2017.11.17 パク・ミンギュ来日トークイベント@神保町 ざっくりまとめ
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では一昨日神保町で行われた、『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』刊行記念パク・ミンギュトークイベントの模様をつぶやきます。写真撮り放題とおっしゃってましたが自分の席は遠くてあまりいい写真が撮れず。しかし誰かに似てると思ったらあれだ、アラーキーだ(だいたい眼鏡のせい) pic.twitter.com/2IHblvTDbZ
2017-11-19 21:38:29まずご本人、インパクトの見た目に反して囁くような小声でしゃべるのでびっくり。「本来はこんなに小声ではないんです。成長期に周りに声が大きい人が余りに多くて、小声を練習したからこうなりました。でも韓国では『声の大きい者が勝つ』と言われるので今日はできるだけ大きい声で話します」との弁。
2017-11-19 21:41:06『三美』については、彼は韓国プロ野球元年世代で本当に熱狂したのでいつか80年代野球を題材にしたいと考えてて、この『三美』の他にヘテ・タイガースの話も考えていたそう。そちらは80年の光州事件の遺族が、タイガースのソン・ドンヨル(光州出身)に希望をかける物語だったとか。
2017-11-19 21:45:19『三美』を書いた頃は韓国で通貨危機が起きリストラが吹き荒れた時期。「生涯の職場」・(勤勉に働けば国や会社が支えてくれると思ってきた世代が、メールひとつで首を切られて失敗者に転落する。
2017-11-19 21:49:16当時勤めてた会社の近所には、家族にリストラを伝えられず出勤のふりをして公園に集い時間を潰す家長たちが集まっていた。彼らのために何かを書きたいと思い、辞表を出して書いたのがデビュー作の『三美』だそう。(同時に未邦訳の『地球英雄伝説』でも新人賞受賞)
2017-11-19 21:51:29彼は68年生、後進国だった韓国が競争社会に変わっていったことを証言できる最後の「発見の世代」。軍の独裁政権時代はみんな競争せずただひたすら生きていたと。「人間は苦しい時、それに耐えるための何かを発明する気がする」と言っていたのが印象的。
2017-11-19 21:54:39学校では最下位の等級だったが、その経験がものを書くことに影響を与えたと思うとのこと。そもそもそこに生徒がいたと気づかれないよう自分の机と椅子を倉庫に隠してサボり、試験時には答案に何も書かず教室を出るような生徒だったので、本当にさんざん殴られたそう。
2017-11-19 21:57:22中でも軍事教練で朝礼をやらされる時はいつも裏山でタバコを吸ってて、捕まっては殴られまたサボっては殴られる日々。でも2ヶ月続けたところ、しまいに先生が、朝礼に参加せず、裏山からも離れなければいいと交渉してきた。その時知ったのは、「最後まで耐えればいつか誰かが交渉してくる」こと。
2017-11-19 22:01:27裏山から運動場を見下ろして、そこで教練や不公平な競走等をやらされ、勝って賞をもらって誇らしげにしてる生徒より、自分の方が百倍幸せと思ったし、辞表を出して小説を書き始めた時も周りから「狂ったか」と思われたが少しも怖くなかった、と。学校での経験は彼の姿勢に大きな影響を与えてるよう。
2017-11-19 22:05:19翻訳家の斎藤真理子先生はその話を受けて「彼の特徴は叙情と批評の一体化。出発点は叙情だけど社会を面白い視点で見てる。それは裏山から運動場を眺める視点のようだ」と指摘されてました。
2017-11-19 22:08:16同じく登壇されてた翻訳家の吉原育子先生は「韓国でも彼はすごく人気があって、たまにイベントをやるとたくさん人が集まる。本当は一番好きで訳したかったのが『三美』で、自分でやりたかったけども訳されたのが本当に嬉しい」とのことでした。
2017-11-19 22:11:03『三美』のラストを逆のエンディングにしようとしたそうだが、との問いには、「韓国には『フェイクの希望』という表現がある。それを考えると胸が痛んで悩んだが、読者をとにかく慰めたい気持ちもあって希望的エンディングにした」と。うう、早く読もう……。
2017-11-19 22:13:43驚いたのは「私はあまり文学は好きではない」と語ってたこと。87年に入った大学では文学創作学科にいたが、反政権運動や学内闘争でみんなろくに授業出てない時代で、文学の教育はまともに受けてないと。ただ、詩や絵画や彫刻は元々好きだし音楽や写真は自分でもやってたそう。
2017-11-19 22:19:59彼は家電を買ってもマニュアルを見ないそうで、小説も手探りでいきなり書いて、生まれて初めて書いたのが『三美』だったとか。そもそも小説とは分厚いものだと思ってて、世界に短篇というものがあることを知らなかったらしいw。
2017-11-19 22:21:50大学の先輩がそれを知って「小説は短篇から習作を積み上げて長篇を書くものだ」と言ってきたので、何様だと思いつつ間違ったことしたのかと不安になり、挽回できるかなと20作ほど短篇を書いてみた結果『カステラ』が生まれたそうな。天才……。
2017-11-19 22:23:52斎藤先生の「韓国には私小説がないと言われてきたが、彼の世代あたりから韓国文学が変わってきている」という指摘には、彼は「自分は小説というものを学んでなかったからだと思う」との答え。「そんなバカなままでいることが創作には良い選択だと思っててそのまま生きてる」と。
2017-11-19 22:26:53『パヴァーヌ』のヨハンと『ピンポン』のモアイは同一人物か、との問いには、『三美』と『パヴァーヌ』の2人の少年は圧力の中で成長し、従いつつも抗うふたつの自分の延長かも、ただ『ピンポン』の2人は少し違って『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカムパネルラの延長かも、と。素敵な答えだ……
2017-11-19 22:30:15だいたいこんな具合の、1時間強のトークでした。時間が押し気味で、その後は慌ただしくサイン会。面白い話ばかりで、だからこそもっと色々聞きたかったなー。あとスタッフの方が着てた三美スーパースターズTシャツ欲しいんですがどこかで買えるんですかねw。
2017-11-19 22:33:19