縣秀彦先生「NHK ラジオ深夜便」2017年10月27日放送【ようこそ宇宙へ・秋】まとめ

聞き逃した方向けに縣先生ご自身がツイッターで連投されていたものをトゥギャりました。初トゥギャりなので、至らない点があればお許しください。縣先生、勝手にまとめてしまいましたが、お許しください。※ラジオ深夜便のHPで、放送後1週間は「聴き逃しサービス」で聴けるようです。
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縣秀彦 @agata_naoj

昨晩、お聴き逃しされたみなさまへ。「「ようこそ宇宙へ・秋」 10月27日1時台の放送内容です。 ラジオ深夜便 - NHK 「ラジオ深夜便」 nhk.or.jp/shinyabin/prog…

2017-10-27 21:23:32
縣秀彦 @agata_naoj

いま、夜空は秋の星空から冬の星空に移り変わりつつあります。この時間帯晴れているところでは、南の空を見ていただくと、真南より西は秋の星座たちが、真南より東側には冬の星座たちがすでに輝いています。 頭上高くには、すばる星団が輝いていることでしょう。

2017-10-27 21:24:44
縣秀彦 @agata_naoj

眼を西に向けると西寄りの空にペガススの四辺形がクッキリ見えています。天をさかさまになって駆ける翼の生えた天馬の、その鼻先が、地平線というゴールに届こうとしています。

2017-10-27 21:25:47
縣秀彦 @agata_naoj

空の東半分には一等星以上の明るさの星々が7つも輝き豪華絢爛の装いですが、西半分の秋の星空は目立った星も少なく、やや寂しい印象を持たれることでしょう。春の夜空と秋の夜空は、天の川から離れて、星の少ない方向にあたります。このため、この時期は、遠くの宇宙の姿を見ることが可能です。

2017-10-27 21:26:26
縣秀彦 @agata_naoj

例えば、この時間ペガススの四辺形はダイヤモンドのような巨大なひし形に見えますが、ひし形の最も上に位置している星から上に向って3つ目の星(βAnd ミラク 2等星)から右に三つ目の星(4.5等星)のすぐ下に、眼の良い人ならボゥとした米粒大の雲のような光が見えることでしょう。

2017-10-27 21:26:59
縣秀彦 @agata_naoj

このアンドロメダ座(アンドロメダ姫)の腰(コシ)ヒカリが、アンドロメダ銀河M31です。肉眼で見ることが出来る最も遠くの天体で、地球から230万光年も離れています。

2017-10-27 21:27:21
縣秀彦 @agata_naoj

1光年は約9兆5千億km。例えば織姫星までが25光年、彦星までが17光年。天の川の中の星々は地球からおおよそ10万光年程度の広がりの中の存在ですので、天の川銀河の外側にアンドロメダ銀河があることが分かっています(そのことが判明したのは1924年エドウィン・ハッブルによる)。

2017-10-27 21:28:11
縣秀彦 @agata_naoj

1光年は光が1年間で到達することができる距離のこと。織姫星からの光がその星から地球に届くまで25年かかります。そして、M31からの光は230万年前にそこを出発し宇宙に解き放たれた光が今晩、地球に、皆さんの眼の網膜に届くのですから宇宙では遠くを観ることは昔を見ることと同じ。

2017-10-27 21:29:25
縣秀彦 @agata_naoj

秋の夜空をすばる望遠鏡のような大型望遠鏡で調べると、遠くの世界はみな銀河で満たされていることが分かります。宇宙全体は銀河が集まって出来ているのです。数千億個を超える銀河の数です。その銀河も130億光年先、すなわち130億年前ぐらいまでのものしか見ることが出来ません。

2017-10-27 21:30:28
縣秀彦 @agata_naoj

さまざまな宇宙の研究の結果、今からおよそ138億年前に宇宙が誕生し、その後、宇宙は膨張を続けながら、次々と銀河と銀河の中の星々を作り続けてきたことが分かっています。

2017-10-27 21:30:52
縣秀彦 @agata_naoj

宇宙の誕生は不思議な事ばかりです。宇宙はとてもとても小さな空間があっという間に巨大に膨張して、「ビッグバン」という特殊な出来事によって誕生しました。当時の宇宙を「火の玉宇宙」と呼ぶほど高温・高密度の特殊な世界です。

