編集部イチオシ

江戸時代の農民は本当に貧しかったのか?

「貧農史観を見直す」の内容をざっくりと紹介。 細かい技術的なこととか、具体的な資料とかは、本を読んでもらうとして読むと「日本史の授業だけでは見えなかったことが見えるようになるよ」という部分だけをかいつまんではなしました。
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三沢文也a.k.a.青二才 @tm2501

フォロワーさんから頂いた本なんだけど…学校で習った日本史の片手落ち感を埋めてくれる本。 人口の8割は農民の時代なのに、我々は農民を知らなすぎた 佐藤 常雄 の 貧農史観を見直す (講談社現代新書) を Amazonでチェック! amzn.to/2zZR2Kn

2017-10-31 19:06:51
三沢文也a.k.a.青二才 @tm2501

例えば、江戸~明治に移るにあたり、税金のとり方を米からお金に変えてるんだよね。 米だと価値が変動しちゃってまとまった資金にならないから。 いっぱい米が取れても金に変えられる金額がそれだけ増えると…市場原理のせいでそうはならないのよねぇ…。

2017-10-31 19:15:47

年貢から地租改正に行くところまでは習うけど、あれがなんでかまでキチッと習わない。

米で集めると収穫に地域格差ができたり、貨幣に変える段階で資金集めがうまく行かなかったり、逆に税金がかけにくい産業ばかりが発達して民が豊かになっても、政府はその恩恵を受けなかったり…そういう江戸時代の反省が入ってる話はあんまりされない。

三沢文也a.k.a.青二才 @tm2501

あとは…お米で徴収してる以上、格差ができるんですよね。 今は品種改良とか肥料の関係で違うけど、当時だと機内や西日本は生産力が高くて、東日本・北日本は生産力が低い。 肥料だって都市の生活から出たものや、周辺の草木・あとは買った肥料を使ってるから土地の影響ってすごく出てくる。

2017-10-31 19:26:38
三沢文也a.k.a.青二才 @tm2501

今はそうでもないけど、元々江戸周辺は沼地。 というのも、利根川が千葉県境の方に流れるように作り変えられたのは江戸時代の話で、元々は東京側に流れ込んでた。 長い歴史があって、開発された畿内と違って、治水事業からやらないと立ち行かなかった関東や東日本は生産力的にどうしても劣るわけで pic.twitter.com/31OLH9OkQ2

2017-10-31 19:33:08
拡大
三沢文也a.k.a.青二才 @tm2501

よく、江戸時代の武士のイメージって、地頭か、官僚かみたいな税金を取るのに熱心な悪代官ってイメージが強いけど…元々の流れは戦国武将だから、(特に江戸時代の前半の方は)治水事業とかを熱心にやってた。 西洋的な農村にグイグイ入っていくタイプの支配者ではなく、武士は武士の仕事をしてた

2017-10-31 19:37:09
三沢文也a.k.a.青二才 @tm2501

ざっくりいうと、 ・主に税金は米で取ってたから、米とは別に色んなモノを生産してた ・武士は農村に常駐しないから、新田の把握が雑で税率が高そうに見えて全部の土地に課税対象でもない ・武士は武士で相互監視だったから農民に威張り散らすと地位が危なかった から、農民は「案外」豊かだった

2017-10-31 19:48:44
三沢文也a.k.a.青二才 @tm2501

(一部の大きな飢饉や、米作りにあんまり適してないから年貢を納めるのに効率が悪かった土地を除いて)江戸時代の農民が「案外」豊かだったからこそ、武士から農民に対して締め付けがあったし、豊かだったからこそ農民もそれに従ってた。 言い換えると、ちゃんとやれば豊かになる農業の技術があった

2017-10-31 19:54:20
三沢文也a.k.a.青二才 @tm2501

あとは、農耕民族だからこそ(今みたいにIT化もされてなきゃ、仕事させるために監視することだけが仕事になっている人が常駐しなかったからこそ)、農民はずっと働かされたわけではなく、休む所は休めた。 また「案外豊か」だったから、娯楽性の強い休みを取り、それが目立つと武士から締め付けが

2017-10-31 19:57:00
三沢文也a.k.a.青二才 @tm2501

細かい部分は「貧農史観を見直す」を読んでもらえばいいんだけど、要するに江戸時代の農民って、良くも悪くも支配がいい加減だった武士の作った仕組みのすき間をうま~く使って豊かに過ごす選択肢もあった人達なわけです。 それだけの技術もあったし、すき間もあった。 なぜか教育では言われないが

