指輪物語、原作と映画の違いとその解釈

原作、旅の仲間の結成シーンから、小説と映画のメディアとしての違いなどに議論が発展。そして指輪への愛を叫ぶ人々。
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Orihara @shinobu_o

「指輪の仲間は九人としよう。悪しき九人の乗り手どもに対し、九人の徒歩の者が行くのだ。そなたと、そなたの忠実な僕とともに、ガンダルフが行くだろう。なぜといえば、これはかれ一代の大仕事となるだろうし、おそらく生涯のいさおしをしあげる花となるかもしれぬ。(続)

2010-03-30 00:23:23
Orihara @shinobu_o

残りの隊員は世界のその他の自由の民、すなわち、エルフ、ドワーフ、人間を代表する者たちとしよう。エルフを代表してレゴラス、ドワーフを代表してグローインの息子ギムリを行かせよう。かれらは少なくとも霧ふり山脈を越えるところまで、場合によったらもっと先まで、喜んで行動をともにするだろう。

2010-03-30 00:25:46
Orihara @shinobu_o

人間の代表としては、アラソルンの子アラゴルンを同伴させよう。なぜならイシルドゥアの指輪はかれと密接な関係を持っているからだ。」「馳夫さんが!」フロドは叫びました。「そうだよ。」馳夫がにっこりして言いました。「もう一度あんたに、お伴をさせてくれとお願いしよう、フロド」

2010-03-30 00:27:30
Orihara @shinobu_o

『新版指輪物語 旅の仲間3 下1』146ページより。

2010-03-30 00:28:01
Orihara @shinobu_o

この場面は映画には無い、というか、相当異なる場面となっています。映画につれていった友人に「なんでレゴラスとギムリは意志を確認もされないで、いっしょに行くことになってるんですか」と聞かれて驚きました。それは考えたこともなかったから。

2010-03-30 00:29:51
Orihara @shinobu_o

レゴラスもギムリも、故郷は霧降山脈の東側にあり、防衛のために帰るとすれば、山を越えなくてはなりません。それはともかく。隠密にひとり旅をするより遥かに危険な使命の旅に同行すると指名されても、異論をはさむ様子はありません。結論を先に言えば、ふたりとも統治者の家系の生まれだからです。

2010-03-30 00:33:38
Orihara @shinobu_o

ノブレス・オブリッジというやつですね。馳夫ことアラゴルンも、例外ではありません。そしてガンダルフは、まさにこの旅の助けとなるために、中つ国につかわされたひとです。否やがあろうはずはありません。ガンダルフをつかわしたのは、中つ国の、否、アルダの神とも言える、ヴァラアルです。

2010-03-30 00:37:37
Orihara @shinobu_o

使命の旅の仲間を選ぶエルロンドはもちろん、闇の森で戦い続けるスランドゥイル、灰色港で舟を作りつづけるキアダンと、おもだったエルフたち、影の濃い時代に耐えるよう堅固に創られたドワーフたち、遠くヌメノールの風を受け継ぐ人の子の王にしても、ヴァラアルを慕い、その権威を尊んできました。

2010-03-30 00:42:13
Orihara @shinobu_o

それは『指輪物語』のなかでつまびらかに説明されることはありません。リン・カーターでしたか、『指輪物語』の作品世界の大いなる欠点は、宗教の欠如だと言いました。それほどまでに、超越的な存在とのつながりは(読者が投影するところの)ホビットたちからは切り離されています。

2010-03-30 00:44:12
Orihara @shinobu_o

直接につながることなく、垣間見ること。それが『指輪物語』のホビット視点の現代性ではないかと思うのですが、話が逸れました。ガンダルフ、レゴラス、ギムリ、そしてアラゴルンは、そのように定められ、あるいは育てられたものとして、物語のなかにあるのです。神話や叙事詩の賢者であり(続)

2010-03-30 00:46:35
Orihara @shinobu_o

(承前)、超自然的な助力者であり、叙事詩の王であり、変わらずにつとめを果たします。もちろんこれはシルマリルくらいまでは読み進んだ一読者の感想でしかありませんが。馳夫さんは時に大笑いし、道案内に悩んだり後悔したりしますが、等身大のヒーローかっていうと……そうじゃない(続)

2010-03-30 00:50:18
Orihara @shinobu_o

(承前)、というのは、どなたも共感していただけることでしょう。ひるがえって、映画ではどうでしょうか。割と最初のころの予告編だったと思いますが、アラゴルンがフロドに同行を申し出て "You have my sword."というところ。正直、あれは驚きました。

