学問の原書と翻訳

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Masahiro Yamada @myamadakg

国際系の学部生なら原書読ませたいけど、うちなんかだとそうはいかんなあ。 twitter.com/kankimura/stat…

2017-12-25 05:25:58
💙💛 Fly, ODG, Fly💙💛 @odg1967

翻訳が日本の人文社会科学を支えてきたことは間違いないし、これからもそうだと思いますよ。

2017-12-25 06:06:31
つじけんじ @ktsuji_history

対照的なツイートが流れてきましたので、メモ代わりに。 実証政治学と政治思想の違いか pic.twitter.com/ZCz0qQAl49

2017-12-25 13:09:02
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増田の准教授 @ProfMasuda

研究に使う言語が英語(もしくは研究対象となる地域の言語)でない、日本語しか読み書きできない人文社会系の研究者はもう間もなく存在しなくなりますよね。学問として日本や日本語を対象としているにせよ、日本語しか読み書きできなければ、自分の位置を理解しようがない。 twitter.com/bVk40ceuRW4RZj…

2017-12-25 13:56:27
💙💛 Fly, ODG, Fly💙💛 @odg1967

まあ、分野に関係なく、英語が出来ても簡単には読めないテクストがあるという認識をお持ちかどうかでしょうねえ。 twitter.com/bVk40ceuRW4RZj…

2017-12-25 14:09:51
Akinori Hamada @wasurenakusa

翻訳を使うと二度手間だという主張をチラ見した気がするが、どうせ二度も三度も読むことになると思うのだが。もしかして、一度読んだだけでそれを使って論文書ける超人ばなりなのか。

2017-12-25 14:16:53
西の彼方 @WestEdgeQ

個人的には、①研究対象あるいは参照文献について翻訳に依拠するのは非効率だからどんどん原書に当たりましょうということと、②専門分野の原書をその対象について研究してきた専門家が翻訳して解題するという作業は全く別のものだし、①ができるから②が要らないという話ではないと思っている。

2017-12-25 14:10:48
💙💛 Fly, ODG, Fly💙💛 @odg1967

わたしの認識では、ものすごく語学ができる方々が揃っている研究分野で、ある本の翻訳が長年待望されるってことは普通にあります。それは要するに、単なる語学力だけでは読めない本が存在するってことだし、そういう本の翻訳には研究としての価値があるってことです。

2017-12-25 14:14:31
西の彼方 @WestEdgeQ

珍しく完全同意(!?)。結局研究上の(その本が書かれた)コンテクストがわからないとどうしようもない(こともある)ので語学力の問題ではないと思う。そうすると、少なくとも修士くらいの段階で専門家の翻訳に目を通さずに、原書→自己訳だけで研究するのはどうだろう??とかは思います。

2017-12-25 14:20:14
西の彼方 @WestEdgeQ

翻訳使って研究する(これは最悪…)というよりも、その分野の専門家がそれなりに時間をかけて行ったであろう翻訳の良いところも悪いところも理解して消化できてる…くらいじゃないとダメなんじゃないですかね。

2017-12-25 14:23:44
つじけんじ @ktsuji_history

追記 お二人を並べたのは単に対照的だなと思っただけであり、どちらが正しい、間違っているという主張をするつもりはありません。

2017-12-25 14:27:57
井上太一 @OohimeSoukyok

一部の学者は英語を「読めて当然」と考えているようですが、言うほど読めていないと思います。「読めて当然」の先生方が翻訳した専門書に、初歩的な文法・慣用句の無理解による誤訳が散見されるのはそのよい証拠です。

2017-12-25 15:07:01
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

英語の本と言っても、ラテン語、ギリシア語やら仏語、独語やらのソースを使って書いてる本は英語がいくら堪能な人でも理解を間違えるし、更には著者自身がそれらの言語を読めてなくて間違えているのを翻訳者が気づく場合もあるからね。