2017-10-31 20:07:05
三沢文也a.k.a.青二才 @tm2501

教育が明治政府の影響か、誰かが作ったルールにはほころびがあることを教えてはいけない暗黙の了解があるのか、それとも権力を敵視する左翼的な思想からなのかはわかんないけど、「農民が貧乏で搾取されていた」は部分的にしか正しくないのよね。 それは農民の歴史をちゃんとせなわからんのよね

2017-10-31 20:09:36

コメント

T死🇯🇵 @sunayamaGINZA 2017年10月31日
10年以上前から2ちゃんその他で見た主張。ネタ本も多分同じ。貧農史観で批判されている左翼思想は相変わらず具体性なし。羽仁五郎か井上清なのか?わからんが
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やし○ @kkr8612 2017年11月1日
歴史の新説!的な本1冊読んだくらいで日本史上の農民観が変わった、みたいな言説、ネットde真実言うてるのと根本的には同じだよなと思う次第
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月1日
江戸周辺は日本の他の地域から吸い上げた金の消費地なので江戸周辺で江戸時代を語るの全体像をつかめないと思う。
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月1日
南部一揆とか繰り返しの一揆でも政治が改善されないので隣の殿様に強訴するという事態になっている。
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月1日
「天明の大飢饉」とか飢えて人を食べたと伝えられている。 http://www.edojidai.info/kurashi/tennmei-daikikinn.html
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エリ・エリ・レマ・サンバディトゥナイ @mtoaki 2017年11月1日
これで日本も広いから、豊かな地域も貧しい地域もあったんじゃないかとは思う。
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Ise Shinkuro @IseShinkuro 2017年11月1日
東北や信濃飛騨などの山がちで冷涼な地域と、大規模な治水によって生産力が高くなっていた 地域とでは、全く別の世界だったはず あとは現代とは物流の規模がやっぱり違うので、天候や天災による飢饉は避けられんわなあ
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エリ・エリ・レマ・サンバディトゥナイ @mtoaki 2017年11月1日
mikumiku_aloha 恒常的に貧しいのと飢饉をごっちゃにするのはいかがなものか。
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やし○ @kkr8612 2017年11月1日
当時は現代の日本海側を米の大産地に変えた水稲農林一号を祖とする耐冷性持った品種があるわけもないし化学肥料もなきゃいもち病を防ぐ殺菌薬もない(水田にクジラの油流して害虫を溺死させるような防除農法は生まれてたけど)わけでちょっと冷夏になるだけで東日本は真っ青だったと思うんだよね
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kyk @0_kyk 2017年11月1日
久保田(秋田)藩では4年に1度は凶作みたいな記録もあるので、まぁ楽な生活は出来てなかったでしょうね それで生きてて辛いんだかそれなりに楽しいかは当時の人に聞かないと分かりませんけど
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こまごめ太郎 @katsudon_oniku 2017年11月1日
地域によるし凶作かどうかにもよるでしょとしか。
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腐ってもエビ🌈🕑もえこ…… @kusattemoevill 2017年11月1日
そもそも学校で貧農史観を植え付けられた記憶がない
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月1日
南部一揆の興味深いところは、治世の仕組みじたいをぶっ壊そうという一揆ではなく、自分の土地の領主(マネージャー)がアホだから他のマネージャーにという考え。
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Tsuyoshi CHO @tsuyoshi_cho 2017年11月1日
江戸時代(長い)の農民(東西南北、豪農貧農さまざま)でちょっとザックリ感が(タイトルとして)
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青川龍樹 @aokawatatuki 2017年11月1日
口減らし&現金収入のために奉公に出す・女衒に売るってのは良くあることだし、全体的に貧しかったことには変わりないのでは。 みんながみんな貧困と重税にあえいでいたわけではないよ、地域差があったよ。とは言えるだろうけど。
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コカイン忍者 @ymskes 2017年11月1日
まぁ、あと一押しあればいいいよね
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ひろっぺ@内調的手洗い&うがい学術会議 @hiroppe3rd 2017年11月1日
江戸時代の百姓(耕す土地を持ってる)と武士って、戦国時代には肩を並んで一緒に戦ってた人たちで、いわば遠い親戚みたいなものだから。。。
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Calci @Calcijp 2017年11月1日
農家にも、小作人を多く雇って手広く農業を営んだ豪農もあり、極貧に喘いだ貧農もあった。ケースバイケースですね。 豪農の館 https://www.travelbook.co.jp/topic/3723