2010-03-30 00:53:19
Orihara @shinobu_o

そりゃ、世を忍ぶ仮の姿でゴンドールで仕官したりはしていた人ですが。いよいよ正統の王として活動を始めようというときに、剣を他の者に捧げたりするでしょうか。疑問に思ったまま映画を見て、こんな人は馳夫さんじゃないと思いつつ、なんとなく納得しました。旅の仲間はすべて志願者だったのです。

2010-03-30 00:56:35
Orihara @shinobu_o

そしてストライダーことアラゴルンは、まことに迷う者でした。滅びかかる一族を首長として支えながら、代々課せられた野伏のつとめを果たすには、ところを定めず荒野を宿りとしなくてはなりません。定住する人々には彷徨うものと見えたでしょう。映画のアラゴルンには、気持ちにも迷いがありました。

2010-03-30 01:01:02
Orihara @shinobu_o

このままでいいのか、はたして自分に古来から言い伝えられてきた王の役回りが務まるのか、人として考える力があれば、疑わずにはいられないでしょう。血筋が何ほどのものかと、思うこともあったでしょう。それでも、フロドの使命の旅を助けるべく、志願したわけで。

2010-03-30 01:04:04
Orihara @shinobu_o

原作ではホビットたち以外は淡々と進む旅の仲間の選出が、映画ではひとつのクライマックスになっているのは、それ以外の仲間たちも、個人としての決意によって志願するから、なのでしょう。ボロミアも例外ではありません。感に堪えぬように、映画のエルロンドは「九人の仲間」と呟いたはずです。

2010-03-30 01:08:14
Orihara @shinobu_o

召命に粛々と従うこと、またそれを当たり前のこととして良しとする原作の考え方は、トールキン自身がカトリックであったことに関係があるのでしょう。おそらくは。それが『指輪物語』の特色でもあります。いや、わたしはそこも好きなんですけどね(笑。ただ、そのままを映画で描写したとしても(続)

2010-03-30 01:10:59
Orihara @shinobu_o

(承前)、現代の観客の大半にはよく分からないと思います。映像作品は特に、その場でわかること、目に見えるものが全てですから。わからない動機で動いている登場人物に共感したり投影できる人は……多いとは思えません。

2010-03-30 01:13:06
柳川邦彦 @kyanagawa

@shinobu_o 逆に旅の仲間は映画から入った私には、原作の仲間結成のあっさりさは拍子抜けでした。原作の描写に込められた意図などはあるにせよ、今でも映画の「You have my sword」は屈指の名シーンだと思っています。

2010-03-30 01:14:28
Orihara @shinobu_o

天命に従い我欲を離れることを良しとし、人間的な欲求に屈することを闇に下るとした原作の考え方は、映画では廃されています。人としての心の望みに従って、指輪を壊す使命の旅に志願する。人として滅びようとしている祖国を支えようとして一旦は力を望み、我に返って悔やむ。人間的であることを(続)

2010-03-30 01:16:03
岡島正晃 @ADLAHIR

@kyanagawa 同感。確かル・グィンが「(原作の)アラゴルンなんて、クソつまらない人物」(←超意訳)みたいなコトを言ってたけど、映画版の人物像を観て「ごもっとも!」とか思っちゃった(@@)。同じコトは、兄上にも言えるよね。

2010-03-30 01:18:27
Orihara @shinobu_o

(承前)良しとしています。それが、使命の旅を成功に導きます。ここに矛盾が無いのは、そもそも指輪を捨てにいく所持者であるホビット族のフロドが、原作でも非常に人間的に――映画のそれとはいささか異なりますが、20世紀を生きた作者の分身として、生き生きと描かれているからに他なりません。

2010-03-30 01:19:06
柳川邦彦 @kyanagawa

.@ADLAHIR 全体的に、原作のキャラは英雄的すぎて人間味がないんですよね。例外はホビットぐらい。映画のギムリは賛否かなり分かれましたが、原作ままじゃ映画では印象薄くなっただろうとも思いますし。

2010-03-30 01:20:52
Orihara @shinobu_o

あの原作の全体を、人間の物語として語り直したからこそ、映画は成功したのでしょう。すばらしい翻案だったと思います。でも――それでも原作の馳夫さんや、いい年こいたフロド、血など通っていないようなエルロンドが見たかったなあ、とは思うんですがね(笑。

2010-03-30 01:21:51
岡島正晃 @ADLAHIR

@shinobu_o @shinobu_o これまた同感です。原作の英雄たちはあくまで叙事詩的に、一種の「超人であったこと」だけが描かれており、ゆえにこそル・グィンの発言もあるのでしょうが、映像表現はただ厳しいツラをした英雄だけを映していても、退屈なんでしょうね。

2010-03-30 01:22:03
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