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江戸時代 田沼時代の政策と実態

田沼意次と田沼時代について。『風雲児たち』などで描かれているほどバラ色ではなかったという話
田沼意次 江戸時代 田沼時代 風雲児たち 大石慎三郎 松平定信 近世史
ut_ken 16032view 26コメント
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  • ut_ken @ut_ken 2018-01-28 00:20:01
    田沼意次って個人としては、物腰柔らかでむやみに厳しく罰することもなく、立場の上下関係なく丁重に接してくれて、面白そうな企画を積極的募って自ら検討や政策実現してくれる、魅力的な人だったのでしょうけど。その結果が全部うまくいくかというとそういうわけでもないわけで
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:45:12
    前から書こうと思っていたこと。田沼意次の政策についての大まかな解説と「昨今一般的に言われるほど革新的でも大成功でもないし、問題や失敗も多かった」という話。主に藤田覚氏の著作を元にしています。 #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:45:29
    まず田沼時代の定義ですけどはっきりしない。最大限だと将軍吉宗の死の直後の宝暦年間(1751年~1763年)から天明年間(1781年~1788年)の37年間になる。 #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:45:51
    山川の高校用教科書『詳説日本史B』では、田沼が老中になった安永元年(1772年)からの16年間、 wikipediaの「田沼時代」を見ると、十代将軍 家治の側用人になった明和4年(1767年)からの21年間を田沼時代としている。 #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:46:08
    また田沼時代と言っても別に田沼一人で政治をしていたわけではなく、田沼が権限を独占していたとみられるのは天明元年から辞職の天明6年ぐらいになり、この6年間に特に田沼色が強いとみられる政策が試みられて……全て失敗や中止をしている  #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:46:19
    田沼時代の政策の特徴としては、商工業を振興してそこから歳入を得る政策を積極的に進めたこと、民間からの事業や政策案を積極的に採用したこと、そして様々な産業や学問、大衆文化が発展したこと。ただこれがバラ色の大成功かというとそういうこともない  #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:46:30
    田沼時代のマイナス面は。まず「緊縮財政」。ここがどうも勘違いされて、田沼は積極財政で景気を良くしたみたいな話を見かけるが、実際は緊縮財政で行政などのコストを削減し、認可権件を行使して民間の商人に任せるのを多用した。ただし商人は本来は利益第一。 #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:48:03
    「米の年貢に依存するのをやめて、商業から歳入を得る”税制改革”をした」という誤解もあるが、実際には税制自体はかえておらず主力はあくまで米の年貢で、吉宗から九代家重のときのような徴収量を諦めたと言うだけでなるだけ減らさないようにしてたし、吉宗同様米の相場問題に苦しんでいた #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:48:32
    商工業から歳入を得るというのも「税金」でなく、株仲間というカルテルを多数認めてそこから認可に対しての「冥加金(礼金)」を取るという方式。個々の株仲間からの徴収金額は少額。また大型事業ごとに認可でも冥加金を徴収して、これは結構な金額。このやり方が悪名高い腐敗の温床となった #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:48:48
    賄賂や縁故人事などが横行し、また勘定奉行所を中心とした幕府側はしばし、目先の利益優先で杜撰な企画を採用した。そんな中で良くも悪くも活躍したのが「山師」。田沼時代というのは良く言えば野心的な事業が盛んだが、悪く言えば怪しい事業家や不正が横行した時代だった。 #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:49:46
    そして田沼時代の全体を通しては幕府の財政状況は改善どころか悪化。最初の宝暦元年~11年の毎年は米は赤字のときもあったが金は黒字続きだったのが、宝暦12年から次の明和では米金ともに赤字転落。明和7年からは黒字に転じるが、これは緊縮路線、特に明和8年からの5年間の倹約政策が大きい #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:50:14