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ひろっぺ@内調的手洗い&うがい学術会議 @hiroppe3rd 2017年11月1日
19世紀ぐらいまで人類の課題って食糧問題であり、物流技術の発達で20世紀になってやっと解決の糸口ができたってところ。つまり19世紀までの飢饉ってどこでもよくあったこと(頻度はさておき)なんだよね。
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えりす @kbykwse 2017年11月1日
「昔は酷かった」みたいなイメージを教科書で植え付けてるからなあ…
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NopUC@お出かけ予定なし @NopUC 2017年11月1日
確か、井沢元彦氏が、『古い封建時代から最終形態の共産主義に至る史観を正当化するために江戸時代の農民は貧しく虐げられていた事にしなければならなかった』みたいな事を書いてたな。(´•ω•` )
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ひろっぺ@内調的手洗い&うがい学術会議 @hiroppe3rd 2017年11月1日
NopUC 領主と庶民の間柄が良好だった江戸時代の社会構造って 共産主義系を目指す人たちにとっては結構厄介な概念なんで、領主と庶民はずっと対立してた みたいな宣伝をよくする傾向がありますね。
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ひろっぺ@内調的手洗い&うがい学術会議 @hiroppe3rd 2017年11月1日
普通に考えて 飢饉とか起こるべくして起こるような現実(当時の技術的限界)があり、その中で庶民とそれを束ねる武家の間柄が常に対立だったら、分裂して争うを繰り返し戦国時代に逆戻りしてないとおかしいのに実際には、300年近く多少なり対立はあるものの統制はできてたってのはすごい・・・
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九十九 @hakqq 2017年11月1日
なんせ「革命を目指さなかったから江戸期のドン百姓共は意識が低い(大意)」なんて書いちゃうからねぇ<左派史観
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顔仁@亜北斎 @kaohito_p 2017年11月1日
hiroppe3rd >>領主と庶民はずっと対立してた/藤沢周平の「義民が駆ける」で一発否定できますなあ。アホな領主は追い出そうとする反面、優れた領主は守ろうとする。ある種の運命共同体的な所あるんだよね。
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石川和男 @ishikawakazuo 2017年11月1日
天領(幕府直轄領)の農民と薩摩藩など諸藩の小作農を一概には比べられないよね。
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ゆゆ @yuyu_news 2017年11月1日
農民でも、豪農から水吞百姓まで貧富の差が非常に大きかった。それだけでは。
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ゆゆ @yuyu_news 2017年11月1日
農民がみんな貧しかったら、昔話に庄屋さんとか出てこないよ。
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こま @comamikan 2017年11月1日
江戸時代はプチ氷河期で飢饉が起こり易かったって話を聞いたことがある。
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いくら @YamadaIkra 2017年11月1日
この話見るたびに、唐突な「左翼」登場に戸惑う。
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嬌嫣PE@あたしまSWRtoB夜叉姫応援中 @kyoen 2017年11月1日
普通に維新政府的に江戸の世が豊かだと都合悪かったんでしょう
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evacuated_man @evacuated_man 2017年11月1日
『日本の歴史をよみなおす(全)』(網野義彦、筑摩書房、2005)もよかった。水呑百姓とか、水しか飲めないような貧しい農民というよりは、船首や経営者となって土地がいらなくなった農民も含まれる。
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なんもさん @nanmosan 2017年11月1日
江戸時代暗黒説は明治時代から流布されてたものでして左翼とか戦後教育は全然関係ないです。維新と文明開化、富国強兵を正当化するために江戸時代を否定した流れのひとつと考えるべきでしょうね。
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ととっと @xyrLuoihI9vhuex 2017年11月1日
まあ社会ではえらく雑に流されてて、貧農ってのは同和教育でガッツリと刷り込まれた記憶があるなぁ。貧しく悲惨な農民のさらに下を作って云々・・・
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元老院議員 @Batory1560 2017年11月1日
本文で参照されている佐藤常雄著『貧農史観を見直す』は初版1995年、つまり20年以上前の本で、確かにその当時としては最新の知見だったんですよ、と、90年代に史学科の学生だった私が証言させていただきます。私が直接習った先生方でも若手の人は「ソ連の崩壊でも明らかなようにマルクス主義ではもはや通用しない」と力説してましたし、年配の方は「以前には薩長史観の影響が大きかった」というようなことを言っておられましたね。
