現代の神道の二礼二拍手一礼の起源

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光岡英稔 @McLaird44

弓道の神前作法で「揖、二拝(再拝)、二拍手、一拝、揖」というのがありますが、古制ではありません。弓道の射礼は昭和8年(1933)11月、大日本武徳会の肝いりで発足した「弓道形調査委員会」によって各流派の師範らが京都武徳殿に3日間参集し、その初日に小笠原流の射礼三種が制定されました。⇒

2018-01-22 11:51:36
光岡英稔 @McLaird44

ただし、この時、神前礼法は定められていませんし、小笠原流の礼法とも違います。敗戦後の昭和23年に改正された「神社祭式行事作法」に定められた玉串奉奠(ほうてん。又は玉串拝礼)の礼式に準じたものと思われます。⇒

2018-01-22 11:52:35
光岡英稔 @McLaird44

明治15年に創立された皇典講究所の講義では「再拝、祝詞奏上、再拝、二拍手、一拝」(木野戸勝隆著『祭式摘要』)が指導されていたそうです。祝詞奏上までを除けば伊藤博文と近いですね。⇒

2018-01-22 11:55:37
光岡英稔 @McLaird44

時代的にも二拍手のあとの一拝はこのあたりまでに始まっていたようです。明治40年に告示された「神社祭式行事作法」では、祝詞奏上の作法は「再拝、二拍手、押し合せ、祝詞奏上、押し合せ、二拍手、再拝」と、またまた意味不明の混乱を招く内容です。⇒

2018-01-22 12:02:27
光岡英稔 @McLaird44

押し合せは抜きにして、今でもこの回数の作法を踏襲する神社がたまにあるのは、明治40年の告示に基づくものです。押し合せとは諸説ありますが、現行の一般的な神社祭式にはなく、 「古神道」を名乗る人たちの間でもいい加減な説がまかり通っています。⇒

2018-01-22 12:03:20
光岡英稔 @McLaird44

『神社祭式行事作法沿革史』では片手の掌を下方に向け、もう一方を仰向け(つまり交差させ)、状態を少し伏せて身体の全面で押し合わせる。祝詞奏上の前後で左右の手の向きが逆転する、という解釈ですが、よくわかりませんし、世代的にもう具体的な作法を見聞している神職もいません。⇒

2018-01-22 12:04:24
光岡英稔 @McLaird44

私が思うに、これはもしかしたらアイヌや沖縄の神女(ノロ)、八重山のツカサ(司)に伝わっている古い神拝の所作で、合わせた左右の手をもむように少し左右に動かす方法ではなかったでしょうか。⇒

2018-01-22 12:05:14
光岡英稔 @McLaird44

民族文化映像研究所の記録映画『アイヌの結婚式』『イザイホー』などで見られます。ちなみに、沖縄方言のこんにちはに当たる「にふぇーでーびる」は「二拝いたします」。⇒

2018-01-22 12:06:30
光岡英稔 @McLaird44

八重山方言の「みーふぁゆー」は「三拝云」。与那国方言の「すーうんがむ」は「四拝む」で、琉球王朝と離島との従属関係が拝の回数に表れているというのが私の解釈です。⇒

2018-01-22 12:06:54
光岡英稔 @McLaird44

もしかすると辺境ほど古い時代の丁寧な礼法が残されていた、ということなのかも知れませんが。戦争末期の昭和17年には神社祭式をますます国家の行事として一律に順序正しく行わせるため、「神社祭式行事作法」が改正されます。その討議の中で、祝詞奏上前後の二拍手と押し合せが削除されました。⇒

2018-01-22 12:07:23
光岡英稔 @McLaird44

神拝の作法と国家行事の礼の作法を独立させるという理由が一つ。再拝していざ祝詞を読もうとする段になっての拍手で、一旦手にした祝詞を書いた紙や笏を手放して懐中するのは、奏上しようという気持ちと作法が中断されるという理由が一つ。⇒

