西條剛央による被災地レポートと近未来都市設計のアイデア
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ittokutomano
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南三陸町志津川は、見渡す限り壊滅していた。聞くのと見るのでは違うだろうと思っていたけど、これまで違うとはおもわなかった。
2011-04-01 22:21:28
残った鉄筋の建物に入っていくと、瓦礫に埋め込まれた廃墟には何ともいえない臭いが。そしてキン肉マンなどの子どものオモチャやの数々。開いた冷蔵庫からトウモロコシとマヨネーズがみえる。
2011-04-01 22:25:21
これだけ海岸に近ければ逃げていますよね、逃げていると思いたいですね、といっていたが、違う階段から下に下りるとある表示から初めて病院だったことがわかった。
2011-04-01 22:26:57
瓦礫の地面の下に床がある。そこらじゅう何もないところだと思っていたところには家があったのだ。思い出が詰まったビデオテープが散乱している。幸せそうな結婚式のアルバムが落ちている。それを見たときは本当に胸が苦しくなった。
2011-04-01 22:29:15
南三陸町の6箇所の被災地に支援物資を配ることができた。すべて配り終わったとき、ある初老の人が語り始めた。テレビでも聞いたことがない凄まじい話だった。
2011-04-01 23:48:40
経験したことがないとんでもない揺れがきた後に、潮が2kmは引いて海が無くなったらしい。これはただごとじゃないと思って高台に逃げたが、まさかここまではこないだろうと思っていた相当上の人が多く亡くなったといっていた。
2011-04-01 23:52:39
「上流の道路の上にある高架橋の上の線路の上に船が流れているのをみた。線路が18m以上あるから悠に20mを超える津波がきた」と。
2011-04-01 23:56:45
しかもその後も潮が引くことなかったらしい。そしてその夜中の12時を過ぎたとき、すでに海抜20m以上になっている状態に津波の上に第二波の大津波が覆い被さってきて、かろうじてしがみついていた人をすべて飲み込んだという。
2011-04-02 00:00:41
しかもその夜は大雪が降って、高台の逃れたのはいいが津波の難を逃れた人達はどこにも行く場所もなく道路の上で朝を迎えたとのこと。着る服もなにもなく、雪降る東北で一夜を明かすなどということは考えられない。あれは本当に辛かったといっていた。
2011-04-02 00:03:50
ある小学校では地震が止んだからということで、小学3年生以下の子どもをすべて家に帰したらしい。そして津波に全員襲われて死んでしまったとのこと。保母者はそれを痛烈に抗議したらしいが、ニュースにすらなっていない。そのうち必ず問題になる、とその人はいっていた。
2011-04-02 00:09:17
という、タイミングで若林区に住んでいる大学の後輩から連絡があって1時間話した。ご両親が南三陸町とのこと。そして御祖父母は津波で亡くなられたという話。海岸地域で安全に暮らせる名案があるのでそれを伝えた。それは海岸の未来都市の原型になるようなモデルだ。
2011-04-02 01:15:16
今回南三陸町から松島までずっと海外線を辿ってきてわかったことは、あるラインから明暗がはっきり分かれていること。連続的変化ではなく、1 or0の質的変化。壊滅か安寧か。
2011-04-02 01:17:29
何しろ車はどちらが上か前かわからないぐらいにぐちゃぐちゃになっている。スクラップ工場でぺちゃんこにされたようになっている。
2011-04-02 01:19:03
だから、人も首や手足のもげた死体ばかりとのこと。自衛隊が海に潜った途端、そこには車や船、家、そしてそうしたおびただしい死体があったためにすぐに引き上げてきたらしい。酷すぎるけどもそれが現実(だからここに書いている)。
2011-04-02 01:20:57
あれを防ぐのは圧倒的に無理だということが体感的にわかった。アリが鯨を防げないのと同じ。波動法を紙で防ぐのと同じぐらい無理。
2011-04-02 01:23:02
仙台の市街地は何事もなかったかのように平和。東京と同じようなものだ。その他にも津波にあっていないところは平穏なのだが、現地に入ると、あるポイントから突然圧倒的な惨状になる。
2011-04-02 08:44:04
そして道路を走り続けるのだが、何十メートルか高い地点になると何も起こっていない。そして少し下ると滅茶苦茶にやられている。
2011-04-02 08:46:37