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Katz @yoshi_katz 2017年11月1日
農民側も不作だったらこれ以上は払えませんって交渉するし、代官も無理に徴収しようとして逃散されたら自分の地位が危ういし。まとめ主が言うように地域差によって貧富の差はあったにせよ、本当に貧しかったら伊勢講組んでお伊勢参りとか行けないよね。それに水呑百姓が貧しかったとはいえ、都市部の下層民も同じように貧しかっただろうしさ
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MedFE@おらおら @oraora1966 2017年11月1日
学校では江戸時代の農民が皆貧しかった旨は習わなかったな~。むしろ「武士は食わねど高楊枝」にあるように武士の困窮は印象深かった記憶。 まあ昔も今も裕福なのは第3次産業なのかも。
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空家の恵比寿様1968 @ebcdic_ascii 2017年11月1日
私の場合、カムイ伝の影響が大きい
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月1日
日本列島の全土が貧しかったとは思わないけど、各地からリソースを吸い上げて成り立っていた江戸周辺がその時代の生活水準というのは疑問がある。 参勤交代とかで徳川幕府が各地の領主に消費させようとしていても、明治維新を起こした原動力になった長州や薩摩は交易などでしっかり金を稼いでいたわけで、地方によってそれぞれの事情があったと。
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きゃっつ(Kats)⊿ @grayengineer 2017年11月1日
まあ飢饉で餓死者が大量に出たり天災でも被害が大きいので今に比べるとリスクの高い要素は多かったことは確かですが。しかしそれは人類史全体に言えることなので特に江戸時代の農民限定という話でもなかったり、あるいは現代でも地域によってはいまだに同じようなところもあったりで
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月1日
戦国末期には軍事力や技術水準は世界水準でそこそこだったのが江戸時代末期には大急ぎで外国の技術や軍事を学ばねばとなったぐらい、江戸時代は停滞していた(日本だけでなく中国とかもね)のではないかと思います。
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JINMIN_party_Japan @Net_Uyoku_JpJ 2017年11月1日
個人的には石高をが乖離していたり領主が見当違いをしていたような地域、例えば天草や島原などでは悲惨な状況だったりするらしいのでおそらくその逆も存在するのではなかろうかとは思う。
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めっしゅの靴下(閉鎖) @socks_of_MESH 2017年11月1日
まとめタイトルみてどんだけ深い考察をしてるのかと思ったら、例の人のセルフまとめな上に結論を「とにかく本読め」と室伏のハンマー投げレベルで放り投げてきて軽くイラッとしてる。
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愚者@勇者部満開14不参加 @fool_0 2017年11月1日
なんかこのまとめ見てるとやたらと武士が無能に見えるけど、無論そんなことはなくて地域差はあれど武士側も生産力を上げたり販路を作り上げる努力はしてる。有名なのが伊達政宗で、江戸が将来人口密集地帯となり米の消費量が急激に増えるのを早い段階で見抜き、領内の開拓と並行して米を仙台藩から江戸へ運び出すための港として今の石巻市を整備したのは慧眼でしょう。
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のぶニャがのヤン坊 @MpambaMpamba 2017年11月1日
悪代官って時代劇の世界では存在するけど、現実の歴史だと存在するのが困難なツチノコみたいなもんだしね。領民を圧制で苦しめたり、不正を働いたりするような権限や職能がそもそも無いし。代官なだけに配下の数がそもそも少ないので重税を課すこと自体が困難な構造だから。代官が配置されるような天領だと、そもそも豊かな重要拠点で、税も根本的に低く設定されてたからね。
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dag @digital_dag 2017年11月1日
nanmosan 戦後もその史観を踏襲して唯物論的な学説が幅を利かせたわけで全然って事はないぞ。 今でも唯物論的な解釈の克服は課題になってるみたいだし。
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dag @digital_dag 2017年11月1日
あと地域ってより藩による面もある。 土地の生産性もそうだが経済力が伴わないのに江戸初期の経済力で石高が固定され武士の解雇も出来なかったせいで農民にしわ寄せが行ったり。 よく取り上げられる盛岡藩なんかは戦国までは良馬と鉄の輸出が好調で成金大名だったりする。 軍需があった時代に石高が定められたが平和になって軍需が暴落したせいで行政を維持するために重税を課さざるを得なかったと言う面もある。
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type2camo @type2camo 2017年11月2日
kusattemoevill 「百姓は生かさず殺さず」とか授業で言われなかったですか?教科書に書いてあったかはちょっと覚えてないですが
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nekosencho @Neko_Sencho 2017年11月2日
そもそもどういうのが豊かで、どういうのが貧しいのかってとこから定義を決めていかないと話にならないのでは? 極論言えば今に比べて平均身長も格段に低いほど栄養状態悪いわけで、当時の日本人全員貧しいじゃんとも言っちゃえるのだ