2018-01-22 12:07:45
光岡英稔 @McLaird44

もう一つ、宮中儀礼では明治6年以降、ほとんど拍手を行わないようになっていたため、宮中祭式に倣うという意図もあったようです。⇒

2018-01-22 12:10:14
光岡英稔 @McLaird44

また、過去の祝詞奏上の例、つまり故実を調べたところ、奏上後に拍手した例はあるが、公的な儀式で奏上前に拍手した例は見当たらず、祝詞奏上では拍手の記録がない例が最も多かったので拍手をなくした、という流れのようです。⇒

2018-01-22 12:11:43
光岡英稔 @McLaird44

実際のところ、拍手は拝につきものだし、『江家次第』以降、後代になるとあまり音を立てない拍手が増えたので特段記録されなかった、ということもあったのではないでしょうか。本居宣長は昔は拍手は大きく音を出したと書いています。⇒

2018-01-22 12:12:32
光岡英稔 @McLaird44

ところが一般神社の祭典で拍手がないとさびしい、しまらないと苦情が多かったようで、神祇院は同年、「先再拝、次祝詞奏上、次再拝、次拍手二」という新しい作法を定めた通牒を出し、事実上の改変撤回によって祝詞奏上後の拍手は公的に復活しました。⇒

2018-01-22 12:12:56
光岡英稔 @McLaird44

実際に上からの通達をその都度厳密に守った神社は少なかったと思いますが。宮中祭式から拍手が排除されたのは国際化のためです。⇒

2018-01-22 12:13:50
光岡英稔 @McLaird44

平安時代の初頭、延暦18年(794)の元日朝賀に、渤海使が参列していたため、日本式の天皇に四拝し拍手するのを省略し、当時の国際的な唐式の礼法にしたがい二拝したという記事が 『日本後紀』にあります。⇒

2018-01-22 12:14:29
光岡英稔 @McLaird44

『内裏儀式』元旦受群臣朝賀等に見える天皇践祚の宣命の後、参列の百官が拍手で答えますが、これも跪座で「八開手」を4回、字義通りなら32回も拍手したことになります。⇒

2018-01-22 12:15:07
光岡英稔 @McLaird44

古代の八はたくさんという意味なので、数は違ったかもしれませんが、もしかすると現在の神拝の拍手からは考えられないような豪壮でリズミカルな拍手だったかも知れません。少なくとも私はそう想像しています。⇒

2018-01-22 12:15:23
光岡英稔 @McLaird44

雅楽だって現在よりはかなり早いリズムだったはずですから。明治以降の宮中祭式から拍手が排除されたのは平安時代の故実に基づき、諸外国にも辺境の島国の民俗的礼法ではなく、少なくとも東アジアの中国文明圏に共通する由緒正しい礼儀作法に基づくものであるという主張があったのではないでしょうか⇒

2018-01-22 12:18:19
光岡英稔 @McLaird44

昭和23年にはまたまた「神社祭式行事作法」の改正があり、現在の神職の祝詞奏上作法「再拝、祝詞奏上、再拝、二拍手、一拝」が定められました。全国の神職からの強い要望で明治40年制定の作法に戻したということです。⇒

2018-01-22 12:18:36
光岡英稔 @McLaird44

多くの神社が参拝者に指導している現在の「二礼二拍手一礼」はこの昭和23年の改正作法をもとに簡略化したものですが、その簡略化の経緯はわかりませんでした。やったのは神社本庁だと思うのですが、記録が見あたりません。⇒

2018-01-22 12:18:48
光岡英稔 @McLaird44

結局、さまざまな経緯で昭和23年以降に徐々に定まったとしか言いようがなく、少なくとも決めたのは坊城俊政ではありません。年号など細部は記憶が定かではありませんでしたので、一応文献資料で可能な限り再確認しました。⇒

2018-01-22 12:19:02
光岡英稔 @McLaird44

懐かしい本が久々に読めて楽しい時間でした。神拝作法や拍手の歴史は江戸以前のことは『古事類苑』神祇部三十七、神拝の項に詳しく、近代以降は長谷晴男著『神社祭式行事作法沿革史』、高原光啓「再拝拍手覚書」(神社新報5月1日号に掲載)などが参考になります。

2018-01-22 12:19:12