フェスティバル/トーキョー17マレビトの会『福島を上演する』感想まとめ

フェスティバル/トーキョー17マレビトの会『福島を上演する』(2017年10月7日~15日)感想のまとめです。
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桜井圭介 @sakuraikeisuke

続き)それは「パン屋の跡地にて」の空を見あげる人々が私の誤読により活性化したこと、さもなくば、「ただ空を見上げる人々が列をなす」図から何も感得できなかったかもしれない、ということを同じなのだ。(自分にとっての)マレビトの会のアキレス腱。

2017-10-19 03:37:28
桜井圭介 @sakuraikeisuke

続き)ところが、その(「書割」に描かれた動かない)「風景」を「物語」が斜めに切り裂くように横切る。すなわち「和子さまとお付きの者」である。それによって、書き割りの人物も含め全体がにわかに立体化し活性化する。(続く

2017-10-19 03:33:05
桜井圭介 @sakuraikeisuke

続き)と、ここまでは構造として「アクアマリンふくしま「サンゴ礁の海」にて」や「遺骨収集」と同じで、やはり、その何かはわからない土産物を手にとって眺めたり何かを食べてるのかはわからないが食事をする行為の「ディテール」から、何かを受け取ることが難しい。率直に言って何も見えない。(続く

2017-10-19 03:19:49
桜井圭介 @sakuraikeisuke

マレビトの会『福島を上演する』、松田正隆「北白河宮家和子さま、道の駅「よつくら港」来訪のこと」(再演)。道の駅の1階で売られている(と戯曲には書いてある)海産物・野菜・お土産品を見て回る人々、2階食堂で食事をする/調理をする人々が、「風景」として無対象演技で「表象」される。(続く

2017-10-19 03:12:34
桜井圭介 @sakuraikeisuke

続き)しかし、こちらには、講習者2人の読み方の「差」がどうもよくわからないのだw どちらも「平板」に読んでいるように聞こえる。それが、演出なのかどうか。しかも、上演においては、講師役の俳優の「演技」もまた、フツーに「マレビト」演技すなわち「平板」なのであって...。

2017-10-19 02:57:30
桜井圭介 @sakuraikeisuke

マレビトの会『福島を上演する』、神谷圭介「点字図書館にて」(再演)。視覚障害者のための「録音図書」の講習を受ける2人の女性。うち一人は、どうしても抑揚が付いて感情表現になってしまうのでもっと平板に読むように(マレビトの会の“棒読み”のように?)と指導される。(続く)

2017-10-19 02:53:40
桜井圭介 @sakuraikeisuke

続き)「時節柄」、ということもある。敏感になってるところあるわけです僕ら。ところが、(例によってまた戯曲を読まないで観劇したのだが、後から読んだら)「上空に不思議な物体」とある。えー!?UFOかよ!

2017-10-19 02:41:05
桜井圭介 @sakuraikeisuke

続き)ラストシーン、空襲の話をしている学芸員が上空を見上げる、それはかつてその空に飛来したであろう爆撃機を「想起」しているのだな、と了解したのだが、それを皮切りにその場にいる全員が次々と空を見上げ始める。すると、戦闘機が空を埋め尽くしているかのように感覚させられるのだった。(続く

2017-10-19 02:36:30
桜井圭介 @sakuraikeisuke

続く)また、そこは戦時中陸軍の飛行場であった。さらに遡れば江戸時代には放牧場だったという。「定住」生活を送る以前の原日本人の遺跡、土地を追われる福島の人々、戦争の記憶(軍施設があったゆえの空襲)、馬が駆け回る野原の記憶、が重層的に折り重なった場所を可視化する=表象する試み。(続く

2017-10-19 02:26:51
桜井圭介 @sakuraikeisuke

マレビトの会『福島を上演する』、高橋知由『パン屋の跡地にて』。南相馬。またもやw遺跡発掘現場。パン屋の改装工事で石器が出たというので調査中。(被災して移転してきたと思しき)パン屋がまた移転を余儀なくされるかもしれない、と。(続く

2017-10-19 02:20:57
桜井圭介 @sakuraikeisuke

続き)頭の中で想起している(過去の)イメージの中の人物が想起中の人物の(脳内ではなく)すぐ隣にいる、というのが、表象としてよくよく考えてみればきわめて奇妙で、しかしそれだけに魅力的なのだった。