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月2日
悪代官がいたというわけではないのだろうけど、南部一揆も天明の飢饉も藩の財政難で税の取り立てが厳しくなった背景あり。 Wikipediaで三閉伊一揆を調べると幕府の命令での出兵で財政が逼迫と
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もうだめぽ @moudamepo150701 2017年11月2日
飢饉とかじゃなければコメは食えたって聞いたことあるけどな。昔は1日2食で1食当たり1合の米飯が普通だったと。1食1合だから現代人よりも米は食ってたことになる。ただおかずが無かった。だから全国各地で(保存が効く)様々な漬物が生まれたと聞いたぞ。
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chinjuh/『化物箱根の先』Kindleで販売中! @chinjuh 2017年11月2日
偽造した証文を使い、ダレソレ様からこのあたりの年貢を免じるとお墨付きを頂いているって役人を追い返してた村がいくつもあると聞いてます。偽造証文が残ってて博物館で展示されてるのを見ました。
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腐ってもエビ🌈🕑もえこ…… @kusattemoevill 2017年11月2日
type2camo ないですね。士農工商の概念を教授されるついでに貧富の差があった程度のことは聞いたかもしれませんが、それほど印象強く残るほどのものは教わってなかったかと
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961C @961C 2017年11月2日
以前のこのまとめhttps://togetter.com/li/1103168のコメ欄と内容が被って来そうですが、結局藩単位から家単位まで各々「経営」に失敗したら貧困になり成功すれば豊かになる、という現代と同じ至極当たり前の事なんですよね。ただ現代と違うのは「流通」と輸送と保存が今よりも圧倒的に遅いし不自由だったので均一化されず、飢饉などが起きても大阪あたりの米蔵に米が余ってようがそう簡単には行き渡らなかったという事ですよね。
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亜山 雪 @ayamasets 2017年11月2日
基本的に寿命が短かった。1世代が20年くらいで、還暦まで生きればお祝いをした世界だから、少ないリソースで生活できる。鎖国を(一応)やっていたので、国土に降り注ぐ自然エネルギーだけで人口を支えなければならなかった。だから江戸時代を通じて総人口は3000万人台であまり増えなかった。
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亜山 雪 @ayamasets 2017年11月2日
現代でも食料自給率は40%くらいなので、鎖国をすると4000万人くらいしか食えないという事情は江戸時代とあまり変わっていない。
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対馬守 @enanji 2017年11月2日
そもそも農民ってくくりが大雑把だし、貧しいか豊かという話も雑すぎるんだよ。西と東、山か平野か海かで事情がまったく違うしね。  一番大事なのは、幾ら働いても食いつめるような奴から才覚を活かして一旗挙げるようないたのが、農民にもいたってこと。あとは割りとどうでもいい話。
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おこめデース @__yodakii 2017年11月2日
四公六民とか五公五民とかって税率を聞いて「結構持ってかれるんだなー」と思った記憶はある
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nekosencho @Neko_Sencho 2017年11月2日
MpambaMpamba 上が悪いとは言えない、あるいは上が本当に悪いなら救いがないので上はまともなことにして、中間のえらい人が悪いって話になるのは日本に限らない傾向ですからね。
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きさら@冬が来た @m_kisara 2017年11月2日
農民はじゃなく、豪農はだよね。 全部が全部貧困だと、小作人がーとか田畑を売ったとかの話は出てこない。 まぁ、そこそこの農民は豊かだったろうけどね。お伊勢さんとか金毘羅さんとかの観光ツアーが人気だったわけだし。
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きんだいち @kanedaichi1 2017年11月2日
mikumiku_aloha むしろなんでヨーロッパだけあんなに急速に発達
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きんだいち @kanedaichi1 2017年11月2日
moudamepo150701 昔は世界中第一第二エンゲル係数めっちゃ高そう
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せいちゃん @seichan10920609 2017年11月2日
貧農史観のすりこみは教育によるものでなく、ドラマや映画、小説等の創作物によるものではないだろうか? 学校ではせいぜい士農工商の身分制で武士の身分が上だったぐらいしか教わってないと思う。 年貢(米)から税金への変化の話は面白いけどね。(´・ω・`)
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Dally @Dally_Shiga 2017年11月2日
私のころは「農民の厳しかった生活」の例として「慶安の御触書」なんかが紹介されてたものでしたけど、幕令だったかどうかに議論の余地があり、今の教科書には載せてないものもあるそうですね。
