hanagyu0604akkoさんの震災

仙台市で被災されたhanagyu0604akkoさんの被災直後の状況を思い出されてのツイートが印象的だったのでまとめてみました。
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はなぎう @hanagyu0604akko

さて、私のちっぽけな脳味噌が容量オーバーして、記憶が失くなってしまわないうちに、震災当日、その瞬間のことを、出来る限り克明に思い出してみようと思う。意味があるのかどうかは解らないけれど、何かの教訓にはなりそうな気がする。

2011-03-23 00:08:39
はなぎう @hanagyu0604akko

3/11 PM2:46、地震の瞬間、私は仕事場へ向かう為にアパートをまさに出ようとしていた(私の仕事は、昼過ぎ〜深夜という勤務時間帯である)。行く途中で、中心街で地下鉄を下車し、ホワイトデーのお返しを買おうと思っていた。朝から薄暗く、灰色の雲が立ち込める昼下がりだった。

2011-03-23 00:16:29
はなぎう @hanagyu0604akko

仕事着のまま、カバンとサブバッグを抱え、部屋を出ようとしたところで、揺れを感じた。地震なんていつものことなので、最初は特に驚きもしなかった。『いつもの震度3くらいの地震でしょ、大したことないさ〜』と、そのまま出掛けようとさえしていたくらいだった。

2011-03-23 00:21:12
はなぎう @hanagyu0604akko

だけど、あの日の地震はそうじゃなかった。時間が経つにつれて、揺れは激しさを増していった。私は通勤用の荷物を足元に置いて、部屋へと引き返した。AVラックを押さえようと思ったのである。

2011-03-23 08:14:25
はなぎう @hanagyu0604akko

揺れの中、よろめきながら部屋の端まで向かった。途中で様々なものが既に雪崩れ落ちてきており、足元が悪く、上手く前に進めなかった。辿り着いて押さえられたは良いものの、中のコンポや雑貨が次々に振落とされるのを、私は食い止めることが出来なかった。

2011-03-23 08:21:36
はなぎう @hanagyu0604akko

ふと後ろを振返ると、ベッド脇の壁に掛けた額と鏡が、落下してマットレスの上でバウンドしていた。その瞬間、私はAVラックの中の物を守ることを放棄した。『いかん、この部屋は潰れる』、そう本能で察知した。私は玄関へと向かった。

2011-03-23 08:31:09
はなぎう @hanagyu0604akko

部屋から玄関へと出る廊下に、キッチンがある。そこを通り過ぎようとした時、シンク上にある棚の扉が開いて、私の頭上に中の食器が降ってきた。これまで何度か大きな地震を経験しているが、そんな風になったのは初めてのことだった。

2011-03-23 12:21:47
はなぎう @hanagyu0604akko

咄嗟に頭を腕で庇った。外出前だったので、既にコートを着ていたのが幸いした。落下してきたパスタ用の大皿が、腕に当たって跳ね返り、目の前の床に叩き付けられた。それを見た時、『死ぬ』と思った。本気で、そう思った。

2011-03-23 12:30:45
はなぎう @hanagyu0604akko

恐怖で腰が抜けそうになりながら、殆ど這い出すような体勢で、玄関を開け、アパートの廊下へと逃れた。近所の飼い犬達が、ワォンワォンと激しく吠え合っているのが聞こえてきた。彼らなりに異変を感じているのだろう、と思った。

2011-03-23 12:37:32
はなぎう @hanagyu0604akko

アパートの廊下に踞りながら、私は『うそうそうそ、もういいでしょー!! お願いだから、揺れないでーー!!!』と呟いていたつもりが、多分、ほぼ喚いていた。この間、揺れはずっと続いていた。時間にして3分程だろうか。

2011-03-24 11:20:45
はなぎう @hanagyu0604akko

揺れが収まった後、世界が、しん、と静まりかえった。あんなに激しく泣いていた犬の鳴き声も、聞こえなくなった。そこで、玄関を開けて、部屋の中を覗いてみた。棚という棚から、ありとあらゆる家財道具が落ちて、全てが元の位置に無かった。

2011-03-24 13:50:04
はなぎう @hanagyu0604akko

とりあえず、何が起こったのか、確かめようと思い、TVを点けようと部屋の中に入った。廊下を歩いていた途中、"パキッ"という音と共に、足の裏に閃痛が走った。ガラスの破片を思い切り、踏んづけてしまったのだった。

