自分が好きな洋画家(故人)③

自分が好きな故人の洋画家を取り上げます。著名洋画家がかなり含まれていますが、ときにマイナーな洋画家も取り上げます。(随時更新)
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酔生夢死 @koga_harue

神原泰(1898〜1997) 二科展に入選。石油会社に務める傍ら詩と絵画でイタリア未来派を紹介し前衛美術グループ「アクション」を結成。三科、造型に参加し大正期新興美術運動の旗手となるが、その後、美術界の第一線から退く。以後は石油業界の大物及び美術評論家としての活動が目立つ。 pic.twitter.com/szcXFWwzCh

2018-02-14 15:17:54
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竹久夢二(1884〜1934) 岡山県生まれ。早稲田実業学校卒。挿絵、詩文、本や雑誌の装丁に芸術的天分を発揮し、夢みるように憂愁をたたえた夢二式美人を描き、大正期の青年子女に多大な影響を及ぼした。また、日本橋に港屋を開店して自作の絵葉書や千代紙などを売った。画壇とは没交渉。 pic.twitter.com/vHcojApNfN

2018-02-14 16:03:02
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高野卯港(1948〜2008) 高校で当時、教員だった洋画家・和気史郎に絵のてほどきを受け、画家を志す。大阪市立美術研究所で油彩を本格的に学ぶ。郵便局で働きながら絵を描く。洲之内徹に認められる。その後、パリに遊学するが、60歳の若さで慢性白血病のため逝去。 pic.twitter.com/FLzl4DOU4u

2018-03-13 08:53:57
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板東敏雄(1895〜1973) 川端画学校に学ぶ。藤島武二に師事。官展出品を経て渡仏。エコール・ド・パリの画家たちと交友。日本的な情緒と甘美さを湛えた独特な画風でパリ画壇の注目を集めた。現地の女性と結婚し、二度と帰国することが無かったため、日本では忘れ去られている。 pic.twitter.com/NLq93lWz9i

2018-05-29 10:04:30
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磯江毅(1954〜2007) 19歳でスペインに渡り、マドリード・リアリズムと呼ばれる潮流の中にあって、スペイン美術界で最も注目される一人となる。無所属。広島市立大教授を歴任。写実絵画の鬼才で、鬼気迫る迫真の描写力によって画面に漂う独特の神秘性まで描き上げたが、志半ばで他界した。 pic.twitter.com/4jxzwybRmx

2018-06-11 16:14:34
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小西保文(1931〜2008) 神戸芸術研究所で研修。二紀会で活動し、二紀展文部大臣奨励賞、金山平三記念美術賞、二紀展内閣総理大臣賞受賞。二紀会常任理事を歴任。堅牢なマチエール、暗く沈んだ色調、人物の宙をさまよう視線など、独特な画風でひたむきに生きる人々の日常の姿を描き続けた。 pic.twitter.com/7MlcW5ucGf

2018-07-05 07:19:57
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小泉清(1900〜1962) 英文学者・小泉八雲の三男。東京美術学校中退。国画会会員。フォーヴィスムの表現に個性を発揮したが、自殺。学生時代には会津八一から天才と言われ、里見勝蔵や梅原龍三郎からその才能を絶賛されるなど、文化人や玄人好みの異才。寡作のため人目に触れることは少ない。 pic.twitter.com/BwQz0nwGSN

2018-11-10 21:23:06
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伊藤久三郎(1906〜1977) 京都市立絵画専門学校卒。二科会で活動し、戦中は同会の前衛グループ・九室会に参加。戦後は行動美術協会の結成に参加。成安女子短期大学教授を歴任。戦前のシュルレアリスム絵画で日本美術史に名をとどめているが、本領は戦後の抽象絵画にあると言われている。 pic.twitter.com/NieCjQb6Av

2018-12-02 18:17:28
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北脇昇(1901〜1951) 鹿子木孟郎らの画塾で学ぶ。独立美術協会を経て創紀美術協会、美術文化協会の結成に参加。日本のシュルレアリスム絵画史上、東洋哲学を導入することで独自のシュルレアリスムを創造し、更にはシュルレアリスムを超越して「概念芸術」の地平に到達した唯一の画家。 pic.twitter.com/zEqTT0Oedr

2018-12-14 18:34:12
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須田寿(1906〜2005) 川端画学校を経て東京美術学校卒。長原孝太郎、和田英作、阿以田治修に師事。官展、日展、創元会を経て牛島憲之らと立軌会を結成。武蔵野美術大教授を歴任。長谷川仁記念賞、芸術選奨文部大臣賞、中村彝賞受賞。力強い線とフォルムによる幽玄美を感じさせる画風。 pic.twitter.com/1Aicy9WUh8

2019-04-29 23:34:40
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山下菊二(1919〜1986) 香川県立工芸学校卒。福沢一郎絵画研究所に学ぶ。美術文化協会を経て戦後、日本美術会、さらに前衛美術会の結成に参加。後に中村正義らと从会を結成。晩年、脊髄性進行性筋萎縮症に苦しむ。戦争、差別、天皇制といったテーマをシュルレアリスム的手法で描いた。 pic.twitter.com/W3khIfwMPE

2019-09-11 01:18:48
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原田直次郎(1863〜1899) 江戸生まれ。東京外国語学校卒。天絵学舎で高橋由一に師事。ミュンヘンに留学。ドイツ官学派の重厚な写実技法を修得。滞欧中、森鷗外と親交を結んだ。帰国後、画塾・鍾美館主宰。明治美術会結成に参加。日本的題材による一連の構想画を描こうとしたが、夭折。 pic.twitter.com/jksuP7t5lu