2017-10-19 01:58:46
桜井圭介 @sakuraikeisuke

マレビトの会『福島を上演する』、草野なつか「守山さんの受難」。ラスト、椅子に座り見えない相手に愚にもつかないことを滔々と語る男、その横に立って空を見る守山さんという構図。これは守山さんが、レストランで目撃したゲス野郎のゲスっぷりをふいに「想起」していることの表象なのだが、(続く

2017-10-19 01:54:25
佐々木敦 @sasakiatsushi

期日前投票の話して、マレビトの会の話して、森博嗣の話したらおわた。。

2017-10-18 18:04:35
稲垣諭 Satoshi Inagaki @inaphenomeneuro

最近見たままごととマレビト。どちらも中心にカタストロフがあり、前者はそこに居なかった者が距離を埋められない安心から、埋められないからこその苦悩への反転を作為すぎるほど明示的に狙い、後者はテーマそのものを劇場から消してしまう。触れられないものへの積極的非接触で成立する接触に賭ける。

2017-10-18 17:05:03
旭川研究フィールド @swampingriver

弓井さんは去年もすごいと思ったが今年もすごかった。小津映画の浮遊感(それがなにによるのか分からないけど)に一番近い印象がある。思い返していて思ったのは、いわゆる自然なやりとりに比べて発話までの間が0.1秒くらい遅い⁇そう感じてしまう不思議な含みというか引き込みがある↓

2017-10-18 11:00:20
旭川研究フィールド @swampingriver

演者ごとに浮遊のしかたが違うのが観ていてほんと面白い。西山さん、山科さんは発話の時だけテキストに着地していてそうでない時間はうつせみ状態に見え、でも身体の存在感というか確かさは感じるという不思議な存在感↓

2017-10-18 10:49:20
旭川研究フィールド @swampingriver

去年の公演では演出の様々な手法によってもその浮遊感が作られていたように思うが、今年は演技によるところが大きかったと思う。会場のつくりは大きく関係しているよう。↓

2017-10-18 10:34:40
旭川研究フィールド @swampingriver

10/14 15の週末にマレビトの会の公演を観て来た。戯曲、演出、演技、公演の構造、、どれをとっても一晩じゃ足りないくらい語れそう(まったく演劇門外漢のぼくでも) 演技について、これは去年も感じたことで、演者がテキストの中でも会場その場でもない場所を浮遊している感じ↓

2017-10-18 10:26:23
mi @autoproc

アクションがクションになってしまった。

2017-10-18 06:00:16
mi @autoproc

明と奈緒の視線は、時間的にズレていて、交わっていなかったのかもしれないと思えもする。そういう感じ。

2017-10-18 05:57:28
mi @autoproc

現実には同時に舞台の上に存在してる登場人物/役者同士が、存在としては同じ時間を生きてないような感触があって(その前に観た『わたしが悲しくないのはあなたが遠いから』が執拗に「今、隣の劇場でも同時に上演が進行しています」ってことを強調してたのと対称的に)、

2017-10-18 05:52:38
mi @autoproc

クションは省くことが出来ないからこうなるのかな…ってちょっと思ってしまったのだけど、『パン屋さんの跡地にて』と『守山さんの受難』を続けて観た時の感覚に忠実になってみると、それだけのことではないようにも思えてくる。というのもどちらの演目も、

2017-10-18 05:52:02
mi @autoproc

まず奈緒が明を見て、しばらくの後に明が奈緒を見る。という風になっていて、これを言葉におこすと「奈緒、明をじっと見る。明も奈緒の方を見る。」って多分なる。映画だと「見ている」って状態はカットを割って切り返してしまえばすっ飛ばせることだけれど、演劇のこの仕立てだと「見る」という

2017-10-18 05:51:03
mi @autoproc

先日観たマレビトの会の『福島を上演する』について。上演された演劇を観た後に戯曲を読んでみると気づくことはやはりあって、例えば『守山さんの受難』では劇の後半に「奈緒、明をじっと見る。明も奈緒の方を見ている。」と書かれているシーンがあるのだけど、実際に演じられた演劇では、

2017-10-18 05:50:22
大原 @bacharach5

先週、東京では近代美術館「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」やフィルセン、国立博物館特別展「運慶」、五所純子トークイベントに加え、フェスティバル/トーキョーで「わたしが悲しくないのはあなたが遠いから」2バージョン、マレビトの会2公演を観て来た。週末迄にはツイートでも紹介を。

2017-10-17 21:03:34
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