- Uroak_Miku
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1)スクールカーストは昔からあったはずなのに、ことばとなったのは2010年代になってから。これはどういうことなのか。
2017-12-02 12:38:422)簡単。3年で教室空間を去っていくからです。農村は生まれてから死ぬまで席替えもクラス替えもない教室空間みたいなものだとよくいわれますが、それは入れ替わりがないから言語化もしやすいわけです。
2017-12-02 12:40:024)若い頃のとんねるずの笑いが、部室での男子生徒の内輪話だとは昔からいわれてきましたが、スクールカースト最上位者による下位者いびりだという分析にはうなった。いわれるまで気づかなかった。
2017-12-02 12:42:426)でここから本題に入ります。小中高の各教科がうまくかみ合っていないという話をおととしからしつこくツイッターで繰り返してきました。図書館に教科書が置いてあるので冷やかしであれこれ眺めていくについて気持ち悪くなっていったのがきっかけでした。
2017-12-02 12:46:148)なんか変だ、おかしいと思いながらも高校入試や大学入試にすべてが収れんして、終わってしまえば忘れてしまう…いったいこの繰り返しをこの国は何十年繰り返しているのだろうと思うわけです。
2017-12-02 12:48:239)若い頃の和田秀樹がこんな風にアジっていました。「諸君は受験のプロとなるのだ。教師なんて自分の担当教科しかわからないアマチュアだ。君たちは複数の教科をそつなくこなす技を会得した受験のプロであり、君たちのほうが偉いのだ」
2017-12-02 12:50:1110)そして受験技術に特化した教育メソッドを彼は提唱した。有名なのは数学は暗記科目だ!ですね。解法を手堅くマスターすれば東大医学部だって入れるぞ、と。
2017-12-02 12:52:1511)その後の彼は受験技術について次第に立場を変えていくわけですが、教科書がおかしいことまでは踏み込まない。物理の教科書の編纂チームに一時期いたとかなんとか、本人のエッセイで目にした覚えはあるけれど、全教科の教科書を横断的に分析したものはなかったはずです。
2017-12-02 12:54:0012)全、とはいかなくても(なにしろ保健体育は入試教科ではないし)各教科を横断的に眺められるのが、かつての彼が称えた「受験のプロ」だったはず。しかしこのプロさん、合格してしまえばそれで終わるわけです。スクールカーストに痛めつけられていても卒業してしまえばそれで終わりなように。
2017-12-02 12:56:0213)スクールカーストが卒業後も生き続けるケースもあるようですけどね辺びな土地だと。そういうのはここでは除外。卒業すれば自動的に苦しみは終わる。
2017-12-02 12:56:5614)各教科を横断的に眺める「受験のプロ」のノウハウは、せいぜい大学生が中高校生の家庭教師をするときに活きるレベルにとどまっています。でなければ『ドラゴン桜』みたいなエンタテインメントに昇華される。
2017-12-02 13:00:3415)和田も後に吐露したように、これはという決定版がないのです。数学の解法暗記に割り切って伸びる子もいれば、かえって能力を損なってしまった子もいたし。(秋葉原惨殺事件の犯人は和田受験術で挫折した男の子の成れの果てでした)
2017-12-02 13:02:2516)教科書がそもそもでたらめで、各教科の連携がろくに取れていないことをていねいに分析したものがない。これがないからメソッドの個人差が大きくなる。
2017-12-02 13:03:3719)卒業(というか進学)してしまえばそれで葛藤は終わってしまうし、教える側は各教科しかわからないから、やはり横断的視点が欠けている。
2017-12-02 13:07:1920)深海探査艇ではるか漆黒のわだつみに迫っていくような調査研究がなされないといけない。 pic.twitter.com/m5CQf4wl8f
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