2017-12-25 19:08:35
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

欧米言語で書かれた人文学系学術書の翻訳が時に古典の注釈作業に似てくる現象について、名前つけたい

2017-12-25 19:10:25
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

一つの概念の翻訳について、欧米言語間ではラテン語を介して訳語が定着しているが、日本語では明治から大正期の人たちが十種類くらい訳語を用意してくれて、統一できないまま各分野でバラバラに使われているナイトメア的状況とか…仕方ないから中国古典の語源を調べようとして挫折するとか…

2017-12-25 19:13:46
kamomé @goeland_argente

学術書や文学作品の翻訳は、それ自体が研究の成果です。翻訳は読者層を大きく広げられますし(門外漢でもある程度理解できるようになる)、専門家に対しても有力な読解法を示すものです。また、原文を翻訳するとき、言語が違うので、原文と全く同じ意味になることはあり得ないです。翻訳には創造が必要

2017-12-25 19:48:25
kamomé @goeland_argente

一概に「英語」と言っても、各分野の中部でも前提やアプローチは様々で、研究対象とは別の分化が見られる。「英語」圏の細分化された領域のどこに自分の研究を位置づけるかが大事になってくる。これは実はかなり大変なことで、自分の場合は博士号を取ってからやっと、それができるようになった。

2017-12-25 22:36:09
kamomé @goeland_argente

それから、英語で業績を公刊できていないこと自体を馬鹿にするべきではない。仮にリジェクトされても、英語で論文を書いて投稿したり、国際会議・学会で英語の発表をしたりしているなら、それらに対する評価は別として、日本語だけで研究活動していることにはならない。

2017-12-25 22:42:12
kamomé @goeland_argente

外交史の専門家は法学部や国際関係学部にいるけれども、社会科学というよりは人文学だよね。ぼくの博論も表面上は社会科学だけれど、実質は人文学だと思っている。

2017-12-25 23:07:34
kamomé @goeland_argente

人文学では、複数言語の尊重というのは大前提でしょう。日本語(あるいは任意の言語)でしか書けないことや表現できないことはあるという自覚のもとに書かれるわけだから。他方で社会科学は、翻訳が容易である文体と論理が志向され、ある種の普遍性が探究される。それぞれの意義と価値は認めるべき。

2017-12-25 23:20:24
kamomé @goeland_argente

日本の社会科学系研究者の場合、想定するオーディエンスは主に以下の3種類ではないだろうか。 ⑴ 日本語で論文を読める専門家 ⑵ 日本語の一般書の読者 ⑶ 日本語の読めない海外の専門家 想定するオーディエンスによって書き方も書く内容も大きく異なってくるけれど、どのオーディエンスも大事。

2017-12-26 22:49:25
kamomé @goeland_argente

大事なのは、三者を分断せずに架橋することだと思う。もちろん、三者を区別した上で。そのために一番重要なのは⑵のオーディエンスを想定した日本語論文で、これが⑴と⑶を架橋する役割を担う。⑴と⑶が分断されるのは植民地的状況で、文化の担い手をグローバル・エリートに限定してしまうことになる。

2017-12-26 22:55:51
kamomé @goeland_argente

日本語論文以外に⑴と⑶を架橋する有力な方法はもう一つある。外国語の学術文献の翻訳である。つまり、日本の一派読者と海外の専門家を取り結ぶ役割を担っているのであれば、日本語論文と学術書の邦訳こそ、日本を拠点に研究活動を行う研究者の中心的な仕事になるべきではないだろうか。

2017-12-26 23:01:24
kamomé @goeland_argente

というわけで、日本語の一般書の読者 と日本語の読めない海外の専門家をつなぐ役割を担えるという点において、日本語の学術論文と(外国語専門書の)邦訳には多大な意義があるように思う。 twitter.com/goeland_argent…

2017-12-26 23:52:06
kamomé @goeland_argente

いわゆる理系では、両者をつなぐのは例えば『日経サイエンス』のような雑誌だよね。日本史や日本文学の場合は両者を媒介するのが何なのか、よく分からない。

2017-12-26 23:55:50