玄後期)→跡部勝資(勝頼期)あたりと思ってもらえれば。

2017-09-25 20:31:25
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 12【勝沼信友】 左衛門大夫(大輔)、のち安芸守とも。信虎の同母弟。信友について分かっている事は少なく、岩殿山七社権現再建の際「武田左ヱ門太夫信友」と署名し一貫文を寄進している。勝沼館に入って東郡支配の要となった。信虎に従い、全ての合戦に副将として参陣したと伝わる

2017-09-26 20:06:58
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 13【信友の受領名】 信友の受領名は史料では確認できていない。個人的には武田No.2であった彼が安芸守というのは、やや疑問が残る。後継として勝沼に入った今井信甫が相模守を名乗った事、信友が北条の抑えとして勝沼に配されたと考えられる事から、作中では相模守を名乗っている

2017-09-26 20:12:05
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 14【銀の采配 武田の軍装で、勝頼の代では信豊(典厩信繁の息子、勝頼の従兄弟)だけに「銀の采配」が許されていた。この事から『#虎の牙 』作中では「武田の副将」の証として銀の采配が、信友に与えられる

2017-09-27 20:06:37
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 15【今井信甫】 左馬助。のち相模守。信虎に反旗を翻した今井伊豆守とは別系統で、府中今井氏と称される。勝沼信友のあとに勝沼に入り同地を所領とした。永禄3年(1560)に内応を疑われて処断された「かつぬま五郎どの」は勝沼信友の息子ではなく、この信甫の息子という説もある

2017-09-27 20:10:05

【訂正】今井伊豆守→今井兵庫助です。お詫びして訂正します。

武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 16【北条氏綱】 伊勢盛時嫡男、左京大夫。北条姓を名乗ったのは大永3年から。朱印状による国内統治を確立、寺社造営に力を入れ、北は上杉朝興と争い、西は河東一乱で今川領を削る。『風林火山』では義や倹約を説いた有名な遺言と、晴信の信虎追放を重ねるという神演出に、私は拝んだ

2017-09-28 20:06:13
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 17【北条氏綱②】 今川氏親とともに武田信虎の二大宿敵。両者が激突したと思われるのは大永4(1524)年。氏綱は江戸城、岩付城などを攻略。上杉朝興の援軍要請に応えた信虎が、津久井城を攻め、関東平野へ出た可能性がある。記録に残らぬ「神野原合戦」の顛末は作中にて pic.twitter.com/xY28OtPgR7

2017-09-28 20:26:37
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武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 18【勝沼氏館】 現甲州市にある15~16世紀に営まれた居館。勝沼信友が勝沼衆を率いて拠点とした。二重の堀と土塁を設け、作中ではこの上で信友と虎胤が争うシーンがある。堀と土塁は深さ2m幅5mはあり今見てもかなりの規模。甲斐の混乱期には防衛拠点であった事が窺える。

2017-09-29 20:26:35
武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 19【勝沼氏館②】 内郭には2棟のメインの館のほか鍛冶工房、金工房などの施設もあった。外郭には家臣の屋敷跡があり、一部は復元整備されている。コンパクトながら、見ごたえのある館跡。ぜひ足を運ぶ人が増えてほしい。 yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1… pic.twitter.com/DsFvhRaRBv

2017-09-29 20:34:46
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武川佑 12/21 新作「御所女」 @takekawa_yu

#虎の牙事典 20【北条常陸介綱高】 または綱種。のち治部少輔。永正3年(1506)伊豆雲見城で生まれる。身の丈5尺5寸、初名将監太郎種政。父早世ののち伊勢宗瑞(早雲)を頼り韮山城で養育される。大永4年(1524)江戸城攻めで大功をあげ、北条姓を賜り、玉縄守将となる。

2017-10-01 18:50:34
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