エレン先生が『試験に出る英単語』と出会うとき

1
uroak_miku @Uroak_Miku

togetter.com/li/1176861 続きを思いつくままにつぶやいてみます。

2017-12-01 06:42:06
uroak_miku @Uroak_Miku

2)英語できる=幸せになれるの法則が実態のないファンタジーであることはいくつかの研究で実証されています。しかし私が今関心を寄せるのはそういう数理的研究よりも、ファンタジーがどうしてこうも根強く生き続けるのか、その裏にある私たちの願望や恐怖に興味があります。

2017-12-01 06:44:12
uroak_miku @Uroak_Miku

3)神とか仏とか死後の世界とか、そういうのはないわけですよ。それなのに私たちは宗教にすがってしまう。マルクスもいうように痛み止めがないとひとは生きていけないから。(「アヘン」と彼が述べたのは麻薬ではなく痛み止めの意でした)

2017-12-01 06:47:50
uroak_miku @Uroak_Miku

4)血液型占いが信じられているのは日本と韓国くらい。生理休暇があるのも日本とインドネシアくらい。後者はいろんな利権で生じたものなのでここでは踏み込んで論じないとして、血液型性格判定は医学的になんの根拠もないことはこの数十年間にしつこく検証されているにも関わらず生き続けている。

2017-12-01 06:49:44
uroak_miku @Uroak_Miku

5)英語崇拝も同種のものとみます。「英語できる=幸せになれる」というよりは「英語できない=まわりに差をつけられる」なんだと思う。明治の立身出世主義のなかで受験がビッグイベントになったのは「勝つと幸せになれる」ではなく「負けると置いてきぼりにされる」と大衆が疑わなくなったから。

2017-12-01 06:51:55
uroak_miku @Uroak_Miku

6)「オラたちの子どもにキョーイクはいらねえ」という大衆の方が圧倒的に多かったのが、次第に少数派になっていった。日本の近代化と並走。

2017-12-01 06:53:30
uroak_miku @Uroak_Miku

7)「数学や科学が実際に何の役に立つんだ?もっと役に立つことを学校で教えてやれよ」という声は明治に学制ができたときよくいわれたことでしたが、やがて消えていった。「なんで英語やるの?」は敗戦後の中学義務教育化から生まれた声でしたが、これも経済成長のなか消えていったのでした。

2017-12-01 06:56:38
uroak_miku @Uroak_Miku

8)数学や科学とちがって外国語は異人との生でのコミュニケーションという極めて具体的な有用性があります。一方でそういう機会をほとんどのニホンジンは一生もたないで生きていきます。それゆえに「なんで英語やるの?」は二律背反的な問いかけとなる。

2017-12-01 07:02:25
uroak_miku @Uroak_Miku

9)英会話ブームは明治から今に至るまでなんども起きています。鹿鳴館時代に大きいのがありました。戦前昭和、満州国建国や国連脱退の頃にもあった。欧米中心社会のなかで孤立する帝国の正統性と世界にアピールしたいという大衆的願望が裏にあったとみます。

2017-12-01 07:04:51
uroak_miku @Uroak_Miku

10)それから昭和15年に予定された東京オリンピック。中国での戦争膠着によってお流れになったのですが、外国人がぎょうさんくるという期待から英会話ブームが昭和10年代前半にあった。

2017-12-01 07:06:40
uroak_miku @Uroak_Miku

11)NHKのラジオ英会話が人気でしたからね。大正末からラジオ放送が始まって(当時はNHKのみ。民放ラジオは敗戦後から)昭和に入って英会話講座が始まり人気を博した。

2017-12-01 07:08:00
uroak_miku @Uroak_Miku

12)「学校の英語は使い物にならないからなんとかしろ」論はというと明治、それも日清戦争のときにもうありました。といっても英会話能力ではなくビジネス書類英語能力をもっと学校で鍛えろという論でしたが。

2017-12-01 07:10:21
uroak_miku @Uroak_Miku

13)戦争は物資を大量に使うから取引が増える。明治日本は軍艦も軍服も国産で作れなかったから欧米から輸入するしかない。となると書類は英語で交わさないといけない。それができる人材が足りず、貿易関係者から「学校でそういう人材もっと育てろよ」と声があがった。

