TOEICは日本でどうしてこうも存在感があるのか

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uroak_miku @Uroak_Miku

1)1974年に勃発した「中高生全員に英語を教えてもマスターできる者は限られているから一部の英語優秀者に絞って教えるべきだ」論争について改めて論じてみましょう。

2017-11-30 19:28:59
uroak_miku @Uroak_Miku

2)いいだしっぺは自民党の参議院議員で外交畑の方です。日本製工業製品はがんがん世界進出しているのに、世界公用語である英語を使いこなせるニホンジンが圧倒的に足りない!全人口の数パーセントが英語を操れればそれで充分日本は世界と立ち回れるから英語教育もそういう人材に絞るべきだと。

2017-11-30 19:36:05
uroak_miku @Uroak_Miku

3)教育機会の平等という理念に反する…と今の目で眺めると目に映ってしまう。しかし敗戦を経て学校制度がアメリカ式になって義務教育が9年になって中学の三年間を誰もが過ごせるようになったとき「なんで英語やるの?」という素朴な質問が相次いだことを最初に指摘しておきたい。

2017-11-30 19:38:24
uroak_miku @Uroak_Miku

4)使い道ないじゃんという身もふたもない疑問の声が相次いだ。とりわけ地方から。それが薄れていったのは高校入試で英語が必須になっていったため、そして高校進学率が向上していくなか「なんで?」が「進学には必要だしね」に昇華されていったのでした。

2017-11-30 19:40:50
uroak_miku @Uroak_Miku

5)そして1974年の「一部の英語優秀者に絞って英語教育を続けるべき」論が世で叩かれたのは、もはや「なんで英語やるの?」の時代は過去のものとなって「教育機会の平等理念に反する!」と広く反発される時代になっていたこをうかがわせる。

2017-11-30 19:42:57
uroak_miku @Uroak_Miku

6)実用性や存在理由を問う時代ではなくなって、教育理念を支えるひとつとして抵抗なく受け入れられる時代になっていた。学校制度が改まって四半世紀を経た1974年、かつての「なんで英語やるの?」という素朴な問いかけはもはや形骸化していたのでした。

2017-11-30 19:45:30
uroak_miku @Uroak_Miku

7)そこに自民党議員が鋭い問題提起をした。日本は工業製品こそ世界に送り出しているけれどひとを送り出していないではないか、英語で交渉しアピールする人材が本当に足りなくて外交畑の自分は歯がゆい。全生徒の数パーセントが英語マスターに育ってくれればこの不足は補える。今こそ教育改革を!

2017-11-30 19:49:32
uroak_miku @Uroak_Miku

8)消えかかっていた「なんで英語やるの?」の問いかけに「世界を日本が胸張って渡っていくため」と答えたのです。そこまではっきりと明言したのではないけれど、彼の経歴それに教育改革を自民党に具現したこと等から、彼のメッセージは理解できる。

2017-11-30 19:51:49
uroak_miku @Uroak_Miku

9)これに噛みついたのが上智英文科教授の渡辺昇一。「英語学習によってひとは思考力を向上させる。そういう思考訓練の場となる」と言い返した。ちなみに彼もまた留学エリートのひとりでした。

2017-11-30 19:53:52
uroak_miku @Uroak_Miku

10)ふたりの論争を整理すると、学校英語では世界で通用しないという点では一致している。ふたりとも欧米でそういう目にあったから。渡辺先生はドイツやイギリスの大学英文科で天才学生と称えられながらも日常会話は下宿のおかみに習ったという亀裂を味わっている。平泉議員も同種の経験をしていた。

2017-11-30 19:58:16
uroak_miku @Uroak_Miku

11)「世界の荒波を日本が進んでいくには英語エリートがいる、後はとりあえず不要」「いやいや英語学習はひとの頭脳を鍛え育てる絶好の機会となっている」と両者はぶつかり合った。