    明和の倹約政策をやめるとまた黒字は減っていき、そして天明の大飢饉による大赤字。天明の大飢饉のときは更に厳しい倹約政策。なおこの倹約政策で農村などのケアは削減するし、大名への資金援助の拝借金も停止。そのくせ公共工事負担は大名に積極的におしつけていった #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:52:49
    そして農村は荒廃し、大名は困窮してるのに負担ばかり増やされていた。なお天明の大飢饉も、田沼擁護で言われるように突然おこったわけではなく、田沼時代を通して天候不順が多く、天明より前の1770年年代からは東北での天候不順が続いていた #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:55:14
    こういう状況下で、諸大名はとにかく収入を得ようと、長期的には殖産興業を試みるが、短期的には年貢米を集めて売ろうとする。そこに天明の大飢饉が直撃して、飢饉を悪化させた飢餓輸出や囲い込み状態の横行になった #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 23:57:43
    天明の大飢饉の主な被害地は東北ですけど、関東でも天明6年に関東でも大水害被害が起こっている。これが同年の田沼失脚。そして翌年の江戸での打ち壊しにつながる。 #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-27 00:03:16
    天明年間の田沼色の強い「大胆な」政策ですけど、これが「内政チートなんて現実ではそうそう上手く行かない」の典型な展開となった。まず大名の資金難問題に対して、大阪商人にカネを出させて幕府が保証人となって利息をつけて貸し付ける「御用金制度」を始めようとした #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-27 00:03:39
    だが、返済が滞る大名に対して大阪商人は利息の取り分が幕府より多くてもなお貸し渋り、あくまで商人側に依存してる幕府は貸付を強制できず失敗  #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-27 00:07:15
    大坂商人でなく、全国の寺社、百姓、町人から広く薄く資金を集めて、それを大名に貸付け、時期が来れば資金提供元に利子を付けて返金する「貸金会所」も試みる #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-27 00:07:45
    これは政府系銀行や国債ともいえる先進的なアイデアだったが、カネを徴収される側にはさらなる負担押し付けにしかおもわれず、田沼失脚もあってわずか二ヶ月で頓挫 #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-27 00:10:06
    治水と江戸への流通路、農地確保を兼ねた大型工事の 印旛沼干拓にも着手したが、これも失敗。洪水がなくても、後の天保のときも失敗し、結局成功したのは昭和の戦後という難易度の高い工事だったのではっきり言って無理な代物だった #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-27 00:14:21
    田沼の先進性の筆頭と挙げられる対ロシア交易と蝦夷地開発ですけど、これも相当過大評価されている。最初は鉱山開発と対ロシア交易で早くに多くの利益を得られることを期待して調査隊を送り出したが報告を受けると、思ってたほどでなかった交易や鉱山案はあっさり保留にしている #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-27 00:18:01
    続いて調査隊と勘定奉行から農業開発案が出されるがこれが「農業をしたがっている3万人のアイヌと、7万人の穢多・非人の移住を労働力として使えば、短期間で116万町歩583万石の新田開発ができる」という、その後の現実の開拓を考えれば荒唐無稽で実現不可能な代物だった #田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-27 00:20:42
    たしかに幕府自ら本格的な調査をして対ロシア問題や開拓を検討したという点ではエポックですけど、具体性は乏しい段階だった。これを「田沼は開国主義」「田沼失脚がなければロシア交易や蝦夷地開発が実現してた」とするのはとても無理。(以上、ここまで)#t田沼時代
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 07:07:18
    江戸時代スレでもも書きましたけど田沼時代末期にあたる天明期の田沼意次への個人的な印象は「創作作品みたいな派手な内政チートを、異世界人や転生者にあたる山師に頼って実現しようとしたが、創作作品のように現実は上手く行かないという指摘そのままのことがおこって、ことごとく失敗」
  • ut_ken @ut_ken 2018-01-26 11:58:01
    天明年間の田沼意次は、天明の大飢饉による大赤字でかなり焦ってたみたいで、自ら振興してた朝鮮人参事業にも、以前よりなりふり構わず収益を求めることもしていた。
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