#創作荘 東京オフ会小説 絡めた指、唐草模様 39 「オズボーン一族の、というよりあなたの価値観は金に則っているのですから、結局は同じでしょう」 「私が手当てします」 蟹糖さんが、静かにそれでいてきっぱりと割って入った。 「なに!?」 今度は親子が異口同音になった。
2017-10-17 00:15:13「私が、ヘンリーさんのお父さんを無償で手当てします」 「これは我々の問題だ」 顔こそしかめなかった代わりに、ヘンリーさんの唇は文字通りへの字になった。 「あなたのお父さんを助けたのは私です」 蟹糖さんに真っ直ぐ見据えられて、ヘンリーさんは深呼吸を一つした。
2017-10-17 00:16:12「いいだろう。鞄を使いたまえ」 「ありがとうございます」 蟹糖さんは、ヘンリーさんに近づき、腰をかがめて鞄を取った。それから、ヘンリーさんのお父さんの傍らに座り、鞄を開けた。手短に表現すると、まず自分の手を消毒薬で洗ってから、シャツを脱がせて傷口を消毒薬で洗ってから
2017-10-17 00:17:30包帯を巻いた。 「すみました」 「ありがとう。とても楽になったよ」 感謝するヘンリーさんのお父さんは、とても穏やかで、さっきまでの剣幕が信じられない。 「ヘンリーさん、鞄をお返しします」 「いや、そのままでいい」 素っ気なくヘンリーさんは断った。
2017-10-17 00:18:15「失礼ですけど、ヘンリーさんはお父さんの後を継ぐのが嫌なんですか?」 蟹糖さんは間を開けなかった。 「でなければ口論したりはしないだろう」 「他に、したい仕事があったんですか?」 蟹糖さんへの返事をする前に、ヘンリーさんは、ランプが置いてある木箱の柱とはまた別の箱の蓋に
2017-10-17 00:19:06手をかけた。取り出した中身を、私達に理解できるように傾けると、鉱物の標本なのがはっきりした。説明書きとおぼしき小さなプレートも入れてある。 「僕のささやかなコレクションの一つさ。ちなみに北アフリカ産のメノウだよ」 「メノウ……? 宝石商になりたいんですか?」
2017-10-17 00:19:48蟹糖さんが首を傾げて、ヘンリーさんは初めて少しだけ笑った。笑うととてもハンサムだった。 「惜しいが違う。地質学者か、鉱山技師になりたか……なるんだ。もう十年くらい前、僕は家族でイタリア旅行に行った時、たまたまトパーズの原石を見つけた」 誇らしいというより辛そうな様子だった。
2017-10-17 00:22:15「それからは宝探しに夢中になり、子供らしく集めた石を部屋に飾っていた。ある日、父が僕の目の前で僕のトロフィーの全てを粉々にした。ご丁寧にも自分で金槌をふるってね。ばあやが止めなかったらついでに僕の頭も粉々にしかねなかった」 「とても気の毒だと思います。これからどうするんですか?」
2017-10-17 00:24:16蟹糖さんの方がヘンリーさんより若いはずなのに、弟の不満をどうにかして建設的な方向に導こうとする姉のように思えた。 「日本に残る」 「黙っておれば調子に乗りおって。この国がどんな状況なのか知っているのか」 「幕府の役人は保身しか頭にない腰抜けぞろいでした」 容赦なかった。
2017-10-17 00:25:37「でも、僕は長屋住まいの人達と仲良くなりました」 「お前を折衝役にしたのは間違いだった」 「いえ、大いに成果がありました。役人はともかく街の人々はしたたかで親切でした。最初はとてもよそよそしかったのですが、祖先と家康公のかかわりを話すと少しずつ打ち解けてくれました」 続く
2017-10-17 00:27:45#創作荘 東京オフ会小説 絡めた指、唐草模様 40 「長屋に引っ越しして鉱石の鑑定でもするつもりか」 「そこまで説明する必要はないですね」 なんだかひどく熱くなった。親子喧嘩じゃない。物理的に熱い。 「煙の臭いがします」 蟹糖さんが顔をしかめた。 「火事だ!」
2017-10-19 13:23:22ヘンリーさんが顎の角度を上げた。蔵の窓は全て、天井近くに作ってある。しっかり閉じてあるはずのそこから、かすかに白い筋が漏れていた。 「放火だ、馬鹿者」 一人落ち着き払っているのはヘンリーさんのお父さんだった。非常時に頭をすぐ切り替えられる人だ。
2017-10-19 13:26:29「放火!?」 大きく目を開くヘンリーさん。 「尾行されたのかあてずっぽうか知らんが、手っ取り早く我々を始末するつもりだろう」 「失礼ですけど、商売仇ですか?」 蟹糖さんは、ヘンリーさんのお父さんからいちはやく冷静さを受け取った。二人の姿に触れて、私も動揺せずに済んだ。
2017-10-19 13:27:07「誰が示唆したのかはともかく、実際に火をつけて回っているのは浪人達だな」 「どうしてそれが分かる?」 「街の人々も番所も動機がない。消去法で彼等しかいないだろう」 とにかく外国人を手当たり次第に殺害する攘夷主義者達。教科書で読んだのと、こうして直面するのとでは大違いだ。
2017-10-19 13:27:25「抜け道から出ましょう」 「なら地上側の出入口が無事かどうか確かめる」 蟹糖さんの提案にヘンリーさんが応じて、蔵の二階に上がった。そこから窓を開けて、すぐ閉じた。 「駄目だ、火の中だ」 階段を降りながらヘンリーさんが皆に伝えた。 「じゃあ、正面から出る他……」 額に汗が
2017-10-19 13:30:41浮かび始めるのを、私は手で直にぬぐった。 「浪人達が待ち伏せしているだろう」 ヘンリーさんのお父さんが指摘すると、身体は熱くてたまらないのに、心は凍りつくほど冷たくなった。 「僕が扉を開けて様子を見る。お嬢さん達は、父に手を貸してくれないか? 三人で木箱の陰に隠れているんだ」
2017-10-19 13:31:21私達は黙ってうなずいた。上着のポケットからピストルを出して、ヘンリーさんは扉に近づいた。ピストルを手にしたまま出入口の正面に立たないよう、壁際から扉を少しだけ押すと、一際濃い煙が屋内に入ってきた。ヘンリーさんは外を向いたまま、背中越しに私達を手招きした。
2017-10-19 13:31:48蟹糖さんと、ヘンリーさんのお父さんに付き添いながら戸口に近づいた。付き添いごと戸口を抜けるには、扉を完全に開けないといけない。ヘンリーさんがそうした直後、獣じみた絶叫が響き、火の照り返しを放つ刀が正面からヘンリーさんを襲った。咄嗟にピストルで刀を受けて、辛うじて自分の命を守った。
2017-10-19 13:32:48その見返りに、押し潰されるように膝が曲がり、刀をピストルで受けた状態のまま床に無理矢理座らされた。ヘンリーさんを追い詰めているのは、私に蟹糖さんの行方を聞いた四人組の一人だった。 「やめなさい!」 蟹糖さんが叫んだ。
2017-10-19 13:34:40「娘、お前は異国の人間ではないようだが、何故そやつらの肩を持つ」 と、言いながら二人目が現れた。 「そうやって殺してもなんの解決にもなりません」 蟹糖さんは歴史的事実を述べた。 「随分と利いた風な口を利くな」 苦々しげに吐き捨てながら、三人目が現れた。 続く
2017-10-19 13:35:51