社会学による個人疎外?について。
文化や社会認識とは何か?の答えも半分は頭の中にある。例えば、ある行動が自主的に抑制されている典型的場面があったとして、社会学者はその理由を社会構造や文化に求める訳だが、これは半分間違え。そのような外的要因よりも内的な個人の自動的な認知過程の差異の影響の方が大きい場合がある。
2011-03-30 15:12:25例えば、文化的圧力や習慣という理性的判断から何かを自粛しようと論理的に考え実行することもありうるが、ある人の表情から多くの情報を自動的=無意識的に読み取って、ある行動を無意識的に自粛している場合もあるということ。当前のことだが、社会学では構造や集団ばかりを考察している気がする。
2011-03-30 15:19:52その思想の論評はここでは控えるとしても、思想批判は趣旨ではないので(笑)、デュルケームは部分と全体をあまり区別しなかった。またマルクスにしてもあまりに個人を集団と同一視しすぎている感は否めない。例えばマルクスは幻想は常に集団幻想であると考えていたようだし。
2011-03-30 15:31:03階級の超越化もその一つ、こういう考え方は非常に合理的でマルクスらしいといえばそうなのだが、とはいえ唯物論的歴史観の源泉はヘーゲルとコントにあるわけだが。ではコントはどのように考えたか?といえば、彼はもう少し社会を有機体的に考えていた。この間考え方は私が好きな考え方である。
2011-03-30 15:35:25しかし、そのコントにしても、その有機体的な社会論をあまり発展させることができなかったのは少し残念に思っている。コントは生物学・解剖学・生理学の知識があった故に、二重に残念。社会は有機的といわれるのがメタファーに過ぎない状態であるというのが現実であろう。
2011-03-30 15:38:15しかし、社会を個人が取り戻すためには、この社会学による疎外から抜け出して、集団や階級には還元できない個人差を考慮した社会学理論の構築が鍵になるだろう、そのためには分子遺伝学・神経生理学や神経解剖学が何らかの寄与をなしえると私は考える。
2011-03-30 15:39:59スペンサー→パーソンズ→ルーマンという系列は、有機体論として位置づけられているんですか? RT @yutakioka 社会は有機的といわれるのがメタファーに過ぎない状態であるというのが現実であろう。
2011-03-30 15:40:15がんばりまーす。RT @yutakioka: しかし、社会を個人が取り戻すためには、この社会学による疎外から抜け出して、集団や階級には還元できない個人差を考慮した社会学理論の構築が鍵になるだろう、
2011-03-30 15:42:10確かに、そう考えることはできますが、私は生物学的な差異がいずれもあまり考慮されていない=社会や集団に還元できない現象の境界設定が十分にされていないと考えます。RT @highok スペンサー→パーソンズ→ルーマンという系列は、有機体論として位置づけられているんですか?
2011-03-30 15:45:00システム論は「オートポイエーシス」という概念が生物学からのアナロジーというだけですかね。 RT @yutakioka 確かに、そう考えることはできますが、私は生物学的な差異がいずれもあまり考慮されていない=社会や集団に還元できない現象の境界設定が十分にされていないと考えます。
2011-03-30 15:48:28ただデュルケームの理論の場合は部分は常に全体との関連によって定義することができるということを表している訳で、RT @highok それぞれ独自の存在だった個体が、合体して、一つのpersonalityを形成する上に、頭-胴体-手-足という部分を構成するという。まさに有機体。
2011-03-30 15:49:12ええ、私はそう思いますね。あくまでアナロジーに過ぎないと思います。さらに厳密な論証が必要と思います。RT @highok システム論は「オートポイエーシス」という概念が生物学からのアナロジーというだけですかね。
2011-03-30 15:50:29それ、ほんとに僕の本職なので。ともあれ、マルクスについてだけは微妙に異論ありますけどね。ミシェル・アンリの「マルクス」機会があれば読んでみてください。RT @yutakioka: はい~。(笑)RT @ishtarist がんばりまーす。
2011-03-30 15:50:58なるほどなるほど、了解しました。 RT @yutakioka ええ、私はそう思いますね。あくまでアナロジーに過ぎないと思います。さらに厳密な論証が必要と思います。
2011-03-30 15:51:41@highok 頭、胴体、手、足が独自の中心を持って分裂的であって、部分が全体と関連ずけられないながらも存在するという点を想定していない様に思います。私の考える有機体は、全体に還元できない部分どうしが結合して、全体的に見てみるとゲシュタルト的に見えるという有機体を想定しています。
2011-03-30 15:55:47ふむふむ。具体的にイメージすると、巨大ロボではなくて、『科学戦隊ガッチャマン』的な組織が浮かびます。 QT @yutakioka 私の考える有機体は、全体に還元できない部分どうしが結合して、全体的に見てみるとゲシュタルト的に見えるという有機体を想定しています。
2011-03-30 15:58:24これが理論化できれば、美少女ゲームにおけるキャラ配置についてすごく意味のある結論が導き出せるはず・・・ QT @yutakioka 私の考える有機体は、全体に還元できない部分どうしが結合して、全体的に見てみるとゲシュタルト的に見えるという有機体を想定しています。
2011-03-30 16:01:01RT @highok: これが理論化できれば、美少女ゲームにおけるキャラ配置についてすごく意味のある結論が導き出せるはず・・・ QT @yutakioka 私の考える有機体は、全体に還元できない部分どうしが結合して、全体的に見てみるとゲシュタルト的に見えるという有機体を想定しています。
2011-03-30 16:06:01ハーバーマスが○ーマンに対し、形而上学metaphysicsをもじって「メタ生物学metabiology」と揶揄ってますが、これはH氏がL氏の理論を最後まで正しく理解できなかったことを意味します。@highok @yutakioka
2011-03-30 17:48:50ええあの論争はかみ合っていませんでしたねwRT @kabutoyama_taro ハーバーマスが○ーマンに対し、形而上学metaphysicsをもじって「メタ生物学metabiology」と揶揄ってますが、これはH氏がL氏の理論を最後まで正しく理解できなかったことを意味します。
2011-03-30 21:36:53なるほど、確かにそれは興味深いです~。RT @highok これが理論化できれば、美少女ゲームにおけるキャラ配置についてすごく意味のある結論が導き出せるはず・・・
2011-03-30 21:37:28そうですね~。こちらが岡田さんの本業でしたね。読んでみますね~。ありがとうございます~。RT @ishtarist それ、ほんとに僕の本職なので。ともあれ、マルクスについてだけは微妙に異論ありますけどね。ミシェル・アンリの「マルクス」機会があれば読んでみてください。
2011-03-30 21:39:05