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嶺本八美 @Ryoumoto08 2017年11月2日
どの時代、どの地域、どの階層に焦点を当てるかで全然話が違ってくるから、ひとくくりにはできない話だよね。おそらく江戸中~後期をみてるのだろうけど、基本的に農村では上層と下層への階層分化が進んでて、裕福な家は旅行に行ったりもしてたけど、気候の問題があったり領主の問題があったりして農村部全体としては(特に東日本)疲弊してたというのが自分の理解。そもそも農民が裕福だったら二宮尊徳とか出てきて農村復興策とかやらないもん。
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小川靖浩 @olfey0506 2017年11月2日
kanedaichi1 「敵対する異文化(この場合イスラム)」の存在が結果として切磋琢磨を起こした、というのもあるんじゃないかと。実際オスマン帝国があった時代ではイスタンブールが西洋の実際の中心地になった、ってのもありますからねぇ。オスマンを押し返してヨーロッパが世界の中心に戻ったのも結局は「イスラムに抑えられた陸路ではなく海路による香辛料交易開拓」すなわち大航海時代でアフリカ、アメリカ大陸に進出してからですしねぇ
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赤羽のマザー @an_shida 2017年11月2日
新発見や大事件があればそこのクラスタがざわめく。新聞や雑誌はそのあと。新書なんてもっとあと。
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Earwax @Earwax97409510 2017年11月2日
「人口の8割は農民」と書いてる時点で「あ、これだと主語がでかすぎるな」と気付かなかったんだろうか…
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月2日
kanedaichi1 欧州の技術も中東や中国から伝来で発達したものもあり孤立したもので無いように日本にも欧州の技術そのものは伝来している認識です。エレキテルと遊んでいたぐらいで
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elcondor @elcondor 2017年11月2日
比較的自作農率の高い江戸期初期と階層分化で小作農が増えた中期以降とか、比較的地味が豊かな関東の天領と薩摩やら盛岡やらとを一絡げにしても浅い議論にしかならないのでは。税率すら地域で違うわけで。
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魔人 @MajinWith 2017年11月2日
青二才の文字が見えたんでまとめは読んでいないのですが、図書館ではだしのゲンやアドルフに告ぐが並ぶ中にあったカムイ伝を見てから江戸時代の百姓は虐げられたんだなと近年まで思っていました
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ISW @ISW007 2017年11月2日
自作農なら天候に恵まれれば貧しくはないだろうけど、セーフティーネットのない時代に洪水や旱魃、冷害などで収量が激減すれば、生きるために土地を手放してどんどん小作農に転落していき、以後は貧乏から抜け出せない、ってことだよね。そこそこの蓄えを維持し続ける習慣がないと、ひとたび貧乏になったら這い上がれないってのは現代でも変わってないけど、江戸時代よりはマシかな?
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kimuraお兄さん@小豆島 @nobuo_kimura 2017年11月2日
kanedaichi1 sudo_simoigusa ( ×H×)y-~~ああ、それは植民地が莫大な資本をもらたし、投資を促したからですね。
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kimuraお兄さん@小豆島 @nobuo_kimura 2017年11月2日
( ×H×)y-~~3~40年ぐらい前、ボクの学生時代にはまだ授業で年貢の割合とかから、全剰余を収奪されていたとする内容が教えられていたように記憶。最近は知らない。
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M☆E☆T☆A @Metaborough 2017年11月2日
MpambaMpamba 代官や奉行をちゃんと務めると、最後には過労死が待ってるんだそうで。 私腹を肥やすような悪事も出来ず、業務が滞ると統治委託をしてる上からも、統治されてる下からも突き上げられてるって、武士の仕事はブラックだよなあ。
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のぶニャがのヤン坊 @MpambaMpamba 2017年11月2日
sudo_simoigusa 産業革命だけじゃないお。「鉄 血 病原菌」あたり読んでみれ。 イラストでわかる『銃・病原菌・鉄』 http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2016/01/22/073000 不潔なケモナーだったから欧州が世界制覇できたなんておおっぴらに胸を張って主張はでけんやろな、今となっては。
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きんだいち @kanedaichi1 2017年11月2日
sudo_simoigusa 産業革命が起きた理由をしりたい
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きんだいち @kanedaichi1 2017年11月2日
mikumiku_aloha そしたらなぜ中国や中東で先に発展しなかったという疑問
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月2日
