皇帝フェルディナント1世(1503-1564)についてメモ

皇帝カール5世の弟、フェルディナント1世についての知見をまとめた備忘録。
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はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

ほな、ぼちぼちフェルディナント1世の話をしていきましょか。明日は早い。

2018-02-25 00:03:33
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皇帝フェルディナント1世は1503年に生まれ、スペインで養育された。 1527年義弟ラヨシュ2世が戦死すると、ハンガリー・ボヘミア王位を継承した。 これは自身の結婚による請求と、先祖アラゴン王家がナポリ王を兼ねていた際に、ナポリ王家がハンガリー王家でもあった縁もあると思われる。 pic.twitter.com/hV91eNbZvH

2018-02-25 00:06:01
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フェルディナントの誕生寺には、既に兄であり祖父帝(マクシミリアン1世)の嫡孫であるカールがいた。 ふつう、後に生まれた子は世間の関心を集めないものであった。 しかし彼らの父、フィリップ端麗王が異国の地で早世してしまったのである。 後に残った継承者は幼いカールとフェルディナントだった。

2018-02-25 00:12:43
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幼児死亡率の高かった時代、兄弟のどちらかが死ぬかもしれない。 このため、やがてハプスブルク家の、後には全スペイン王家の継承者を期待されたのだった。 快活な少年フェルディナントは母方の祖父・アラゴンのフェルナンド王のお気に入りだった。名前も祖父に因む。

2018-02-25 00:15:33
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フェルナンド王としては、手元で育ったこの少年に全スペインの継承者となることを望み、スペイン風の教育を受けさせた。 若いフェルディナントがスペイン語・フランス語・イタリア語・フラマン語を習得した…語学の才能は祖父帝マクシミリアン譲りだった…後にハンガリー語とドイツ語も覚えることに。

2018-02-25 00:18:26
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興味深いのは、フランス語とフラマン語も学習していること。これはブルゴーニュ・ネーデルラントで使われる言葉。 もしも万が一、兄カールが夭折した場合に滞りなくこれらの地を相続できるように、という配慮なのではないか。

2018-02-25 00:20:00
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フェルディナントは非常に利発で、朗らかで、陽気だった…兄とは正反対だった。 フェルナンド王は、彼をフランスの王女と結婚させようとした。 これに対しマクシミリアン帝は、ハンガリー・ボヘミアを統治するヤギェヴォ家の王女を、カールかフェルディナントのどちらかと結婚させるつもりだった。

2018-02-25 00:22:32
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ヤギェヴォ家としては、将来的な皇帝位の継承者であり、全スペインの相続者でもある兄カールを王女アンナの結婚相手に! と望んだが、マクシミリアンは中々結論を出そうとしなかった。 広大なハプスブルク領の相続問題は、直情的な皇帝ですらも慎重にならざるを得なかった。

2018-02-25 00:24:25
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とりあえず「マクシミリアンがふたりの孫どちらかの結婚代理」として、ウィーン二重結婚を実らせた。これにより、アルベルティン系ハプスブルク家の血統はレオポルト系ハプスブルク家に合流することになる。

2018-02-25 00:26:43
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ウィーン二重結婚の場に現れた56歳のマクシミリアン1世は、結婚する孫たちに優しく手を差し出し、ラテン語で宣言した。 「今日この日は、神によって選ばれた1日です。楽しく愉快に過ごしましょう」 民衆は歓呼に包まれ、それを見たハンガリー・ボヘミア王ウラースローは感動のあまり声を忘れた。

2018-02-25 00:31:08
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痛風に苦しむ皇帝マクシミリアンとハンガリー・ボヘミア王ウラースローは駕籠に揺られ、ポーランド王ジグムントと若き王子ラヨシュは馬に跨って、彼らの前をハンガリー人、ボヘミア人、ポーランド人、モラヴィア人の騎兵が先導した。 オーストリアの全貴族が、皇帝に揃って参列して挨拶した。

2018-02-25 00:34:46
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つぐつぐ、マクシミリアンはこういうことにおいては天才的な手腕だなと感心する。マクシミリアンはこの場のことを回顧して、「数十年に渡って献身的に統治し、権利と秩序を確立し、新時代への道を開拓しようとしたことが報いられたと感じた」という。

