「高慢と偏見」は「キャラクター小説」なのか
- miroungaleonina
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「自負と偏見」を読み直してみた。やはり王道のラブコメ、といったところ。何度でも読み直すだけの価値がある。
2011-04-03 23:32:43キャラクタ―と物語と事件。「自負と偏見」はキャラクター小説か、ということを考えてみるとキャラクター小説というものがよくわからなくなった。……まあ、古典作品で言うのもなんだけど。
2011-04-03 23:38:33「高慢と偏見」はキャラクターはこれでもかというくらいに立っている。そのくせ事件という事件のないまま物語が流れていく。
2011-04-03 23:40:12事件や出来事によって話が進むのでなく、キャラの心情やふとした行動の変化がそのまま物語になっている。そんなわけで、物語が先か、キャラクターが先か、ということになると、どうにもキャラが先なんじゃないかと思ってしまう。
2011-04-03 23:42:30高慢と偏見みたいな物語は、全ての筋書きがキャラクターの人格を浮かび上がらせるためにあって、そうやって「人生」を形成しようとしている点で、昨今のキャラクターもの≒筋なし日常ものとは明確に一線を画していると思われ
2011-04-03 23:42:59@miroungaleonina 何というか、そもそも「キャラ小説」とは何ぞや、というところが分かってない私かも。
2011-04-03 23:45:36キャラの心情の動きがそのまま物語になっている、あるいは心情の変化こそが物語であるという時、それはキャラを描いているのか、物語を描いているのか。と思った結果か。
2011-04-03 23:48:28まあ、私の中の「キャラ小説」のそもそもの定義付け、ラベル付けが曖昧ないしなんか違っている、というところなのだろうけれど。
2011-04-03 23:51:34「キャラクターのために物語(≒人生)がある」のと、「(事実上)キャラクターだけがある」のは、けっこう(読者としては)違うように感じる。でも両方「キャラクター小説」と言えちゃう気がするんだよなあ @kazaa_suguru
2011-04-03 23:51:23キャラクター小説、の、定義づけが難しい。「物語を従属させるキャラクター」「物語と拮抗するキャラクター」「物語のないキャラクター」に分けて考えられないかな(未検討、酔)
2011-04-03 23:55:17私の手元に唯一ある「とらドラ」や、借りて読んだ「禁書」あたり―こちらの方が妥当か―を「キャラ小説」と考えてみると@miroungaleoninaさんの言うことにも同意できますね。
2011-04-03 23:55:57大枠として、「人物や設定などがすべて筋に従属させられるもの」を「近代小説」と呼ぶのなら、「キャラクター、人物造形が他要素すべての上に立つもの」を「キャラクター小説」と呼んで差し支えないだろう。
2011-04-04 00:03:49(続)キャラクター小説のうち、「キャラクター造形の為に筋や設定の全てが用いられるもの」は、「キャラクター小説」でありながら「近代小説」たりうる。設定された「テーマ」=「キャラクター」と看做されるから。高慢と偏見 とか ジェーン・エア とか、そのあたりはこの分類に相応しそうに思う
2011-04-04 00:05:26(続)では、禁書などを初めとするキャラクター性の強い小説は、どうか。物語中の「人物」に対して「何かしらの事態」を与えれば、そこから物語が動き始める。ファンタジーやミステリー、往々にしてシリーズもの、によく見られる設定である。
2011-04-04 00:06:35(続)キャラクターに何らかの事態を与えれば、「その人物ならどのように動くだろうか」という推進力で物語が動いていく、その手の話は短期的なスパンでこそひとつの極点に収束するが、「人物」が核になっている限りにおいて、それこそ新しい事態を与えれば永遠に物語が拡張され続けるだろう。
2011-04-04 00:09:02(続)そのような意味で、物語は「完成され、洗練されている」とは言いがたい。というか、一極に収束することをそもそも求めていないように思える。そのかわり伝わる軸はブレるけれど。エンタテイメントに向いた設定、そんなことを思っている。(今ツイートは、印象論)
2011-04-04 00:11:00(続)そして、例えば「らき☆すた」「けいおん」「東方」などは、最低限の物語こそ与えられていても、基本的に軸となる物語が存在せず、単にキャラクターが日常という名の宙にぽっかりと浮いている、そんな新しい姿に思えるんだよな。
2011-04-04 00:11:56(続)物語や設定がキャラクターを形作っていくわけでもなく、キャラクターに対して事態が与えられることで物語が推進していくわけでもない。「本家」によって描かれる物語は、恐らく膨大な主人公たちの日常のうち、ほんの、一部分。
2011-04-04 00:14:16(続)完全に「キャラクターだけがある」ので、キャラクター小説と呼ばれる、というより、キャラクター小説としか呼びようがない(小説に限らない、ごめん)特徴を備えた作品、それは明らかに「高慢と偏見」タイプの話とも、「ホームズ」とも「ワンピース」とも「魔まマ」とも違うだろう。と思う。
2011-04-04 00:17:04(続)例えば同人の立ち位置なんかを見ていると、「キャラクターだけがある話」においては、同人が(本家を尊重しつつも)本家以上に力を持つことが、ありうる、ように思う。本家にとって何の働きもしない設定が、拡張され拡充され、いくらでも「事態」を与えられて、
2011-04-04 00:18:16(続)新しい「キャラクターの側面」を形作り、「キャラクターと拮抗した物語」が量産されうる、それは、本家において、物語が積極的に生産されることがないから、だろう。
2011-04-04 00:19:02(続)もちろん、「キャラクターと物語が拮抗している」場合においても、「筋書きがキャラクターに従属させられている」場合においても、キャラクターさえしっかりしていればいわゆる「同人もの」は生産可能だけれど、その場合「同人」はより厳しく「本家」に制限され、
2011-04-04 00:20:23(続)人物と筋が拮抗している場合は「本家の筋を阻害しない範囲、内容、設定、時期において」同人が可能になる、また「筋が人物に従属させられている」場合は、同人物語が「本家のどの部分になら組み込まれることを許容されるか」まで厳密に制限されて、本来の「本家の物語」と合一してしまいそうだ。
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