kanedaichi1 欧州での産業革命はおおよそ18世紀の真ん中ぐらいで、近代科学の元となるフランシス・ベーコンの帰納法の提唱があったのが1620年、ニュートン力学が1687年なので、近代科学の手法の影響が大きいと思われます。
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月2日
kanedaichi1 オスマン帝国は江戸時代になるちょい前から欧州が産業革命で盛り上がるまでは欧州の国と丁々発止でやりあっていたみたいですよ。
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月2日
kanedaichi1 漢民族の王朝は南宋で一度途切れていて、その後の明も清に。南宋が滅ぶあたりは、外国勢力を野蛮人と馬鹿にする風潮と官僚制度による政治の硬直化で新しい技術の導入は遅滞。明の滅亡も似たようなノリじゃないかと思います。
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月2日
kanedaichi1 自分も詳しくありませんが、ググるとヘザルフェン・アフメト・チェレビという人がグライダーでの飛行、その弟がロケット飛行をやったという話も出てきます。その様子がイングランドに伝わったとも。
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月2日
mikumiku_aloha の書き込みで言いたいのは、科学の発達によって欧米の技術に遅れていても輸入した知識(エレキテルとか)を政治や軍事に導入できていれば、旧態依然のままアヘン戦争でビックリとかにはならなかったと思うのです。
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危篤前☣どぅなるどぅ🚯彼女急募🔞 @kitokumae 2017年11月3日
奉行所に訴えて利権調整された程度には、民事訴訟も行われていた江戸時代。千葉あたりで、水運についての利害調整判決が出ていることもあるから、驚く必要もないかな。時代劇と教科書に毒されすぎて考えるのを止めたらいかんのですよ。
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取鳥族ジャーヘッド/約二年寝過ごした76レジデント @torijar 2017年11月3日
共産主義的史観は江戸暗黒説よりも「惣村は上下の無い合議による理想的自治組織」「善良な農民が横暴な武士・商人に虐げられることへの反抗が一揆」とかの農村に対する清く正しい善民の住まう理想郷化バイアスが主体じゃねえかなぁ
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取鳥族ジャーヘッド/約二年寝過ごした76レジデント @torijar 2017年11月3日
kanedaichi1 木綿という絹以外の他の繊維を過去のものにするスーパー繊維の原料調達の目処が立って加工技術の研究が急務になったから
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shin3 @chintaro3 2017年11月3日
田舎に住んで電気を使わず100%自給自足すれば、今でも江戸時代の気分を味わう事ができるよ。それが豊かと思うならやってみればいい。
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@b100c 2017年11月3日
MpambaMpamba 天然痘ウイルスのついた毛布を配って虐殺とかしてるからねえ・・・
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日比谷猫 @taro_GRU 2017年11月3日
貧農感を主に植え付けているのは近代以降の創作物に起因するものだと思うのだけど、そもそも庶民の生活がどうだったのかっていう、権力の反対側がどうだったのかを教わらなさすぎるのが問題だと思うんだよね。だから「事件」と「社会」の関係性を想像しづらくなる。事件のない安定した時代は無視されて、飢餓や飢饉などをきっかけに不安定な時代へと突入していく様子だけが教科書には積み上げられている。
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あさひんご @asahineru 2017年11月3日
この本には生産の余剰は必ずしも農民を豊かにしなかった、とか、金本位制になった理由はなぜなのか(享保の改革時にインフレと飢饉)とか書いてるはずなんだけれど、そこまで読まずに最初だけ読んでこのまとめ作り始めたんだろうなぁ……。青二才さんらしいわ。
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あさひんご @asahineru 2017年11月3日
当然ながら貧農ばかりではなかったのはみんな知ってるはずで、実際は18世紀なかばには豪農という存在が多く登場し、藩の経営に大きく関与したのは歴史の教科書にもちゃんと載っている。なにか知ったときに「学校で教えない」って言葉を使う人間は、たいてい高校時代にちゃんと勉強してなかっただけだと思うんだよね。そこまで学校教育って薄くないよ。先生次第だけど。
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あさひんご @asahineru 2017年11月3日
他の国の歴史とかをちゃんと見てれば、どこの国でも「豪農」が他の貧農たちを支配する構造になっているのは共通していることがわかります。武士が直接管理しなくなり、商業化が進めば進むほど、成功するものと失敗するものにわかれ、失敗した人間は江戸時代初期よりも権利的に弱い立場になっていくわけです。今の社会だって同じでしょう? 今の社会にちゃんと生きてたら「農民全体が豊かだった」なんて発想はいかにズレてるかなんて考えればわかるはずなんだけど。
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すんすけ @tyuusyo 2017年11月3日
貧農史観というか、江戸幕府暗黒史観を主張したのは西村真次『江戸時代創始期』1922当たりだよね。なにしろ「家康はいけすかない因業親爺、日本人ではなくシナ人のような性格、民衆の敵」と断言した人ですから。
