2/11 山本菅助展

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日光81 @nikko81_fsi

山本菅助展!沼津山本家に伝わる花菱の旗がレプリカになってる… pic.twitter.com/QPVuf5jmYQ

2018-02-11 13:13:29
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山本菅助展。展示内容としては、①真下家所蔵文書の真品とその写しを改めて比較して確認できたこと、②三代菅助正幸以降の墓の所在と墓石を確認できたこと、③六代菅助晴久、七代菅助晴就の時代の縄張稽古図の存在を知ることができたこと、これが収穫。

2018-02-11 21:10:52
日光81 @nikko81_fsi

①については、真品が武田二十四将展、写しが確か藤枝の武田軍団展でもあったように思ったが、藤枝で写しを見たときにその真品の内容が頭に入っていたので、あぁこれは偽文書認定されてもしかたがないなと思ったものだが、同じ会場で比較して確認できたのが大きい。

2018-02-11 21:12:58
日光81 @nikko81_fsi

天文十七年(1548年)の武田晴信判物は、明らかに筆跡と花押があちゃーという感じで素人目にもハッキリなのだけど、まず八十貫文を支払い、残り二十貫文は追ってという朱印状は、十干十二支が抜け、朱印が真品では角型の朱印であるのに対し、写しでは龍朱印。この角型朱印は他に例がない意匠とのこと。

2018-02-11 21:17:27
日光81 @nikko81_fsi

②について、三代菅助正幸は京都・八幡市、五代幸運は新潟・村上市、六代以降は高崎に。初代菅助の「晴幸」の真贋はさておき、四代菅助晴方以降、「晴」の字を通字化させているのはとても興味深いところ。 pic.twitter.com/yzhZegA3rA

2018-02-11 21:27:01
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三代正幸が淀藩に仕官できたのは小幡勘兵衛の口添があったから。しかし四代晴方は、自力で「山本勘助」の末裔であることを証明しなくてはいけなかった。小幡景憲から生前甲州流軍学を授ける印可状を貰っており、まもなく景憲は没する。そんなことも「晴」を諱とした所以だろうか。

2018-02-11 21:31:40
日光81 @nikko81_fsi

注目すべきは、墓標の俗名の記し方。必ずしもあるわけではないが、いくつかの墓標には山本菅助入道道鬼○世孫という記載があること。最大限に甲陽軍鑑で有名な、かの山本勘助の末裔、である強烈な自負心を見て取ることができるように思えた。 pic.twitter.com/vUj6216BiJ

2018-02-11 21:35:28
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③六代菅助晴久、七代菅助晴就の時代の縄張稽古図。これが個人的にはすさまじく興味深かった。これまでいずれの展示でも拝見したことがなかったもの。今手元に甲陽軍鑑大成に収録されている甲陽軍鑑末書下巻下に記載のある、図面によく似ているのと、丸馬出の使い方が実に軍鑑っぽい。

2018-02-11 21:42:41
日光81 @nikko81_fsi

図録より。やはり基本は防御正面にひとつ丸馬出を据える「伝統的」な丸馬出。そして背面には川が描かれていたりして背後を固めるのもセオリー通り。甲州流軍学では与えられた地形条件を踏まえ縄張図を作成する訓練が行われていたらしいが、朱字で添削されてるあたり、だよなーと納得。 pic.twitter.com/U5OM3YBWRG

2018-02-11 21:51:59
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地形を踏まえて作成する訓練とはいえ、丸馬出の使い方は実に末書に書かれた通りで、少なくとも無造作に丸馬出を乱発するのが「甲州流」ではない、と認識されていた傍証になるかもしれない。とはいえ、丸馬出を並列に並べたり、背面が川で三方向に丸馬出を据える岡城・長沼城・江尻城パターンもある。

2018-02-11 21:55:41
日光81 @nikko81_fsi

あったあった、甲陽軍鑑末書の図面。似てません?同じじゃないけど一つのテキストを鏡にバリエーションを考えました、という感じがすごくするのだ。 pic.twitter.com/3s0p5D1WUe

2018-02-11 22:13:22
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日光81 @nikko81_fsi

さて、今日の講演「高崎藩士山本菅助―風林火山の余光を受けて―」個人的なツボ。史料の整理を精力的に行った(行わざるを得なかった)四代晴方。淀藩永井信濃が改易され牢人した後、土浦城に加増転封となった大河内松平信興に仕官。貞享二年(1685)年、真鍋口馬出縄張を仰せ付けられる(土浦城記)

