2018年1月19日

論文『中近世移行期の津軽における開発とアイヌ社会』内容ざっくり要約ツイまとめ

詳しく知りたい人は論文をお読みください。
11
帆船ハッカ @kotosakikotoko

『中近世移行期の津軽における開発とアイヌ社会』が面白かったのでつらつら内容ツイしてみる。や、この論文、大浦氏による中近世の歴史的経過の一面も意図せず描いていて楽しいのですよ。

2017-12-18 22:03:30
帆船ハッカ @kotosakikotoko

中世の津軽にアイヌが居住していたのはわりと知られている事だと思うけれども、かつて擦文文化が広がる広範囲の地域にいたであろうアイヌが、近世初期には『陸奥国津軽郡之絵図』などで見られるような、夏泊半島と津軽半島の先端にその居住域が限定されているはなぜか、という問いが提起される。

2017-12-18 22:12:52
帆船ハッカ @kotosakikotoko

著者は先に結論として『中近世移行期の津軽において、大規模な新田開発とそれに伴う多くの和人村落の創出が、アイヌの土地を奪いながら進展した事により、津軽におけるアイヌの集落が急速に破壊され、土地を奪われたアイヌが新たに創出された和人村落に労働力として編成され』たとする。

2017-12-18 22:17:09
帆船ハッカ @kotosakikotoko

あ、著者は上田哲司先生です。

2017-12-18 22:18:11
帆船ハッカ @kotosakikotoko

上田先生は中近世における津軽の開発の先行研究を取り上げ、開発の主体の一つ、大浦家の大浦為信が取り立てた藩士の内、三割が開発に関与していた事を指摘した上で、本願寺教団の大量入植が存在した事、他国から流入し取り立てられた浪人達が津軽に流入していた事を指摘する。

2017-12-18 22:23:41
帆船ハッカ @kotosakikotoko

アイヌと大浦氏は度々武力紛争を起こしており、それは大浦氏の居城である大浦城のすぐ近く(村市・大秋・宮館)でも発生している事が、近世の由緒書などを元に指摘される。それは、大浦氏直轄領下で行われた開発に、当地のアイヌが反発して起こったものではないか、と著者は推測する。

2017-12-18 22:28:23
帆船ハッカ @kotosakikotoko

別の事例として取り上げられる天正9年の中村での『狄蜂起』では、狄の鎮圧を行った中村加賀が大浦氏の支配からも自立した土豪であり、中村という村落を開発し『大浦氏は外来の「浪人」たちに開発権を給恩として付与する事で、彼らを軍事編成下に置くことに成功し、その勢力を拡大していった』とする。

2017-12-18 22:34:30
帆船ハッカ @kotosakikotoko

そして、この開発が、当地のアイヌの生活基盤を脅かし、狄蜂起を引き起こした。そしてその鎮圧によって、日本人の集落が創出されていったのだと。また、紛争の主体はあくまで土豪層であった事も強調される。

2017-12-18 22:37:18
帆船ハッカ @kotosakikotoko

天正13年頃の喜良市での狄の討伐の事例では、在地勢力の主導によって飯詰地域の切り取りが行われ、在地勢力からの突き上げによって為信もその支援を行った事が指摘される。大浦氏も在地勢力の要求を満たす事で彼らをその編成下に置く事が出来た、という指摘がなされている。

2017-12-18 22:41:25
帆船ハッカ @kotosakikotoko

蝦夷との戦いによって敗北した荒川の事例も取り上げられている。そうやって追い出されたアイヌたちは、和人村落の労働力となって取り込まれたり、蝦夷地へ渡って去ったりしていったと考えられる。そして、近世初期には居住域は限定され、国絵図にあるような状況になったと考えられる。

2017-12-18 22:46:27
帆船ハッカ @kotosakikotoko

黄色のポイントが近世初期の史料に見られる狄村で、青のポイントが蝦夷荒・狄蜂起が起こった場所。青の場所が示すようにかつて中世アイヌの居住域は近世初期の狄村に限定されず、もっと広かったと考えられる。大浦氏は開発を通じて彼らを排除していき、発展と遂げたともいえる。 pic.twitter.com/INsdZonVCB

2017-12-18 22:49:49
拡大
帆船ハッカ @kotosakikotoko

あ、ちなみに狄村は全部はポイントしてないっす。津軽領にあってぱっとポイントできる場所だけ。ただ位置的には近世初期には津軽半島先端と夏泊半島だけにしか存続してない。あと南部領にもあるけどそっちはパス。

2017-12-18 23:06:12
帆船ハッカ @kotosakikotoko

『開発の進展過程それ自体は他の諸地域と同様の軌跡をなぞったが、津軽の場合には、開発対象地にアイヌ社会が存在していたということに、他地域とは決定的に異なる地域的特異性があった』という指摘がされ、それは松前においても同様であったと考えられている、という。

2017-12-18 22:56:35
帆船ハッカ @kotosakikotoko

で、その後近世になって津軽藩によるアイヌ政策は、アイヌ社会の破壊から一旦停止して、18世紀後半の同化政策になるまでアイヌ社会を存続させる方向に転換するのだけれど、その政策転換については別稿で論じるとの事。気になる。

2017-12-18 23:04:53

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?