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帽子男 @alkali_acid
異世界だと、その辺にいる魔物をスケッチするだけでいいからクリーチャー絵描きは超ラクな話。
帽子男 @alkali_acid
絵仕事の依頼で「すごい迫力のある魔物をお願いします。爬虫類系で」とか雑な指定があったとき。
帽子男 @alkali_acid
あなたが絵描きだったら、どうするだろうか。それっぽい図鑑や事典を引く?過去の絵を参考にする?ほかの鳥や獣や虫や魚を参考にする? 異世界なら心配ない。座ってても魔物がむこうからやってくる。それを素描すればいい。
帽子男 @alkali_acid
だから異世界では絵描きは本当に楽。想像力の貧困に悩むことはない。正確に、克明に、魔物を描きとればいい。 ね?簡単でしょ?
帽子男 @alkali_acid
あるか。そう。おっしゃるとおり。魔物は人間を食べる。わりとおやつ感覚で食べる。 そこが問題ではある。のんびり素描などしているとすごい速さで近づいてきて、でかいあぎとを開き、ずらりと並んだ牙を見せつけて 「お、なるほどこういう歯並びか」 とながめているうちにバチンと閉じる。
帽子男 @alkali_acid
迷宮はそういう世界だと聞いた。冒険者という特殊な技能を持つ人間でなければ、生き残ることすら難しいと。 どれほど美しい花が咲き、鮮やかな鳥が舞い、不思議な獣が闊歩しようと、非力なものは死ぬ。
帽子男 @alkali_acid
魔物を描くのが好きな少女にとって、迷宮はすばらしい秘密でいっぱいの宝箱で、でも決して開けない鍵がかかってもいた。 少女は、名前がないと困るので、その手と指の運びのよさから、早筆(はやふで)と呼ぼう。早筆は、小さいころから迷宮に憧れていた。
帽子男 @alkali_acid
両親は冒険者だったという。薬草を採るのが仕事の、青銅紋章というあまり腕のよくない身分の冒険者だ。 懇意の薬種店に幼い娘を預けて、よく夫婦して迷宮の上層に出かけて行った。けれども、ある時欲を出して中層までおり、罠にはまって死んでしまった。
帽子男 @alkali_acid
迷宮にはあちこちに罠がしかけてある。そこに眠る財宝を守るためだ。多くは冒険者が解除したが、今でも時折踏んだり、触ったりしたものが命を落とす。 両親はどちらも遠くから迷宮のある街に来て、結ばれたので、親族のことはよく分からなかった。 薬種店の女主が僧院に頼んで簡素な弔いをした。
帽子男 @alkali_acid
早筆は、薬種店で娘同然に育った。はやり病で夫と子供をなくしていた女主は、我が子のようにかわいがった。 だから父と母がまとめていなくなった、強い悲しみから立ち直ると、店を手伝い、本草について学びながら、薬草を運んでくる冒険者の話を聞き、想像をもとに絵を描くのが喜びとなっていった。
帽子男 @alkali_acid
「迷宮はどんな?なにがいるの?カミソリエイって?」 たいていの冒険者は無愛想で、金にならない小娘の質問に答えたりはしなかった。それでもぽつぽつと答えてくれる人はいて、中には傷を見せてくれる人もいた。 でもだいたいは欲求不満で終わった。
帽子男 @alkali_acid
街の瓦版屋には、元冒険者の絵師という、変わり者が出した絵巻が飾ってあり、いくつか魔物の姿が載っていた。魅惑に満ちて、恐ろしく、すばらしかった。 だが絵巻はとても高くて、薬種屋の下働きの駄賃で手は出なかった。手に取って眺めることさえ。
帽子男 @alkali_acid
少し大きくなると薬種屋の手代が、工房街の市場に連れて行ってくれた。 「わたしらは草や種や根を扱うが、魔物の角や胆なんかも薬になるんだよ…そういうのを扱う一角がある」 そこは干物になった魔物や、切り落とした魔物の手足が並んでいて商人が東方の言葉“からまる金の舌”でどなりあっていた。
帽子男 @alkali_acid
北方の麻紙の束に、炭を走らせながら、早筆は魔物の体の一部を夢中で描いた。なんて面白いのだろう。話に聞くだけとはまるで違う。 「姿を描き写すだけじゃなく、どんな効能があるかも覚えておくれよ」 手代は苦笑しながらも、好きなようにさせてくれた。
帽子男 @alkali_acid
紙には色々な種類がある。北方の麻紙は、農協がたくさん作っているので安い。質はあまりよくない。東方の絹帛は、めったに見ることはない。 南方の羊皮紙は、商売でときどきやりとりされる。木を薄くそいだもの、石板なども使う。 早筆はどれでもうまく描けた。描けさえすれば楽しかった。
帽子男 @alkali_acid
魔物以外だと、建物や鳥や獣は描いたが、人はあまり描かなかった。なんとなく興味が持てなかった。 友達からは 「色町の男娼の姿絵みたいのを描いてよ」 とせっつかれることもあったが、よく分からなかった。色町というのは、いかがわしい遊びをするところで、街の年頃の娘は皆そこの男娼の話が好き。
帽子男 @alkali_acid
わけても英三劇場で、男娼たちが演じる芝居はとても有名だった。 「それがさ。つぶれかけの劇場を、女のひとがひとりで買い取って立て直したんだよ。すごくない?憧れるよね!」 「ふーん」 「うわ、すごいつまんなそう…」 「あ、ごめん。魔物の男娼はいないんだよね?」 「いないと思う…」
帽子男 @alkali_acid
初めて人間を描きたいと思ったのは、小さな子供に出会ったときだった。なんだか迷宮から出てきたような、野生の獣のようなたたずまいがあった。 といって凶暴そうだったのではない。さんざん痛めつけられた犬みたいにおとなしかった。
帽子男 @alkali_acid
もしかして薬を買いに来たのかと思い、手ぶりで案内した。たまに薬種屋で薬を買おうとする人がいるのだ。 「おつかい?ここは買い取りの口だから、薬の小売りはむこうの店に」 でもその少年は背嚢から薬草を出したのだ。売りに来たのだ。 「やく…そう…」
帽子男 @alkali_acid
信じられない。最近仕入れが少なくなっていた、迷宮産の薬草だった。質はばらばらだったが、子供が持っているのが驚きだった。 「あら…迷宮のものですね?」 驚いて確かめると、少年は胸元から青銅の紋章を出した。 「おれ、ぼ、ぼうけんしゃです」
帽子男 @alkali_acid
胸が苦しくなった。こんな、やせっぽちの、よわよわしい、ちっぽけな男の子が、冒険者で、迷宮にいって帰ってきたというのだ。 もっとずっと大きな自分が怖がって一度も足を踏み入れたことのない場所に。
帽子男 @alkali_acid
「…うん…質のいいのとわるいのがまざってますね…いいのだけ買い取ります」 我に返ると、商売には厳しくということで、質のよいものだけを選び、最低限の支払額を提示する。 「こんなに!?」 だというのに、少年は無邪気に驚いている。
帽子男 @alkali_acid
「質のいいのだけ同じぐらい持ってきてくれれば、この三倍は出ますよ」 つい言葉を重ねる。 「しつのいいの…って?」 「うーん…」
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