2011-03-24 13:54:22
はなぎう @hanagyu0604akko

仕方が無くて、近所に履いていく用のサンダルを玄関から引張り出し、掃いたままで部屋の中へ向かった。果たして、部屋の中も酷いことになっていた。TVもDVDプレイヤーもCDコンポも全てが吹っ飛んで、AVラックはほぼ空の状態であった。

2011-03-24 13:58:09
はなぎう @hanagyu0604akko

とりあえず、TVを元の位置に戻し、電源を入れようとした…ら、点かない。この時私は、TVが壊れてしまったのだと思った。仕方無く携帯のワンセグ機能を立上げた。キャスターが緊迫した声で、先の地震の激しさばかりを伝えていた。

2011-03-24 14:23:45
はなぎう @hanagyu0604akko

『電車は動くのだろうか』とふと思った。私は通勤に電車を使っている。不通になってしまえば、当然仕事には行けない。どうしよう。とりあえず自転車で最寄駅に向かった。が、当り前のことだが、あの揺れで電車なんか動くわけはない。私は焦った。どうやって仕事に行こう?

2011-03-24 14:31:31
はなぎう @hanagyu0604akko

仕事場に電話を掛けた。が、発信規制でうんともすんとも繋がらない。そうこうしているうちに、色んな人からメールが来始めた。返すのが面倒くさくてとりあえず保留する。この時点で、家族に無事を伝えるべく、災害用伝言板にメッセージを残す。

2011-03-24 14:43:15
はなぎう @hanagyu0604akko

手も足も出ないので、自転車で家へと引き返す。この揺れでは、どうせ今日は仕事なんて無いんだろうな、とも思った。連絡が来るまで、家で掃除でもして、待っていようか。いやしかし、あの部屋を全部掃除するのにどんだけ掛かる? 考えて憂鬱になってしまった。

2011-03-24 14:51:23
はなぎう @hanagyu0604akko

アパートに着いて、仕事着を脱いで、部屋着に着替えた。先程来たメールをしっかり読む。殆どが、私の安否を気遣うメールであった。片っ端から返信をしまくろうとした。が、発信規制で通じたり通じなかったり。イライラした。

2011-03-24 15:15:05
はなぎう @hanagyu0604akko

そうこうしているうちにトイレに行きたくなった。ゴミの山を掻き分けて、トイレの扉を開け、電気を点けようとした…が、点かない。この時、初めて私は停電になってしまっていることを悟った。仕方無く、真っ暗な中で用を足した。

2011-03-24 15:20:07
はなぎう @hanagyu0604akko

そこへ、仕事場の上司からメールが。『今日の仕事は無し。こっちに向かうな。今、津波が建物の前まで来た。今から避難する』との旨だった。この後、4日間連絡が取れなくなり(停電の為)、どうしようも無いくらいに心配する。

2011-03-24 16:10:08
はなぎう @hanagyu0604akko

津波ですって!? なんでまた。仕事場は確かに海からは近いが、少なくとも5kmは離れている筈。恐怖を感じ、震える指でまたワンセグを起動した。丁度そこへまた、大き目の余震が来た。私はその場に頭を抱えて踞った。

2011-03-24 16:53:54
はなぎう @hanagyu0604akko

余震は程無くして収まったが、私は本当に怖くなった。このままでは、この街どころか、東北全体が大惨事になってしまうかもしれない。携帯電話の電池が保つうちに、通信網が正常に動くうちに、私は大事な友人達にメールをすることにした。

2011-03-25 14:09:47
はなぎう @hanagyu0604akko

市内・県内の友人達は、それぞれが事態の収拾に追われていた(か、停電の影響があった)のだろう、連絡は付かなかった。しかし、いち早く返信が来たのは、なんと国外に住む友人だった。海の向こうでも、この地震は既にニュースになっていたようだった。

2011-03-25 14:16:33
はなぎう @hanagyu0604akko

『ネットも使えないだろうから、必要な情報があれば流すから言ってくれ』という旨のメール。停電が復旧し、ネットが繋がる迄の暫くの間(ほぼ丸2日間)、彼とのメールのやり取りが情報の生命線となった。とても助かったし、心強かった。

2011-03-25 14:20:34
はなぎう @hanagyu0604akko

携帯のワンセグを消したり点けたりを繰返していたが、ふと『宮城野区の中学生が、津波に呑まれて1人行方不明になった』というニュースが読まれたのが聞こえた。私の仕事場は宮城野区にある。もしかしたら教え子かもしれない、という思いが頭を掠めた。

2011-03-25 14:26:26