2017-11-30 20:02:52
uroak_miku @Uroak_Miku

12)実用選抜主義と機会平等主義の対立とみることもできます。

2017-11-30 20:04:00
uroak_miku @Uroak_Miku

13)でここからが私の論。英語エリート教育論は実行には移されなかった。しかし実際には実現してしまったとみます。

2017-11-30 20:05:19
uroak_miku @Uroak_Miku

14)この70年間に発行された中学英語教科書をあれこれ読んでみました。見た目はともかく実態は『ジャック&ベティ』の頃から何も変わっていないことに驚きました。 pic.twitter.com/uSouJrIyE5

2017-11-30 20:11:37
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uroak_miku @Uroak_Miku

15)学校制度の改革は、敗戦を味わった日本の再生と同義でした。「大日本帝国」という巨大戦艦から「日本国」という無難な商船に乗り移るための儀式。そして中学英語は「全員に平等な教育機会を!」という理念とともにあった。

2017-11-30 20:14:14
uroak_miku @Uroak_Miku

16)みんなが等しく学べる教材を作るのは実際には困難です。能力や個性の違いがあるから。英語の場合、教科書は英語で書かれてはいるけれど実態は日本語文です。実際、英文としてはでたらめなのに和訳するともっともらしい文になってしまう。そういう文に満ちています。

2017-11-30 20:16:01
uroak_miku @Uroak_Miku

17)転校してきた女の子に「すぐなじむよ」と声をかけるジャックとべティ。それに「I hope so.」と笑顔で答える転校生。和訳すると「そう願うわ」なんだけど、これ英語ネイティヴには「だといいんだけど」と読まれてしまう。先行きに自信がないかのようです。 pic.twitter.com/eqTJf3AlnE

2017-11-30 20:18:40
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uroak_miku @Uroak_Miku

18)これが中学英語の伝統芸となった。和訳(というか直訳)すれば意がとれる英文が並んだ。ニセモノの英語です。しかしとりあえず誰もが平等に学べる。まさに戦後の民主主義の理念にそった工夫ではありました。

2017-11-30 20:21:14
uroak_miku @Uroak_Miku

19)けれども英語マスターの育成は簡単ではない。結局は選抜するしかない。小学生全員にドッジボールで遊ばせることはできても、バスケ選手に育ってくれるのは一握りになるように。

2017-11-30 20:23:14
uroak_miku @Uroak_Miku

20)英語エリートの選抜案は実行不能だった。教育機会の平等理念に反すると叩かれるから。そこで英語の試験を高校大学入試で必須にして、進学希望者は誰もが英語と対峙するシステムを温存しつつ、入試ヒエラルキー上位者から英語エリートを育成する裏システムが回った。

2017-11-30 20:27:23
uroak_miku @Uroak_Miku

21)平泉議員も渡辺教授もそうやって英語エリートに選抜されたのです。教育機会平等とエリート選抜の二重スタンダードを経ての英語エリートだった。

2017-11-30 20:29:31
uroak_miku @Uroak_Miku

22)この二重スタンダード解消のために平泉議員がいいだしたのが「少なくとも英語に関しては教育機会平等の理念なぞ捨てるべきだ」であり渡辺教授は「英語ネイティヴを日本の学校に招いて英会話の相手をさせろ」でした。

2017-11-30 20:34:19
uroak_miku @Uroak_Miku

23)どちらの主張も弱点があった。平泉案はやはり戦後日本の民主主義理念に馴染まないし、渡辺案は学校英語が欠陥品であることを国が国民に認めるのと同じだから。

2017-11-30 20:36:53
uroak_miku @Uroak_Miku

24)この葛藤は今も続いています。1974年当時よりもっと激しくなった。TOEIC受験者が世界でも日本が飛びぬけて高いことからもこのことはうかがえる。学校英語を否定しつつ、英語力の得点化すなわち学校英語のシステムを望んでしまう私たちの葛藤がTOEIC人気を生み、一大市場をまわしている。

2017-11-30 20:39:19
uroak_miku @Uroak_Miku

25)「こんな先生がいたら英語絶対好きになってた」「TOEICで満点とってやるわ」という反応がやたら多かったのもうなづけますね。 pic.twitter.com/3ycme6BE63

2017-11-30 20:40:58
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