@Ryanz_hz 指摘して下さってありがとうございます。訂正するマが無いのでとりあえず消しときました。私は先鞭をつけた教育者かつ画家であったと言う意味においてはそうだと考えてますが…潘天寿先生
2010-03-31 17:34:58@YINGUO 先鞭をつけた教育者かつ画家、という意味では異存ありません。ただ、当時の中国における位置づけとして、そういう存在は彼ひとりではなく、他にも多くのそういう存在がいるようにも思うのでさっきは保留しました…例えば中央美術学院の李可染とか。私自身勉強不足で申し訳ないけど
2010-03-31 17:57:21@Ryanz_hz 中央美術学院の李可染…同様に日本にも京都などで大きな役割を果たした画家がいるでしょうね…ついつい身近な自分の学校の先生しか眼が届いてないですが。ご教示多謝です
2010-03-31 19:46:34@YINGUO 先程の話の続きですが、李可染を出したのは私の不勉強で不適切だったかも、と思ってます。潘天寿にしても李可染にしても、近代中国画の枠組みそのものを作った人、とは言い難いかもしれません…少なくとも天心や大観に比するような1番のパイオニアとはいいにくいかも
2010-04-01 03:36:05@YINGUO ちょっと気になって、改めて近現代の中国画家/教育家を調べてみました(百度で見る程度ですが)。それで、私が前から近代中国の教育家として興味を持ってる蔡元培(このひとすごい)だけじゃなくて、教育家として面白いと思ったのが刘海粟。
2010-04-01 03:43:12@YINGUO 私、刘海粟という人の絵そのものは好きじゃありませんが(この人も画家でもあります)、この人の活動は面白いと思います。1912年に上海で人体モデルあり/男女共学の近代的な美術学校を中国で初めて作ったもので、「美術逆賊!」と非難轟々(でも蔡元培は支持した)
2010-04-01 03:51:04@YINGUO ちなみに上海国画美术院を作ったのは16歳のとき。以後は度々日本にキャッチアップのための視察に来たり、ヨーロッパにいったりして情報収集。それで、1931年、35歳の時に、ドイツのフランクフルトで中国画の六法論について講義をしている!すごく先進的だと思いませんか
2010-04-01 03:56:54@YINGUO 劉海粟が上海国画美術院を作ったのは1912年、それに対して中央美術学院の前身の国立北京美術学校は1918年、中国美術学院の前身の国立芸術院は1928年にできてます。 そして国美も央美も、創立の中心になったのは蔡元培。この人、北京大学の学長も務めてます。
2010-04-01 04:06:35@YINGUO …と、自分的にはちょっと面白いと思ったので、ここに書いときました。潘天寿も、李可染も、こうやってできた美術学校の中で教学に携わりながら、だんだん責任ある立場に昇っていってます。もちろんほかにも、陈之佛とか徐悲鸿とか张大千とか傅抱石とか、いろんな人がいるわけですが
2010-04-01 04:16:53@YINGUO もう少し上の世代に遡れば、陳師曾とか黄賓虹(!!)とか、呉昌碩とか斉白石とか、もしかしたら李叔同も、こういった人たちの絡みももう少し自分の中で整理しておきたいなぁ…と、改めて思いました。 なかなか近現代の話はややこしいから、これまであまり目を向けてませんでしたけど
2010-04-01 04:25:34