2019-01-25 06:13:21
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平野遼(1927〜1992) 独学。自由美術家協会で活動するが、1964年、主体美術協会結成に参加。のち退会して無所属。北九州を拠点に活動。一貫して人間をモティーフとし、褐色、灰白色を基調にジャコメッティに傾倒した細い線による人体表現で深みのある作品を制作した。 pic.twitter.com/bi6aqb0Sqt

2019-01-06 17:19:51
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森芳雄(1908〜1997) 本郷絵画研究所、一九三〇年協会絵画研究所で学ぶ。中山巍に師事。独立美術協会で活動中、渡仏。帰国後、自由美術家協会で活動するが、1964年、寺田政明らと集団で脱退し、主体美術協会を結成。武蔵野美術大教授を歴任。深い人間性と叙情をたたえた画風を展開。 pic.twitter.com/nGh25kXcUA

2018-08-23 10:20:30
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村山知義(1901〜1977) 東京帝大中退。哲学研究のためベルリンへ留学。同地で美術に転じる。帰国後、大正期前衛美術運動の旗手となり、柳瀬正夢らとダダイスム的なグループ「MAVO」を結成。その後、三科造型美術協会に参加。三科解散後は次第に美術から離れ、劇作家として著名になる。 pic.twitter.com/yzpBNa2v4c

2019-12-22 16:33:22
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桜井浜江(1908〜2007) 高校卒業後、女子美術学校入学を断念し1930年協会洋画研究所に入り、里見勝蔵の指導を受ける。独立美術協会結成に参加。戦後、三岸節子らと女流画家協会を結成。太宰治との交流でも知られる。重厚な画面とエネルギッシュな筆致は見る者を圧倒する。 pic.twitter.com/SfbLWy6pXi

2020-02-20 14:38:43
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豊島弘尚(1933〜2013) 青森県生まれ。東京藝大卒(林武教室)。在学中に新表現主義展を結成。東郷青児美術館大賞、両洋の眼展・河北倫明賞受賞。初期の現代人の抱く不安や孤独を投影させた世界を経て、北欧神話や極北のイメージを題材とした雄大で幻想的な宇宙空間を描くようになる。 pic.twitter.com/EtUDcD32V0

2020-04-05 10:39:49
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森田訓司(1939〜1987) 独学。業界では早くから天才と噂されていたが、展覧会のみに出品するというスタイルを通していたため、29歳まで無名であった。泰明画廊がバックに付いてからは渡欧し個展を開くようになったが、好きな酒と画業にのめり込む生活が崇り47歳の若さで夭折。 pic.twitter.com/fQ8PgHYdtH

2020-05-14 19:45:21
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小山田二郎(1914〜1991) 帝国美術学校中退。矢崎博信らと前衛美術グループ「アニマ」を結成。戦後、自由美術家協会会員となるが、1959年に退会。1971年に妻子を残し失踪。以後、社会から距離を置いた隠遁生活を送る。人間の内部にある不安や矛盾を抉り出すように表現した。 pic.twitter.com/lT7sOukziT

2020-06-08 00:59:06
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廣幡憲(1911〜1948) 日大卒。『夕刊秋田』の記者となり、藤田嗣治の壁画制作に際し助手を務める。二科展に出品。同会の前衛美術グループ・九室会の会員となる。戦後、二科会会員となった後、自由美術家協会に移籍するが、37歳で夭折。抽象絵画を描いたが、現存する作品は少ない。 pic.twitter.com/zcH6N0Rl1Y

2020-06-14 17:29:54
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柳瀬正夢(1900〜1945) 日本美術院研究所で学ぶ。未来派美術協会、MAVO、三科に参加し、大正期新興美術運動の旗手となる。のちプロレタリア美術運動に身を投じ、『読売新聞』『無産者新聞』などで風刺漫画やグラフィックデザインを手掛ける。治安維持法違反で入獄。東京大空襲で死去。 pic.twitter.com/8cZuZKVK0z

2020-06-19 18:01:35
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佐熊桂一郎(1929〜2006) 武蔵野美術学校卒。1953年、グループ21世紀を結成。羽黒洞の木村東介と交流を持つ。1974年、中村正義、山下菊二らと从会を結成。東京展にも出品。一貫して童女とも老女ともつかない奇形的な女性像を描き続けた。 pic.twitter.com/NyTyMvka3P

2020-06-25 02:05:18
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萬鉄五郎(1885〜1927) 白馬会菊坂洋画研究所で学ぶ。渡米を経て東京美術学校卒。フュウザン会を結成。二科会、院展洋画部に出品した後、春陽会、円鳥会の結成に参加。フォーヴィスム、キュビスムの影響を受ける。晩年は南画も描き、その芸術は東洋的な表現主義へと統合されていく。 pic.twitter.com/te9OSaKQvz

2020-07-04 22:22:58
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田畑あきら子(1940〜1969) 新潟県出身。武蔵野美術大卒。母校の図書館に司書として勤めながら制作を続ける。生涯唯一の個展開催の直後、胃癌で28歳の若さで死去。没後、友人により編纂された遺稿集が洲之内徹の目に止まり、世に知られるようになった。 pic.twitter.com/AMmkKkho1A

2020-07-05 01:21:27
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曺良奎(1928〜?) 朝鮮生まれ。晋州師範学校卒。南朝鮮労働党に入党し政治活動に参加。1948年、密航船で来日。武蔵野美術大中退後、日本美術会、自由美術家協会で活動。戦後日本における人間疎外を索漠とした倉庫やマンホールに託して描いたが、1960年、北朝鮮に渡り、消息を絶つ。 pic.twitter.com/9LTct3Edi1

2020-10-18 06:55:37
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