2018-02-25 00:36:53
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ウィーン二重結婚はシュテファン大聖堂にて、ハンガリー・ボヘミア王ウラースロー、ポーランド王ジグムントの同席の元で行われた。 マクシミリアンはまず、父フリードリヒ3世の墓の前に式服(100万グルデン!)をかけてから、自分を代理人として王女アンナと結婚式を行った。

2018-02-25 00:40:02
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アンナが代理人(マクシミリアン)に花束を渡すと、マクシミリアンは彼女に言葉をかけた。 「今あなたが私たちの花嫁になることを定められたのは、ここにいない2人の孫立ちの名においてのことであり、あなたが2人のうちどちらかと結婚するという意味なのですよ…」

2018-02-25 00:42:20
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「…ここで約束しておきますがあなたは必ずどちらかと結ばれるのです。 それに私の孫カールはカスティーリャとアラゴンの両王国を、またフェルディナントはナポリを相続するでしょうから、いずれの場合でもあなたは女王と呼ぶことになります…」

2018-02-25 00:44:27
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「…ですからあなたに女王としての戴冠式を済ませてもらうことにしましょう」 この時点でマクシミリアンは、スペイン領を分割し、イタリア部分はフェルディナントに与える構想があったと思われる。 これは、ハンガリー・ボヘミア《王家》と結婚する釣り合いという意味があるかもしれないが→

2018-02-25 00:46:04
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歴史的に見ても、ナポリとハンガリーは親和性のある地域だった。以前にアンジュー家がナポリとハンガリーどちらも支配していたからであった。 アンジュー家の滅亡後はナポリにおいてはアラゴン家が権利を引き継ぎ、フェルナンド王の代に至った。

2018-02-25 00:48:09
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つまりマクシミリアンの脳裏には、フェルディナントにこれらの地域を相続させることで、古のアンジュー王国(ナポリ=ハンガリー)の再現というビジョンがあったのかもしれない、ということを補記する。

2018-02-25 00:49:20
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感動をもってこれを眺めていたハンガリー・ボヘミア王ウラースロー2世は、満足してしまったのか翌年に崩御した。幼い王子がラヨシュ2世(ルドヴィーク2世)として王冠を被った。 妹アンナは養育のためインスブルックにいた。

2018-02-25 00:53:19
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王女アンナは結婚式は済ましたものの、もし結婚するなら兄弟のうち兄カールの方がいいと思っていた。フェルディナントについては、ほとんど知らなかった。 何故ならフェルディナントは遠くスペインにいて、マクシミリアンですら会ったことが----終生会うことはなかった。

2018-02-25 00:54:57
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

兄ラヨシュ2世も、将来の皇帝であるカールと妹を結婚させるように、繰り返しオーストリア側に求めた。しかし結局、実の結婚相手として選ばれたのは弟フェルディナントだった。 アンナ、ラヨシュ2世らハンガリー・ボヘミアの人々は落胆した。

2018-02-25 00:56:41
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しかしこれは、幸いな選択となった。フェルディナントは陽気で人当たりがよく、人を心から愛することができた。 後に兄カールはヨーロッパ中を駆け回って若くから健康を損なったが、比べてフェルディナントは穏やかで落ち着いた生活を送ることになる。

2018-02-25 00:59:00
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フェルディナントは快活なだけではなく教養があり、書物や音楽、考古学、歴史、そして先祖に関する興味を抱いていた。曽祖父帝フリードリヒ3世のように、コレクションの収集家でもあった。 ルネサンス的で開明な若者であったが、世にかぶれることなく禁欲的だった。

2018-02-25 01:01:13
はくえー🔱【各国の王侯情報紹介】from:西方元老院 @tomoshibi6o6o

兄カール5世は暴飲暴食のため健康を損ねたが、フェルディナント1世はこうした習慣を深く軽蔑した。 フェルディナントは1日1度しか食事をしなかったのだった。 早起きで、仕事に取り掛かるのも朝早かったが、昼までは何も飲食しなかった。 昼になると簡素な食事を、ゆっくりと味わいながら食べた。

2018-02-25 01:03:46