2018-02-11 22:28:25
日光81 @nikko81_fsi

確かに土浦城の縄張図をみると搦手の真鍋口が形状としては丸なんだけど、いわゆる逆襲機能は発揮しづらい構造。真鍋口だけでなく、南の大手にあたる高津口も普請しているらしいから、こちらがより武田らしいといえるかもしれない。甲陽軍鑑も丸馬出にこだわってなく、角馬出の例もある。 pic.twitter.com/9S8rLb63OO

2018-02-11 22:31:29
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日光81 @nikko81_fsi

とにもかくにも「山本勘助」末裔が普請することに意味があったのかもしれないし、松平信興自体も城取の名人の末裔という流布された印象による腕を買ったのかな。

2018-02-11 22:36:47
日光81 @nikko81_fsi

五代目山本十左衛門幸運。四代目晴方の姉の子。どうやら養子だからということで初代菅助の婿養子だった山本十左衛門の通称を襲名。晴方は三席家老五百石扶持だったが末期養子の為、三百石に減。

2018-02-11 22:42:55
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元禄六年(1693年)壬生城の総普請奉行に、翌年には追手御門外丸馬出縄張を申し付けられる。これがもうものの見事に丸馬出。当時は松平輝貞の時代。輝貞が幸運に命じた壬生城改修の判物では丸馬出を指定している。trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U… pic.twitter.com/9xbLD6Fbix

2018-02-11 22:53:14
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日光81 @nikko81_fsi

壬生城の普請で重要と思われるのは、わざわざ南にあった追手を東に付け替え、そちらに丸馬出を据えていること。以後東側に城下の重心が移ったらしいが、少なくとも「甲州流軍学」の世界では、丸馬出は追手(大手)に据えるものという認識があった可能性を示しているように思うな。

2018-02-11 22:56:42
日光81 @nikko81_fsi

この後松平輝貞が高崎に転封となるのだけど、元禄十五年の結城城再築の見積や宝永三年の館林城の再建見積にも意見。これは松平輝貞が綱吉の側用人として出世する流れで、かの山本勘助の末裔に意見させてみては、という後押し?同時代に柳沢吉保も出世してるわけで、武田遺臣が目立った時代かも?

2018-02-11 23:03:21
日光81 @nikko81_fsi

さすがに本格的に増改築するわけではないから丸馬出つくろーぜではないにしても、山本十左衛門に求められていたスキルがよくわかる話。そして少し前の元禄十一年の高崎城修築にはこれまた興味深いエピソードが…

2018-02-11 23:08:04
日光81 @nikko81_fsi

高崎城の縄張りとして、山本菅助家に伝わっている縄張図があるそうで・・・結局は実現しなかったにせよ、元禄十一年に修築する際に、高崎城にも丸馬出をつくろう!という話があったのかもしれないな、というワクワクする話。壬生城と比較すると・・・・やっぱりすごく似ている、軍鑑ぽい丸馬出。 pic.twitter.com/sCjVxJqEuk

2018-02-12 00:07:44
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日光81 @nikko81_fsi

壬生城の縄張図。今もうあまり残ってないのが悔やまれますね・・・・ pic.twitter.com/HdxP21RiMu

2018-02-12 00:08:59
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日光81 @nikko81_fsi

さてここで一考察。甲陽軍鑑は香坂弾正の口述筆記と言われますが、彼の没年は天正六年。その後、春日惣次郎が書き継いでいるとはいえ、基本的に香坂弾正の記憶によるもの、と言うことになると思うんですね。ということは天正六年以前の丸馬出しか知らないはずなんですよね。

2018-02-12 00:14:37
日光81 @nikko81_fsi

しかし、どうも新府城や丸子城のような斜面上にある丸馬出や小長谷城や諏訪原城の重ね丸馬出、大島城や小山城のような二重、三重の三日月堀をもつ丸馬出・・・はやはり軍鑑のセオリーには合わない気がするのです。でも、どれも武田ではあると想定できる・・・

2018-02-12 00:21:43
日光81 @nikko81_fsi

軍鑑のベースが成立した後、駿河防衛という喫緊の事態に直面し、さらに丸馬出はさらに進化を遂げたのではないかと思うわけです。しかしその思想は後世に受け継がれなかった。後に丸馬出がブランド化した後に、模擬的・復興的につくられた丸馬出はどれも甲陽軍鑑にその基本を置いた先祖返りなのかも。

2018-02-12 00:24:18
日光81 @nikko81_fsi

そういえば、前橋城に丸馬出遺構があったはずだけど、これ山本菅助家との関連を見出すことができるかな?割とこれも武田らしいという気がしないでもないので。 pic.twitter.com/L2IxL7VEDm

2018-02-12 00:28:59
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