2017-10-27 21:31:34
縣秀彦 @agata_naoj

宇宙はビッグバン後も膨張を続け、膨張と共に温度が探り、物質が出来たり、光が直進出来るようになっていきました。

2017-10-27 21:31:45
縣秀彦 @agata_naoj

私たちはまだ、宇宙の中で一番星がいつどのように輝いたか、一番最初の銀河がいつどのように作られたか知りません。その時代を「宇宙の暗黒時代」と呼んでいますが、TMTのような次世代の超大型望遠鏡は、その暗黒時代のことを、この秋の星空を遠くまで見つめることで、解き明かすことでしょう。

2017-10-27 21:33:19
縣秀彦 @agata_naoj

今年ノーベル物理学賞を見事受賞した「重力波」の直接検出ですが、重力波望遠鏡が進歩すると宇宙の始まりの謎、インフレーションについてもその当時に宇宙に解き放たれた重力波の情報から、その謎が解き明かされることが期待されています。

2017-10-27 21:34:01
縣秀彦 @agata_naoj

私が勤める国立天文台は1988年に発足しましたが、その前身となる東京天文台はさらに100年前の1888年に誕生。その東京天文台のさらなる前身が、 今からおよそ330年前、西暦1685年に江戸幕府が設置した天文方(てんもんかた)というお役所になります。

2017-10-27 21:36:19
縣秀彦 @agata_naoj

「天地明察」という小説を皆さんはご存じですか?本屋大賞を受賞している時代小説ですが、この作品で描かれている渋川春海(しぶかわはるみ)は実在の人物で、江戸幕府によって最初に任命された天文方の責任者です。

2017-10-27 21:36:40
縣秀彦 @agata_naoj

時は江戸幕府5代将軍徳川綱吉の頃、それまで京都の朝廷が長年に渡って司ってきた日本の暦は精度が悪く、日食や月食の予報に失敗の連続でした。文明の発祥と共に天からの文を読み解く天文により、暦や時刻を各国独自に決めてきた習わしがあります。

2017-10-27 21:37:18
縣秀彦 @agata_naoj

つまり、暦を作ることは大事な国の政(まつりごと)の一つ。幕府の命を受けた渋川春海の活躍によって、当時としては精度の高い日本独自の暦が完成し、江戸幕府は5代目にしてようやく朝廷から大事な国の政を事実上、奪取したのです。

2017-10-27 21:37:54
縣秀彦 @agata_naoj

江戸時代のお役所は今と違って基本的には世襲制でしたが、渋川春海による開設以降、天文方の仕事は養子縁組を繰り返しながら幕末まで維持されてきました。幕末までで渋川家や高橋家など8家が天文方を担当しました。

2017-10-27 21:39:46
縣秀彦 @agata_naoj

東京都台東区蔵前、鳥越神社の近くに浅草天文台の跡地があります。 浅草天文台は1782(天明)2年に設置された日本で最初の本格的な天文台。いまでは立札しか残っていませんが、当時は高さ10メートルの盛り土をして作られ、いくつかの天体観測装置が設置され、多くの天文方が活躍しました。

2017-10-27 21:40:27
縣秀彦 @agata_naoj

歴代の幕府天文方の中でも高橋至時(よしとき)と彼の息子の景保(かげやす)、景佑(かげすけ)等が果たした役割は後世に大きな影響を与えました。

2017-10-27 21:41:32
縣秀彦 @agata_naoj

至時は1764年に大阪で生まれた。高橋家は代々大坂定番(じょうばん)同心(大阪城の警護をする役人)でした。至時は、幼い子頃から算学に長け、麻田剛立に暦学を学びました。1796年(至時32歳)に幕府から改暦を行うよう命令が下り、江戸に赴任しこの年幕府天文方となりました。

2017-10-27 21:43:22
縣秀彦 @agata_naoj

そして彼が中心になって行った改暦が「寛政暦」、寛政10年1798年から施行されました。(それまで40年以上使われていた宝暦暦(ほうりゃくれき)から改暦され、天保14年1844年まで46年間使用され、天保暦に改暦される。)

2017-10-27 21:44:05
縣秀彦 @agata_naoj

この寛政暦では、日本の暦では初めて、太陽や月の軌道が楕円軌道である (ケプラーの法則)ことが用いられたので格段とよい精度の暦となり、至時 は名声を博すことになります。

2017-10-27 21:44:42
縣秀彦 @agata_naoj

1868年の明治維新後、西洋に倣って1873(明治6)にそれまでの天保暦(太陰太陽暦)に代わって初めて太陽暦が採用になります。天文方は1877年に発足する東京大学の前身の一つで、東京大学には理学部星学科が設置されます。

2017-10-27 21:45:05