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きんだいち @kanedaichi1 2017年11月3日
mikumiku_aloha お上が民間を追い付いてない感じですね、中国は
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きんだいち @kanedaichi1 2017年11月3日
torijar それだけだと先に木綿をてに入れた国で産業革命が起きるはず 日本もヨーロッパより先に木綿を手に入れていたのでは
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ut_ken @ut_ken 2017年11月3日
最近の小説についても寝言を言ってた方のセルフまとめですか。ちなみに「学校ではそう教えてる」とよく言われてるのに実際の教科書など確認するとそんなことはないという例としては「田沼は悪い賄賂政治家で、松平定信は素晴らしいという、偏った教え方をしている」。すくなくとも1995年の教科書の時点から双方同じように長所と短所を無難に述べている。
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ut_ken @ut_ken 2017年11月3日
tyuusyo ちなみに俗説だと「信長や秀吉が先進的な政策をしてたのに、家康が遅れた身分制や米中心の社会にしてしまった」というのも見かけますね。実際には大抵のことは、社会の実情にそいながら信長ー>秀吉ー>家康と順当に発展洗練されている。
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年11月3日
kanedaichi1 話が脱線しますが、中国では春秋戦国の時代は周りの狩猟民族を馬鹿にしながらも狩猟民族の技法である騎馬を導入したり鉄器を導入したり、外側から学ぶことが出来ていたのですが、百家争鳴と言われた思想や学問が儒教に支配され官僚制が強くなると硬直化していったような印象です
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きんだいち @kanedaichi1 2017年11月3日
mikumiku_aloha 趙の胡服騎射の場合、趙は伝統的に北方民族への偏見が薄かったせいもあるかも 晋が北方民族から妃をむかえたり
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Daiji @Daiji75 2017年11月3日
米以外の作物や加工品を直接売ることのできた都市近郊と、山奥の寒村を一緒くたにはできないでしょう。百姓は昔も今も、販路を持っているかどうかが大きな違いをうむ。
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取鳥族ジャーヘッド/約二年寝過ごした76レジデント @torijar 2017年11月3日
kanedaichi1 史実から"そうなった"要素を手繰ると一つは「木綿(綿糸・織物)は儲かるけど綿花はそれほどでもない」点、一つは「人海戦術でなんとか処理できる国は散発的な織師が生まれるだけ(問屋制)で莫大な初期投資が必要な大規模機械工場が求められない」点、一つは「巨大な消費強制地(植民地)を保持する」点ですかな。無論これを揃えれば絶対に起きると言う条件ではないですが
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きんだいち @kanedaichi1 2017年11月3日
torijar まずヨーロッパが発展した原因として、「遊牧民族の侵略をうけなかった」と「小国に分かれていて戦争をしていたために武器の革新が求められた」の二つがあると思いますが、 そこにそれらの要因を足すと産業革命の完成って感じですかね
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未就学児童 @M2GKZ 2017年11月3日
農民が豊かであったか?というと農民にも格差や地域差があって一概には言えないけど、よく学校で愚かな先生が教えている「農民は搾取されて皆貧しかった」というのは、明確に誤っているというか。
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はよ @hayohater 2017年11月3日
教科書ではさらっと触れてて、学習漫画でよりビジュアル的に理解したって感じかな。それだって深くは掘り下げようもないから「農民はコメばかりじゃなくてだんだん養蚕や商品作物つくって工場制手工業はやってた、飢饉が起きると悲惨だったり一揆もおこったり、一方で武士も基本給料がコメでそれを換金するから買いたたかれて生活厳しい武士もいたりするし」って。
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ふゆやすみ @dandonban 2017年11月4日
元本知らんけど、コメにあるように地域差があったのは確かで、特に天領が緩くて奈良県なんて200人くらいしか武士が派遣されていなかった。一方、南部藩だと醤油生産で需要の伸びていた商品作物:大豆に走り食料生産を減らしたので2年続きの不作で大量の餓死者を出したと。あと武士の給与は米で、江戸時代が進むと米価がどんどん下がるのに知行が増えないから困窮したなんてのが、明治の地租改正のと遠因だった筈(中高歴史教科書
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俺たちに明日はない @aikifujin00 2017年11月4日
産業革命直前の農民は人類史的に最も寿命が短かったらしいけど日本で言うと江戸時代のことなのでは。
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みゆう @MinamidaYminami 2017年11月7日
大量の鉄砲を保有していたり、南蛮貿易(カステラや眼鏡や地球儀が伝わったり)で華やかな安土桃山時代と違って、江戸時代は閉鎖的で地味なイメージ ( =Φ人Φ=)
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