2017-12-01 07:11:54
uroak_miku @Uroak_Miku

14)英語は一部のできるやつにしぼって教えろ論も大正期にもうありました。さかのぼると漱石先生が明治時代に「俺んときは授業もオール英語やったが今の帝大生はもうそういう教育を受けないで帝大に入ってくるから俺の英語の授業ついてこれへん。しかしこのほうが正常なんだよなー」と論評していた。

2017-12-01 07:14:07
uroak_miku @Uroak_Miku

15)日本人なのに外国語で授業を受けさせられるほうが屈辱的だし植民地と同じだった、それを思えば今の俺の生徒らは幸せだよなーと。帝大生からは嫌われていたようです金之助先生。前任の小泉八雲先生と違ってなんかやたらと文法にうるさいし高校の教科書からやり直しさせるしなめとんのか!と。

2017-12-01 07:16:28
uroak_miku @Uroak_Miku

16)大正期になって英語教師のあいだで「できる奴に絞って教えたい」論が出てきたのも、ある時代の終焉と関係があります。英語の授業がそれなりに大衆化して、かつてのような英才の証でなくなっていくなか一部の英語教師たちが焦ったのです。かつての後光がなくなっていくやないかと。

2017-12-01 07:18:57
uroak_miku @Uroak_Miku

17)しかし「なんで英語やるの?」の声が当の生徒そしてかつて生徒だった大衆から上がるようになったのは敗戦後でした。繰り返しますが中学が義務教育になって誰もが英語を一度は教わるようになるなか「これ何の役に立つんだろう」という素朴な疑問が飛び出してきた。

2017-12-01 07:21:24
uroak_miku @Uroak_Miku

18)それもやがて薄れていったわけですが(理由は前に述べたので省略)。ところで大衆のなかで英会話ブームがまた起きた。敗戦後のカムカム英語とは違うブーム。東京オリンピックが決まって生まれたのですよまた。

2017-12-01 07:23:04
uroak_miku @Uroak_Miku

19)昭和36年の大ベストセラー『英語に強くなる本』。39年に東京オリンピック開催という空気の中、これが売れた。トイレで「入ってます」と英語でいえますか?と啖呵を切ったこの本は大衆の英会話願望とコンプレックスを鋭く突いた。 pic.twitter.com/grX1cMWJ42

2017-12-01 07:26:32
拡大
uroak_miku @Uroak_Miku

20)正解は「Someone in.」(ひとがなかにいる)。面白いでしょ。ほかにも相手のおちょこに酒を注ぐとき「足りたらそういってね」と声をかけるときは「Say when.」(そのときは声にして)だとか、そういうなるほどな実例を序文で繰り出してきた。

2017-12-01 07:29:36
uroak_miku @Uroak_Miku

21)この本の中でも「学校の英語では堅苦しい会話文しか作れない。こんな風に英語は喋るんだよ」と著者は学校英語の限界を指摘しているのですが、学校英語批判が大衆の側からあがるようになったのはもっと後の時代でした。

2017-12-01 07:31:04

「学校英語では会話できなかった!」ではなく「英会話のできる英語が学びたい」のほうが先に大衆の願望としてはあったのです。

uroak_miku @Uroak_Miku

22)東京オリンピックの年に海外への観光旅行が自由化されました。手塚治虫が渡米(三度目でしたけどね)してウォルト・ディズニーとNY世界博で接近遭遇したのもこの年の4月でした。 pic.twitter.com/4Fy7rjTSwC

2017-12-01 07:34:00
拡大
uroak_miku @Uroak_Miku

23)大宅壮一文庫の目録にあたると、学校英語批判は1970年代に増えていったようです。大衆の側からの批判です。実際に海外を観光旅行するひとが増えて、英語が通じないことを思い知って帰国後にそれをまわりの人間に嘆くケースが増えて、それで学校英語批判がマスの声となっていったとみます。

2017-12-01 07:36:43
uroak_miku @Uroak_Miku

24)戦前の教育制度で英語を習ったひとたちが海外旅行者の主力だったと考えられるので(戦後教育で育った人間は1970年前後にはまだ二十歳前後)、戦後の中学英語(『ジャック&ベティ』等)批判には直結しなかったようですけど。

2017-12-01 07:39:17