ここんところよく「やらない善よりやる偽善」という言葉を耳にするけれど、そんなに卑下することなのかなぁ。周囲に見える形の「善」をすべて「偽善」と呼んでる気がするけれど、それは違うんじゃないかなぁと思う。
2011-03-26 11:58:06@straw_scarecrow 個人的には、助けたい気持ちと同時に、自分が後ろめたかったり義務感に苛まれるような感覚がなきにしもあらずで、自分が楽になりたいからという動機が「偽善」のような気がしています←自分のことね。
2011-03-26 12:08:56@spicyleaf 究極を突き詰めたら、どんな行為も「『誰かのため』と思える自分のため」だと思うんですけどね。偽善って言うのは、「善」のように見える行為だけど、主格者が『善』とは別の意思を持っている行為だと、僕は思います。まぁ『詐欺』に近い感覚です。
2011-03-26 12:51:39@straw_scarecrow 悪意があるかどうかは重要な境目ではあると思うけど、悪意がなくとも自己満ボランティアや価値観の押し付けも相手にしたら迷惑以外の何物でもないこともある。自分の行為を客観的に認識できているかどうか。善の意味するものも、改めて考えるきっかけになりますね。
2011-03-26 13:00:29偽 という字が示す意味の範囲を、どこら辺までに設定するかで変わってくると思うの。みんなが「偽善」て言ってるのは、かなりふわっと大枠な感じで、動機の後ろめたさを自覚してるから。もちろんそこに悪意はない。ただ純粋ではない感じがするから、正面切って「善」とは言えないような気がするだけ。
2011-03-26 13:11:08親切心発なら100%いいかってったら、そうでもなかろうし。「相手がそれを必要としているかどうか」が始まりでないと。エゴな善ほど面倒なものはない。
2011-03-26 13:15:17@spicyleaf たとえば自己満足ボランティアも、僕は「偽善」ではないと思うんです。ただ思慮の浅い、考えの及ばない「阿呆」なだけで、彼、彼女なりには善であろうとしたと思うんです。二極論から外れてみると、「偽善」はほとんどいない気がしてます。個人的な意見ですが。
2011-03-26 13:25:11@straw_scarecrow そう。あなたとわたしの『偽』の思う範囲が違ってるだけよ☆私のも個人的見解。 http://twitter.com/spicyleaf/status/51496378572083200
2011-03-26 13:27:36@straw_scarecrow ごめん。自己満ボランティアはまた別の問題な気がした。行動の出発点の感情だけを見た場合、悪意があるかどうかってところで、あなたの思う善か偽善かなんよね?わたしは『自分の気が済みたいから』っていう感情がほんとの善とは言いがたいと自分の中で思ってる。
2011-03-26 13:40:02@spicyleaf そこですね、僕はどんな善なる行動も、「自分の気が済みたいから」だと思ってます。自らの危険を省みず、危険な場所に飛び込む人も「自分じゃない人を行かせて何かあったら自分がつらいから」なんじゃないかと、強いて言うなら「誰かのため」と言うことが『偽善』だと考えます。
2011-03-26 13:45:12哲学的な話になってきた ”善(ぜん、Goodness)は、道徳的な価値としての良さ。道徳的に正しい事、多くの人が是認するようなもの。”(wiki)
2011-03-26 13:52:33@straw_scarecrow これってけっこう核心な気がする。偽善の。→ "道徳の要素には、義務と善とがある。義務は強制により実現されるが、善はそれを遵守すれば社会から果実を得られるものであるとした。"(エミール・デュルケーム)by wiki
2011-03-26 13:57:06@straw_scarecrow こないだの、ちょっと書いてみました。(^_^)結論はうやむやですけど。。。 http://minkara.carview.co.jp/userid/462554/blog/21899066/
2011-03-28 13:05:02@spicyleaf 偽善というものが存在するのかしないのか?という話であれば、善もあれば悪もある。だから偽りの善も悪も、純度100%の善も悪もある。と思います。
2011-03-28 13:57:55@spicyleaf それは主観か客観の違いによる判断ですな。騙そうという気持ちを持っていて、そして非常に巧い『手段』で周囲が偽善だと思わなければ、それは本人以外にとっては『善』となる。後ろめたい気持ちを持って行うのも同様で、要するに本人と他人の判断で相対的に区別されるものだね。
2011-03-28 14:05:15